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評論|西村朗 考・覚書(37)『清姫―水の鱗』〜熊野古道の旅|丘山万里子 

西村朗 考・覚書(37) 『清姫―水の鱗』〜熊野古道の旅

Text by 丘山万里子( Mariko Okayama)
Photos by 佐々木幹郎/丘山万里子  

西村と佐々木は連れ立ち、「娘道成寺」(安珍・清姫伝説)オペラ化のため紀州の旅に出る。物語発祥の地を訪れるこの旅は、能・文楽・歌舞伎・演劇・舞踊などで知られる道成寺物語(安珍・清姫伝説)とは全く異なるオペラ『清姫―水の鱗』を生み出すことになる。
ちなみに佐々木は本作以前にNHKテレビ音楽番組『OROCHI―大蛇』(1990)台本を執筆している。1) 道成寺伝説を題材に、男女俳優と浄瑠璃人形が舞う音楽ファンタジーで、作曲は石井眞木。佐々木は女が炎に包まれた梵鐘に巻きつき男を殺すのは男の裏切りへの復讐怨念からではなく、むしろ深く悲しい愛ゆえ、という話に仕立てた。この新たな清姫像に、石井は弦楽オーケストラ、横笛、龍笛、能管、尺八、太棹などのほか、電子的に変音された梵鐘、ピアノ音響を用い多彩な音響劇としている。
注目すべきは、佐々木がすでにこの時点で従来の道成寺伝説とは異なる解釈で創作していることだ。道成寺に伝わる『道成寺縁起絵巻』には火を吹き男を殺した大蛇はそのあと「血の涙を流す」と絵詞にある、その涙の意味が彼にはずっと引っかかっていたという。2) 西村との旅は、佐々木のその問いの一つの答えを示唆、『OROCHI』での清姫像をさらに深化させるものとなった。

そもそも、道成寺伝説とは。
紀伊に伝わる道成寺伝説、安珍清姫物語のおおもとは『大日本国法華経験記』(1040〜44年/叡山首楞厳院、鎮源の撰)巻下第百廿九「紀伊国牟婁郡悪女」の説話とされる。法華経験記であればむろん『日本霊異記』同様、前代の神祇(じんぎ)信仰を仏教に引き寄せるための説話として仏教的書き換えがある。道成寺に伝わる『道成寺縁起』もこれに基づくが、その背景に何より熊野古道があることに留意したい。
熊野古道とは、古代・中世における熊野三山(本宮・新宮・那智)の山岳信仰が生んだ参詣道である。当時の上皇・女院ら高位の人々から庶民にいたるまで、多くの人々が「熊野詣」をした。参詣には陸、海などいくつかのルートがあるが、道成寺関連の道は京都から大阪・和歌山を経て田辺に至る紀伊路、田辺から山中に入り熊野本宮に向かう中辺路(なかへち)である。この中辺路は後鳥羽院・藤原定家・和泉式部も歩いたとされている。
道成寺伝説は、この中辺路に沿って語られる年若い美形の修行僧安珍と地元の荘司(庄司)の娘清姫の物語で、さまざまなヴァージョンがあるものの、『道成寺縁起』が一般に知られる。すなわち、はるか奥州(福島・宮城・岩手・青森の4県と秋田県の一部 )から熊野に向かう安珍は、中辺路の真砂に宿を借り、その娘清姫に一目惚れされる。清姫は結婚を迫るが、帰路に立ち寄ると約した安珍が素通りしたことを知り、恋に狂い日高川を蛇身となって渡り、道成寺の鐘に隠れた安珍に火を吹き鐘に巻きつき焼き殺す。こと終わってのち、大蛇は血の涙を流し、来た道へと戻るものの近くの海に入水する。数日後、住職の夢に2匹の蛇が現れ、2人が夫婦になったと告げるので、「妙法蓮華経」の法要を行う。再び現れた2人はそれぞれ清らかな衣をつけ、法華経の法力により蛇身を離れたと言い虚空へ飛び去った。法華経を経礼すれば、みんな成仏できるのである。と、まあ、取ってつけたような仏教説話となっている。
ちなみに道成寺ではこの『道成寺縁起』の絵巻本で僧侶が絵とき説法を行なっており、西村・佐々木もこれを聞いている(2011年1月、参加は2人だけだったとか)。3)
一方、清姫の生地真砂には別の伝承がある。こちらは清姫が安珍の裏切りを知り、悲しみの果てに清姫渕に身を投げ、その一念が怨霊となって道成寺まで追う道すがら蛇身に変化、鐘に隠れた安珍を焼き殺した、というもの。したがって真砂には清姫が丈なす黒髪を靡かせながら泳いだ場所たる清姫渕、清姫墓(「煩悩の炎も消えて今ここに眠りまします清姫の魂」との石碑)、清姫の菩提寺一願寺から捻りの木、清姫の井戸、袖摺岩、腰掛石、草履塚、と狂恋の霊がひた走る道沿いにその足跡が残されており、熊野古道の村人たちの清姫への愛憐が深く刻まれているのである。清姫は恋に投身死、恋慕が抜け出て安珍を追うその距離60キロ。恋慕の霊が空を飛び、川を渡って安珍に追いついても不思議はない。それが古代熊野の麓、村の民の夢うつつ、あちらとこちらを行き来する実感覚であったに違いない。
民間に伝わる熊野伝承には天狗、妖怪、山の神などと共に生きる森の民の古来の感覚が息づいている。それは、渡来仏教説話よりはるかに彼らの心情に近いのではないか。
佐々木・西村は清姫生地真砂から熊野三山の中心、熊野本宮大社(熊野神社の総本山で、田辺経由の中辺路と高野山からの古道小辺路の交点にある。社殿は紀元前33年頃の創建という長大な歴史を誇る)まで足を伸ばし、熊野の霊気、地霊に触れた。
真砂を訪れた佐々木は富田川の流れと、高台から清姫入水の清姫渕を眺め、「ああ、ここに清姫がいる」と呟く。「水面に波が立ち、陽の光で、金色の鱗のような波紋が広がっていた。ああ、ここに清姫がいる。彼女は水の精なのだ。金の鱗のような波紋が、蛇の形になって、山間の川となって流れている。清姫は火など吹かない。わたしの清姫は水を吹く。」 4) 

清姫墓から見る富田川の水の鱗  佐々木幹郎

富田川の水底  佐々木幹郎

これがオペラ『清姫―水の鱗』の「水の鱗」の意味である。真砂の伝承を継ぎ、恋の苦悩から清姫渕に投身した清姫の悲恋と愛を物語るこの新たな台本には、さらに姫の霊を流し雛に託すという大きな改変もある。
西村のCD解説によれば、題材の選定と台本作成は佐々木に依頼、紀州道成寺の清姫伝説をもとにしているものの、中段以降は佐々木のオリジナルとある。

「人としての清姫にきよらかな死を与え、その魂を流し雛に化身させ、さらには炎上する道成寺の大鐘に閉じ込められた安珍を救おうとする大蛇に変身させている。この台本の準備のため、2011年1月後半、佐々木幹郎氏は紀州の淡嶋神社(道成寺に近く、雛流し供養の伝統行事で知られる神社、道成寺、日高川、熊野本宮大社などを取材、道成寺と熊野には私も同行した。」5)

佐々木台本は4場からなるが、以下解説より、そのあらすじを記す。
Ⅰ)清姫渕〜恋
平安中期のある夏、奥州白河より一人の若く眉目秀麗な修行僧安珍が熊野参詣に紀伊の国、室の郡にやってくる。その途上、真砂の里の庄司の家に宿を借り、その娘清姫に出会う。その名のように清流のごとくきよらかで美しい娘だった。
姫は安珍にひたむきな恋心を抱き、安珍も姫に強く惹かれるが、修行の身から想いを振り切り、帰路に立ち寄ることをしなかった(安珍のアリア「降りつもれ」)
Ⅱ)流し雛
安珍を待ち、恋にやつれた清姫(清姫のアリア「美しい花さえ」)。断ち難い想いを雛人形に託し、祈りとともに川に流すが、ほどなく病に倒れ黄泉路に入り、その魂は流し雛に乗り移る。
Ⅲ)水の鱗
海へと流れゆく雛は、不吉な鐘の音に目覚める。それは道成寺の鐘音で、寺炎上に安珍の危険を察知、日高川の水面に立つ波を鱗として大蛇となり、天空に舞い上がって寺へと向かう。
Ⅳ)道成寺炎上〜昇天
燃え上がる道成寺、崩れ落ちる本堂、逃げ惑う安珍の頭上に倒れた鐘楼の大釣鐘が落ちる。灼熱の鐘中に閉じ込められた安珍を血のまなこで見た大蛇は口から水を吹きつつ濡れた蛇身を鐘に巻きつけ冷やし救おうとする(千手観音の真言「オンバザラタラマキリク」を伴う大蛇のアリア)。
だがそれも虚しく安珍も大蛇も焼死、この世で結ばれなかった二人だが、清姫の魂は安珍のもとに至り、安珍の魂は永遠に清姫に抱かれ昇天(終末の愛の二重唱)。日高川の流れは絶えることなく清らかな水の鱗となってきらめき、清姫の想いを今に伝える。

富田川清姫渕  佐々木幹郎

この佐々木台本のキモは、清姫の愛の一念が二人の恋を成就させたというところにあり、その象徴が清らかな「水の鱗」であったのだ。姫の恋慕を雛が担い、川を流れ、海に至る。富田川、日高川の澄明な川面の輝きがこの物語を導き、奥深い山間からの蛇行する水流は山と海とをつなぎ、二人の想いと魂の合一が天空を翔け昇る。
佐々木、西村が熊野中辺路の旅で見たのは、そういう光景であった。

ちなみに『大日本国法華経験記』の結末は、安珍清姫が蛇身夫婦となって嘆くのを、法力によって蛇身を離れ、女は忉利天に、僧は兜率天へとそれぞれ別れて昇天となっており、愛の抱擁、成就などかけらもない。
この説話の意は、熊野詣の僧侶らが古道を行くうち女の情愛に引かれ俗世に身を落とすことがある、その戒めと言うが、仏教における成就とは仏道の悟り(解脱)に他ならず、大乗仏教にしたところで究極は仏の慈悲、慈愛の懐。人間同士で満ち足りては、仏道を説く側からすれば安易にすぎる。ゆえ、それぞれに昇天させるのである。

こう見てくると、「水の鱗」が、合唱作品でたどった二人の道筋を継いだものであることが明らかとなろう。詩集『蜂蜜採り』からの組曲『鳥の国』(「鳥の国」「山」「川」)に西村は人間の輪廻の接合点、生と死と再生の臨界域を見たが、安珍清姫の愛の成就はまさにその一つの象徴と言える。さらに東日本大震災数ヶ月後に東北を旅した佐々木の共感疲労に大悲を感受した西村の『鎮魂歌―明日―風のなかの挨拶』(2012)を思えば、このオペラの種はすでに一連の合唱作品の中に蒔かれていたと思える。
筆者は前回、佐々木の「受苦」と西村の「大悲」を重ねると同時に、そのことへの問いをも記したが、このオペラと向き合い、また、西村・佐々木の旅路の半分を自ら辿ってみることで、大きな気づきを得た。それは、西村の創作全体に及ぶ筆者の了解への標ともなった。以下、少し触れておく。

*   *   *

異様な暑さで、まだ紅葉もわずかの10月下旬。
大阪から特急で御坊まで、和歌山を過ぎ右手に時折、真っ青な海がのぞくたび、車窓に身をよせる。道成寺(701年創建、和歌山県最古の寺)へは印南線へ乗り換え一駅だが本数は少なく、御坊からタクシーで。歩けば30分ほどの距離という。運転手の「あれが道成寺駅、誰もおらんよ」と指し示す言葉通り、田畑にぽつねんと小さな無人駅。そこから道成寺へと参道があるものの、名の知れた寺(現上皇、上皇后行啓)なのに、土産物屋や飲食店など両側に数軒並ぶ程度のいたって簡素な道筋だ。が、参詣用の駐車場には大型観光バスが3台並び、なるほどレストランその名も「あんちん」の2階は賑やかな中高年団体客が今しも食事を終え帰バスのところ。鉢合わせせず済んだことにほっとする。紀伊といえば梅干し。で、梅うどんを食す。うまい。
と、団体客の後始末に赤いエプロンにバンダナを巻いた中学男子が2名、店員のおばさんにあれこれ指示を受けているのに気づく。あれ、こんな時期、こんな時間に?
テーブル脇を通る彼らに、「アルバイト?」と声をかける。「いえ、学校の課外授業で、店での働き方実習です。」
へえ、面白いな。2人はやがて後方のテーブル隅でお弁当タイム。賄い付きか。微笑ましい。
都会生活者は一気に土地とそこに暮らす人々の日常に触れた気がして柔らかな心持ちになる。
階段を登っての朱塗り山門は立派だ。昼過ぎの境内は観光客も掃けて静か。
正面本堂には本尊秘仏千手観音が祀られる。オペラ第Ⅳ場での千手観音の真言はこれに由来する。右手に三重塔、その手前に安珍と焼かれた釣鐘が埋められたという安珍塚がある。この寺に件の大鐘はなく、安珍清姫事件の400年後に再鋳造した二代目も豊臣秀吉の雑賀(さいか)攻めで喪失、今は京都の妙満寺にある。初代の鐘が寺の「道成寺縁起」を、二代目が歌舞伎演舞の「道成寺物」を生んだとされる。

だが近年の発掘調査で、本堂左手にある桜の大木の位置に鐘楼があったことが判明、焼けた土も出土したという。この桜は入相(いりあい)桜と呼ばれ、文楽の『日高川入相桜(花王)』としても知られる。桜樹は陽を浴びて一種妖艶ですらある。その枝ぶりは蛇が巻き付いているようでもあり、筆者はしげしげ見入ってしまった。佐々木がやはりこの桜樹の立札を見て、そもそも寺の不審火に安珍清姫伝承を被せ、仏説『道成寺縁起絵巻』に仕立てたのでは、との疑念を抱いたのも無理はない。文楽のそれは、姫が川を渡って大蛇になるにあたり口がぱかっと大きく開き、まさに鬼の形相、口裂け女に豹変するのだから、当時これを見た人々はそのおどろおどろしさにいたく興奮したに違いない。6) 
真砂に残る清姫伝承で、もう一つ見落とせないのは、彼女の父に命を救われた白蛇が女遍路に化身し父と夫婦になり、生まれたのが清姫であったという話で、これなどは『紫苑物語』の狐の変身千草とまっすぐにつながる。そもそも西村はヴィシュヌから始まり化身大好き人間だし。
山岳信仰の霊地に生きる人々にとって、こうした伝承は架空でもなんでもなく身辺のそこここにある近しく親しいリアルな事象であったろう。いや、今日のジプリ作品や『鬼滅の刃』もまた、こうした世界の存在を脈々と継ぐ語り物であれば、それはヒトというものから決して削除することのできない「何か」なのではないか。そうして、萩原朔太郎にしろ芥川龍之介にしろ石川淳にしろ、ある種の怪奇世界を泳ぐ作家ばかりでなく、およそ「創作」に生きることから逃れ得ない人々は、必ず片足なり両足なりをこの「何か」に捉えられ抜けられない、そういう種類の人々で、それこそが「原水」「原人」の由来ではないか、とも。
先走った。
戻ろう。
が、この古代原的(源的・幻的)感性が、おそらく佐々木の「受苦」、西村の「大悲」につらなるものであろう、とは言っておく。

さて道成寺にはもう一つ、創建にまつわる『宮古姫伝承』というのがあり、こちらは『日本書紀』を元とする。漁師の娘、宮は父母が40歳を過ぎてようやく生まれた愛らしい女児であったが髪が無く、願掛けした母が海に潜って拾った一寸八分の仏像を日々礼拝したところ、宮が娘になる頃には黒髪豊かな姫となった。その美貌と才知を知った文武天皇が妃に迎え、故郷に道成寺を創建したという話。この宮古姫と、清姫渕に遊ぶ清姫の美しい「黒髪」を蛇のイメージとして重ねるのは筆者だけではあるまい。社殿各所に飾られる様々な絵などを見ると、やはりそう思う。拾った仏像は千手観音と言われ、これが寺の本尊となる。

僧侶による『道成寺絵巻』絵解き、参加者は筆者のみだったが、台上に絵巻を広げつつ語ってくれた。絵を見ればなるほど、だが、西村『絵師』(芥川『地獄変』)をさんざっぱら見聞済みの筆者にさほどのインパクトはない。最後のオチはなぜか「家庭円満、家族を大事に」であった。男女の愛、はたまた家族の形が変貌しつつある今日に、中高年を前の説教説話であればその辺りに落ち着くのだろう。熱心にメモをとる割には冷ややかな視線の筆者を、僧侶は明らかに疎んじていた。10年以上前、コロナ以前の西村・佐々木組はどうだったのであろうか。

日も傾きつつある門前にタクシーを呼び、「あんちん」のベンチで釣鐘饅頭を食べながら待っていると、先の中学生たちが実習を終えたらしく通りがかる。「あら、終わったの。お疲れさま」と声をかけると、2人は気恥ずかしげな笑顔で自転車に跨り、コスモス畑を背に帰ってゆく。
運転手に、寺からすぐの清姫の供養墓「蛇塚」へと告げ、普通の人家のそば、え、こんなところに、みたいな田畑の中のそれに詣る。大蛇のまま身投げしたと言われる場所だが、川などない。いたって長閑。
佐々木の見た「水の鱗」をどうしても見たいと、川の見える眺めの良いところへ回ってもらう。
川べり近くの広場に車は停まった。淡く優しいブルーの川面が陽光にキラキラ輝く。ススキや立ち枯れ草を踏み分け、へり付近まで行く。白鷺が一羽飛んできて中洲に憩う。せいせいと気持ちいい….。
空を仰ぎ、流れを見渡し、鷺が飛び立つのをしおにとって返す道筋、足元をスルスルと緑・青・黒・金に輝く細い蛇(1mくらい)が横切るではないか。ギョッとすくんでいる一瞬に、それは枯れ草むらの中に消えていった。筆者は動悸がおさまらぬ。そもそも蛇や爬虫類は大嫌い。目を背けて決して見ない。なのに、なんたることか。しかもその一瞬、筆者は、うつくしい....と思っていた。
茫然と車に戻り、「白鷺がいました。蛇が出ました!」と興奮して告げると、のんびり返してくる。「鷺ですか、へえ。蛇? ああ、そういえばあの広場は地元のじゃんじゃが踊りの出発点ですねえ。」 日高川を渡った大蛇が岸に上がった場所で、そこから大蛇をかぶった担ぎ手が道成寺まで練り歩き、寺境内で踊る会式だそうだ。大蛇が去ったのち、舞台中央に置かれた大鐘をひっくり返すと中から白骨体の安珍が現れる、というかなり漫画チックな祭りで(絵巻に準ずるが)、帰京しYoutube を観た筆者は笑ってしまった。この被り物の担ぎ手は中学生もやるというから、あの中学生2人もこれを被って練り歩いたのか、と思う。7)
さらに運転手は、「あそこは柵もあって整備されていたんですが、この間の線状降水でなぎ倒されちゃったんです。」と言った。筆者は、柵が全て倒れているので仕方なくそれを踏んで川に近づこうとしたがバウンドして危なく、川沿いの細い枯れ草道を行ったのだ…..。
道成寺詣の1日を終え、夕映の日高川を見ようと御坊のホテルを出た筆者は、目の前の田んぼで草刈りをする婆様と、どこからか飛んできた白鷺に吸い寄せられた。臆するでもなく婆様の草刈りのそばを悠然とついて回る鷺に、毎夕それが慣いであるのだろう、手を休めることなく動く婆様。まるで昔のTV『日本昔ばなし』。
日暮れを迎え、婆様は機具を片付け軽トラックを運転し、去ってゆく。鷺は田んぼでそのままそれを見送っている。
小一時間、畔に座って筆者はただただそれを見続けていたのであった。

気づき、は、この一連の流れにあった。
土地と人。それだ。
私たちはそれを地霊だの祖霊だの音霊だの言霊だの人魂だのいろいろ言うが、それらは実に古(いにしえ)からの地層時層に宿る「何か」であり、どこまでも延び重なり、地球という球体を自在に走る地脈水脈・原水原土の命(エネルギー)に他ならない。それらは常に呼吸しゆらゆら立ち昇りそちこちに漂い変化(へんげ)し遍在する。
変化・化身とは、その一つの形象なのだ。
古代人は我(実)と変化(虚)を分別区別することなくそれらと共生、畏敬の念を抱いていた。宗教儀礼はそこに発するが、大事なのはその古代原人にある世界観(見え方)であり、あちらとこちらを往還する力をおそらく彼らは備えていた。分け隔てない、とは、万物への等しい眼差しで、それを荘子は「万物斉同」と呼んだが、日本の八百万神も同じだ。
熊野古道の真砂の村民が清姫への愛憐を伝え続ける、それがその地の水の「何か」であり、だから佐々木の清姫は水を吹く。清姫も大蛇も夢現の一体、ただ一つの恋慕の形象。
筆者は残念ながら真砂まで足を伸ばすことは叶わなかったが、それでも山懐深く分け入る古道を、鬱蒼たる森を想像できる。梅うどんの味、地元の中学生たちの素朴さ、道成寺の桜樹、ブルーに輝く日高川、白鷺、足元を横切ったうつくしい蛇、夕暮れ時の婆様と鷺。
それらが全て、ひとつながりに筆者に語りかけるのだ。人家の横、日常に溶け込んだ蛇塚もじゃんじゃが踊りの行列も、みなこの地方一帯の人々の深い情愛心情畏敬の中にある。例えば永平寺の門前の賑わいが消え、夕暮れ闇影深くなればそこに種々の幻影が滲み出てくるように、「地」の「霊気」とは抗えない何かを持つ。人はそれを諾い、共にあり、敬う。
筆者はこの連載にあちこちを巡るうち、それを次第に感受するようになった。

もう一つ、道成寺の展示の中に、深く感じ入った日本地図があった。それは、この伝説が民俗芸能として東北から沖縄まで各地の伝承と混淆し庶民の芸能として今日に定着しているという事実を伝える分布図。
土地の霊気・当地の人々は余所者の侵入を拒むかに見えるが、流れ歩く旅人がそれらを携え様々な道をゆき、その道すがら伝承を、芸能を落とし、新たな命を産んで行く。
筆者は第23回『道』で大陸の4大文明からシルクロード、シューベルトから西村までの世界の道を俯瞰したが、人がいて道がある限り、そのように「何か」は伝わって行く。第24,25回『人間はなぜ歌うのか?』で初発の声を探ったが、その「声」は、モノフォニーだろうがヘテロフォニーだろうがポリフォニーだろうが、必ずその底の底に原水が流れ、人がそれをそれぞれに汲み、場所場所に、時々にそれを変化現出させるのだ。
「道成寺」の命名は紀伊国司の紀道成(きのみちなり)が寺建立の指揮の最中、筏の事故で落命、その供養に名付けたとされるが、紀伊から京へ鐘がたどった道、その遙かな音声とそれにまつわる伝承に心を寄せるなら、「道成」という名にも何がし感じるのであった。

『清姫―水の鱗』にあるのは、佐々木が東日本大震災後の9月末に東北を「聴き」歩いたその「聴く」行為の中に、どのかたも泣きながら、笑いながら話をしてくださる。」 自分はただ話を聴いて相槌を打ったりするだけ。東北弁のわからない言葉を聴き返し確かめるだけ、そばにいるだけ。だが、聴いてくれる人を得て、言葉は口説、口説節(くどきぶし)となって溢れ出る。そこでの共感疲労に、すなわち「受苦・共苦」を体感、清姫の一途な愛とその成就へと導かれた、とも言えようか。
そういえば石牟礼道子もまた、水俣の人々の誰もが凄まじい物語を持っており、それを聴いてほしい、書いてほしいと言われ、そのことが自分の筆を走らせる、と『苦海浄土』に記していた。理由がなんであれ、苦難との遭遇にあたり全ての人にはそれぞれの物語があり、それに耳を傾けるだけだ、という姿勢。佐々木の『東北を聴く』もまたそのことの真(まこと)を伝える。津波にのまれ潰れた家屋の下から老人の歌声が聴こえた、それは『八戸小唄』だった、という話に絶句する佐々木。8) 彼はこの小唄が東京まで流れるとお囃子の最後が変化、一挙に愉快な唄になること、あるいは牛追唄の「西も東もカネの山」の「カネ」は「金」でも「鐘」でもあろうかと、熊野詣での見聞を重ね、民謡というものの奥深さ、広大さをも語るのである。
ここ、は、あちらでもあり、あちこちであり、そこここである。
そのことの意味を改めて思う。
西村・佐々木の紀伊熊野の旅は2011年1月、佐々木は震災直後3~4月に詩『鎮魂歌』『明日』『風のなかの挨拶』を発表、9月に東北の旅、翌2012年2月オペラ『清姫―水の鱗』初演、さらに上記3篇をもとに編まれた合唱作品『鎮魂歌―明日―風のなかの挨拶』初演6月と辿るなら、西村・佐々木の間で醸成されたであろう「受苦」と「大悲」がうっすらと見えるのではなかろうか。

では、次回、この室内オペラ作品そのものの「声」を聴こう。

註)

  1. プラハ国際テレビ祭特別賞受賞
  2. 『清姫―水の鱗』初演時プログラムより
    「室内オペラ『清姫―水の鱗』について」佐々木幹郎
  3. 『道成寺絵とき本』 宗教法人道成寺発行
  4. 同上
  5.  CD『佐々木幹郎と西村朗の世界』 合唱音楽の夕べ vol.6 より
  6. Youtube『日高川入相花王 渡し場の段(全編)』https://www.youtube.com/watch?v=KOr4bqCXP6I
  7. 御坊市 道成寺 会式2022 じゃんじゃが祭り
    https://www.youtube.com/watch?v=2CbETHGvn5U
  8. 『東北を聴く』p.23

参考資料)
◆書籍
『東北を聴く』佐々木幹郎著 岩波新書1473  2014
『明日』佐々木幹郎著 思潮社 2012
『瓦礫の下から唄が聴こえる』佐々木幹郎著 みすず書房 2012
『道成寺絵とき本』 宗教法人道成寺発行

◆CD
『佐々木幹郎と西村朗の世界』
藤井宏樹/樹の会 合唱音楽の夕べvol.6 日本アコースティックレコーズNARC-2147

◆Youtube:
『佐々木幹郎と西村朗の世界』
藤井宏樹/樹の会 • アルバム
『大空の粒子』『鳥の国』『清姫』
https://www.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_mhUXJLVhNdhlOzEJXwsnW-phBNc4AtnTQ
『日高川入相花王 渡し場の段(全編)』文楽
https://www.youtube.com/watch?v=KOr4bqCXP6I 
『京鹿子娘道成寺』長唄 花柳利琴之(花柳流)
https://www.youtube.com/watch?v=uiPOWyORqrs
『能楽公演ダイジェスト「能を知る会-能 道成寺 / 狂言 樋の酒」』
https://www.youtube.com/watch?v=0DpPrPguCT0 
『御坊市 道成寺 会式2022 じゃんじゃが祭り』
https://www.youtube.com/watch?v=2CbETHGvn5U

西村朗 考・覚書(1)~(36)

(2024/1/15)