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ドイツ便り|①13年ぶりのドイツ生活がスタート|藤井稲

ドイツ便り ①13年ぶりのドイツ生活がスタート

Text by 藤井稲(Ina Fujii):Guest

今年の3月半ば、再びドイツでの生活をはじめるため、大阪からミュンヘンへ出発した。
11年間過ごしたベルリンから日本に帰国したのが13年前。それから大阪の中学校で勤務しはじめ、生活も考え方もドイツとは別世界の毎日が待っていた。徐々に職場に馴染んでいき、忙しさの中でドイツのことは遠くなっていた。しかし、教員を続けていく中、職場での人との出会いがきっかけで、ドイツで教員として働けるチャンスができたのだ。
13年ぶりのドイツで、最初にショックを受けたのは空港に着いたときだった。夕方に到着し、お腹が空いていたのでケバブ屋に入り、ベルリンでよく食べていたケバブサンドをテイクアウトしようとしたとき、値段を見てびっくりした。あの3ユーロもしなかったケバブが、なんと8ユーロ近い値段だったのだ。しかも1ユーロが160円台の円安で、日本円にすると約1200円。このときに物価の高くなったドイツを痛感した。500mlの水でさえも、スーパー以外で買うと400~500円ほどしている。なので、ちょっとした外での飲食は、以前ベルリンに住んでいたときのように気軽にはできなくなっていた。
食料や生活用品が高いだけではない。ミュンヘンはずっと前から家賃が高く、そして住居が見つからないことで有名であった。ドイツ人でも家が見つかるまで数年かかる人もいると聞いたことがあったくらいだ。今住んでいる私の住居は、奇跡的にインターネットで渡航前に見つけることができた。とは言っても、家賃は家具付き2部屋で月二十数万円。これがだいたいのミュンヘンの相場、いや、地元の人に言わせると、まだましなくらいだそうだった。私の住居は、家主がドイツ出身の映画を製作している人で、彼女が住居兼事務所として使っていた所だった。彼女の会社が他の町に拠点を移したため、空いたその住居に借家人として住んでいるのだ。彼女は自然をテーマにドキュメンタリー映画をつくっていて、部屋には映画のポスターや撮影で訪れたであろう国の置物が飾られていた。到着した日、キッチンには有機栽培の果物や乾麺、使いかけの調味料などがそのまま置かれていた。それらとともに、大家から鍵を預かってくれていたこちらに住んでいる友だちも、私が到着する前にキッチンにパンとワイン、冷蔵庫にはバター、チーズ、ハムを用意してくれていた。ドイツに来た初日の朝、不自由ないようにと支えてくれる友だちの優しさが心に沁みた。
この家主とは時々電話をすることがあるが、私によく言ってくるのが「こんな変わった国に(日本から)よく来たわね」というドイツへの不満。これからここでスタートするのに言わないでほしいなぁと思いつつも、いろんな国を飛び回っている彼女に、いつかその理由を聞いてみたいと思う。
物価の高いドイツで有難かったのが、国内の公共交通機関や特急以外の鉄道が乗り放題のドイツチケットである。一か月49ユーロ(7000~8000円)なのである。自動車の使用を減らすための政策でもあるらしいが、これさえあれば定期券もいらず、移動で金銭的なストレスを感じないで済む。こちらに来てすぐにこのチケットを買い、早速知り合いの誘いでオーストリアのクーフシュタインという町に行った。ミュンヘンから電車で1時間ほど。ここはアルプス山脈に囲まれたのどかな保養地のようなところだ。駅から町の中心部のほうへ歩いていくと、私たちを迎えてくれるかのように高らかにパイプオルガンの演奏が聞こえてきた。そう、この町には石碑や建物ではなく、「鳴り響く音」が記念碑になっている野外パイプオルガンがあるのだ。それは、岩山に建つ古い要塞に第一次世界大戦後、戦没者たちの英雄記念碑としてつくられたものだった。Heldenorgel(英雄のパイプオルガン)と言われている。2年ほど前までは、演奏の最後には必ず「Das Lied der guten Kameraden(よき同志の歌)」という軍隊的な曲を弾いていたようだが、政治的な議論の末、もう演奏されなくなっていた。一体どんな音楽だったのか、この場所で聞いてみたかった気もするが、歌の内容にまで議論がなされ、過去の戦争を否定する徹底ぶりはドイツらしい。
私たちが演奏を聴けたのはたった数分間だったが、雄大な景色に囲まれた要塞から鳴り響くパイプオルガンの音は、不安でいっぱいだった私の心に、ドイツに来たという実感とこれからの期待とが重なって響いてくるようだった 。

続く

(2024/10/15)

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藤井稲 (Ina Fujii)
大阪音楽大学ピアノ科を卒業後渡独。フンボルト大学ベルリンで音楽学と歴史学を専攻。同大学マギスター(修士)課程修了。留学当初よりナチス強制収容所の音楽について関心を持ち、修士論文ではアウシュヴィッツのオーケストラについて研究を行う。帰国後は大阪府の公立学校教員として勤務。2024年4月よりドイツの日本人学校に勤務。