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郷古廉vn&小林壱成vn 第1回|丘山万里子

郷古廉vn&小林壱成vn 第1回
Sunao Goko & Issey Kobayashi [Violin]

2024年7月5日 王子ホール
2024/7/5 OJI HALL
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)
Photos by 藤本史昭 /写真提供:王子ホール

<曲目>        →foreign language
シュポア:2つのヴァイオリンのための二重奏曲 ニ長調 Op.67-2(1st 小林、2nd 郷古)
ヴィエニャフスキ:2つのヴァイオリンのためのエチュード・カプリース Op.18
〜〜〜
イザイ:2つのヴァイオリンのためのソナタ イ短調(遺作)(1st 郷古、2nd 小林)
(アンコール)
ルチアーノ・ベリオ:アルド

 

王子ホールの新企画、若手実力派ヴァイオリニスト二人のデュオ・シリーズ第1回。
片やNHK交響楽団第1コンサートマスター郷古廉、片や東京交響楽団第1コンサートマスター小林壱成と、まさに両若頭の真剣勝負、いやが上でも興奮するではないか。
郷古といえば2020年無伴奏リサイタル(トッパンホール)での求道者の如きステージが克明に脳裏に刻まれているし、小林は王子ホールが生んだステラ・トリオでのやんちゃ振りを頼もしく見てきた。彼ら若武者が日本を代表するオーケストラのトップの席を占め、新時代の幕開けをしみじみ実感するわけだが、さて。

休憩後に一つ置かれたイザイこそが今回の大きな眼目で、まずはその全力投球を賞賛すべきだが、前半のヴィエニャフスキをあまりに楽しんでしまった筆者ゆえ、そこから入る。
シュポアの後のトークで、「2つのヴァイオリンというと超絶技巧展示会になりがち、そうならないよう考えたものの、やはりそうなってしまったかも」と語った二人だが、今回はそれを存分に楽しませてもらったことに感謝したい。誰もができることではないのだから。
パールマン&ズーカーマンのように「ちょっとやろうぜ」と組んでステージで聴かせてくれるような空気もしくは背景を、今まで日本ではほとんど持たなかった。名のある邦人演奏家同士が丁々発止あるいは和気藹々でデュオを繰り広げるのを、残念ながら筆者は直に見聞したことがない。実力人気伯仲でこその饗宴は、全てが揃わないと生まれない。この二人が、しかもシリーズでここに立ったのは、ほとんど僥倖と言ってもいいくらいなのだ。
その第1回であれば、まずはお手合わせ拝見、と客席もスタート地点なわけで、先生が生徒の指導に使う教本実演は実に親切かつ贅沢という他ない。種々のテクニック習得用に1~8までずらり並んだ練習曲、こういう先生だったらどんなに音楽するのが楽しかろう、と、筆者はただ羨ましい。一緒に弾いてくれてこそ音楽する歓びが伝わる、あるいは共有しうるのだから。
哀愁を湛えた旋律からトリル、マルテレ(音の明瞭訓練)へ、両者の絡み具合は決して一様でなく、メインだったりオブリガードだったりの出入りの工夫に、さすがヴィエニャフスキ、と唸るばかり。ついで、うにゃうにゃ重音が薄くなったり厚くなったり、そこから浮かび上がるメロディーの抒情、ついで疾走音階・アルペッジョの滑らかと高音放擲の鋭角放物線、イタリア舞曲サルタレッロ超高速旋回、ここらあたりの技巧の限りは見ていて聴いていて笑ってしまう痛快さ。パールマン&ズーカーマン両御大の遊び心満載とは異なり、いかにも若さ爆走。ほか、半音階上行下行の蛇行具合に船酔い気分の筆者をグッと支えてくれる低音の鳴りも頼もしく、跳ね弓、スラー、スタッカート、三重和音など超絶運指運弓技巧の数々、なのだがこれがめっぽう「音楽的」。そう、「はい、このパッセージ20回反復練習!」的教則本の責苦が快楽に変わる、これぞカプリース、ヴィエニャフスキ・マジック。 音の万華鏡を覗くようで、ひたすら楽しかったのである。
飛びつくようなブラボーに、よっしゃあ!と筆者も心中小さくガッツポーズ。
幼少期から奮闘したであろうこれらのテクニック、「オケでも役に立つんだよね」と頷く彼らがどうであったか知らないが(天才は苦も無く弾けてしまうようだが)、とにかく満杯客席沸きに沸いた。

というわけですっかりヴィエニャフスキを堪能しての、後半イザイ。
前半、郷古の野太い声に小林が乗って滑らかに歌うバランスで、重心の低いデュオと聴いたが、ここでは2つのvnのためのソナタだけに両者がっつり四つ相撲。バッハへのオマージュたる無伴奏ソナタ6作はもはや現代の古典だが、その質量の二乗なのだから当然ではあるが。
ユニゾンを剛毅なスケールで響かせた冒頭フレーズで、彼らの描こうとする全体像が見える。
Allegro fermoでの勢い、対位法、フーガと自由な筆致を見せる長尺楽章の各シーンを滞ることなく弾き進める。前半でただ悦んだ耳はここにきて別の感覚を作動させねばならず、いささか胃に重い。ヴィエニャフスキを師としたイザイだが、両巨匠の音楽世界の相違ここにあり。ゆえ、第2楽章の憂愁をたたえたしなやかな弱奏に幾分ほっとしつつ、やはり一筋縄でゆかぬ音の組成ではある。小林の線の輪郭の濃やか、郷古の滲みぼかす響きが互いを縫い取り美しい。
フィナーレのcon fuocoは出力全開。これでもかと押し寄せる音楽・技術難関をバッサバッサと薙ぎ倒しての最後の一弓、郷古は天へ、小林は地へと弧を描きステージを締め括った。
客席も興奮の極み。
鳴り止まぬ拍手にややあってのアンコール、互いに囁き交わすような優しいイタリア民謡風ベリオ小品でのpppp。炎天の夜の帰路へと、そっといざなうのであった。Cool !
シリーズのこれからが大いに楽しみ。

(2024/8/15)

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<Artists>
Sunao Goko & Issey Kobayashi [Violin]

<Program>
Spohr: Duo for two violins in D major, Op.67-2
Wieniawski: Etude Caprice for two violins, Op.18
Ysaÿe: Sonata for two violins in A minor (posthumous work)
(Encore)
Berio:Aldo