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西村朗 考・覚書(23)道|丘山万里子

西村朗 考・覚書(23)道
Notes on Akira Nishimura (23) 
The Road

Text by 丘山万里子(Mariko Okayama)

振り返ってみる。

ウィーンの祭り

西村が最初に音楽というものに魅かれたのはシューベルトの『軍隊行進曲』(第1番)のトリオ部分の誘引力「何かがやってくるような感じというか、こう吸い寄せられるというか、胸がきゅーんとなるような息苦しさみたいな感覚」であった。軍隊行進曲といえば当時のオスマントルコ軍楽隊由来だが、一方でこの作品が書かれたツェレス(現スロヴァキア)はロマ(ジプシー)音楽もまた村々に親しかった。ひと夏過ごしたエステルハージ伯爵邸でシューベルトは二人の令嬢に音楽を教えたが、おそらくその間にロマの楽師の響きにも触れたろう。この作品にはツィンバロンの打奏を思わせる響きも感じられ(西村には『 ツィンバロンのための伝説曲』2011がある)、当地での他の作品『ポロネーズD599』などのトリオ移行部分でもこの「胸きゅーん」(転調と曲調ギアチェンジ)要素は見出せる。

ウィーンの祭り

いずれにしても筆者はシューベルト(とウィーン)に北インド、ラジャスターンから北上するロマの道を思い描いたが、文化の道筋は世界を走りめぐる。クレズマーがユダヤのディアスポラの落とし子であるように、楽師とは旅する文化そのものなのだ(ちなみにクレズマーもロマも特有のポルタメントが人を惑わせる)。シューベルトの誘惑ののち、西村が真剣に音楽を志す契機となったベートーヴェン(『第9』)も、ボンからウィーンを目指した。楽都ウィーンとはモーツァルトのオペラを挙げるまでもなく、オリエントからアジアまで、ユーラシア各地を流浪する楽師らが咲かせる仇花の都でもあったと言えよう。

日本における西洋音楽受容は、戦後生まれの西村世代といってもやはりバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンを序奏とする。そこから出自たるアジアへと眼が拓けてゆくのはそう簡単なことではなく、戦後教育さらに音楽教育は近年に至るまでそのような方向性は持たなかった。
だが西村の場合、幼少期からの関西的ごた混ぜ文化土壌、宗教というより日常に染み込んだ「人と信心の形」が必然的に汎アジア世界へと彼を引き寄せたように思う。むろん、藝大での小泉文夫をはじめとする様々な出会いがもたらしたアジアへの示唆、あるいは「東洋の発見」的時流が導いたものではあろうが、それ以上に、彼の原質は幼少期に鋳込まれたものと考える。
小学校校庭に流れる軍隊行進曲トリオ部分に引き入れられたその感覚、「いい天気で光がきらめいている」その光の明るさ、G-durからg-moll(母胎音響G だ)への「胸きゅーん」という光と影のいざないを、シューベルトの元気溌剌行進曲にふと差し込まれた微かな甘い翳りだとして、そこに反応した西村の感性を、ロマ的なるものへの、というふうに言うことも可能なのではないか。ロマ的....妖しさ、怪しさ、あやうさ....それを「異端」「異教」「異郷」「異界」「異質」「異種」「異人」などなど、自らと異なるものへの恐怖と憧憬とするなら、芸術とは常にその限界・危険領域を彷徨う行為に他なるまい。この「異質性」については第7回『西村と朔太郎の詩魂と歌霊』ですでに考察した通り。
西村における「魔界」意識にも何度か触れたが、この領域を「エクスタシー」と呼ぶなら、それはとりわけ音楽によって創出され、だからこそ宗教と同根なのだ。彼は宗教について「哲学は人を締めつけ、宗教は人を自由にする」(『光の雅歌』p.165)と言っているが、宗教も音楽もいわば人の限界・境界(自他)をたやすく超える。言ってしまえば教会伽藍は、その堂内音響と合唱によりエクスタシーを醸成する装置だし、寺院の読経もしかり、あるいは禅定における「解脱」もそれだ。宗教と音楽(声)とは互いに交接交合しながら超越神秘快感「エクスタシー」を目指すものだとも言えようか。その意味で、既に初期作NHK電子スタジオでのテープ音楽『エクスタシスへの雅歌』(1981)、翌年の『ケチャ』から、彼の音楽のこの種の傾向が見てとれよう。あるいは、88年『瞑想のパドマ』(6打楽器のための)におけるトレモロ・ドローンのユニゾンの生み出す倍音オーラに「 “音霊(おとだま)”的なものを感じる」西村に、友人の佐藤聡明は「一種のドラッグ・ミュージック」と言ったわけだが、つまりは「エクスタシー」創出に他ならない。その危うさ、恐ろしさ、もっと言えばいかがわしさ(オペラ『紫苑物語』にも、狐の化身との交合などその種のいかがわしさはたっぷりあったし、それはむろん古代から連綿と続く化身系怪奇譚であることは第19回でのヴィシュヌ化身でも触れた)。
すなわちロマ的、とは危ういエクスタシーへのいざないで、それをまとい村から村へさすらう楽師たちが、人々にとってどれほどの誘惑であったか。村という一つの共同体の既に出来上がった社会規範、宗教規範を、いっとき彼らは揺り動かし、幻夢でかき乱し、立ち去る。教会、宮廷、あるいは村の長といった権力者の「権威・掟(法)」の外にあり、異界を覗きこむ一瞬の快感の記憶だけを人々の胸に刻み、彼らは去る。
ひょっとすると西村は幼少期にそうした領域を感知した記憶があるのではないか。
寂光院からの道にしても(「生と死の臨界域、トワイライト・ゾーンの道」)、藝大適応不全にしても、彼の音楽にはどこか、魔界からの呼び声への反応が響いているように思う。汎アジア世界観の壮大な曼陀羅図に響く音、その響きのヘテロフォニーを筆者は衆生の海の声(声あり声なき)と言い、はたまた汎アジア宗教音楽、いや全てを包括する全方位宗教音楽、とまで言ってみたが、ここで、彷徨(さまよい)、流離(さすらい)〜移動と言ってしまえばそれまでだが〜それが人類の原初生活形態であったことを思い起こしつつ、宗教の原姿と音楽の関わりを見ておくことにする。

人間の生存はもともと狩猟、採集によって成り立っていたが、そこでの儀礼は「死」の観念から始まる。すなわち埋葬で、これが儀礼を生む。つい、西村最初の合唱作品『汨羅の淵より』(1978)が屈原の投身死であり、死者の招魂の儀であったことを思い出す。一方、動物信仰の痕跡としての集団舞踏熊ダンスの足踏み跡がヨーロッパで見つかるのは6万年前ほど。まさにリズムの発現で、集団における身体の同期が生み出すエクスタシーを人類はこの時点で知ったのだ。ダンスや行進はここに由来しよう。
動画:ルーマニアの熊踊り
民俗芸能 熊襲踊(くまそおどり 庄内町)
西村でいうなら、そう、『ケチャ』(1982)。インド叙事詩『ラーマーヤナ』での猿の大群の戦闘シーンだ。リズムはやがて刻線画(前2万5千年/動物の輪郭線)につながり、文字へと発展してゆく。
楽器については2万2千年前にマンモス骨製肩かけ太鼓、シロホン、カスタネット、ガラガラなどがロシアに見つかっており、原始シャーマニズムが現れるのは紀元前2万年(西村『ピアノ協奏曲<シャーマン>』2004)。

イエリコ

獲物、採取に地をさすらっていた人類が定着定住すなわち農耕を開始するのはおよそ紀元前1万年とされる。最初の大規模集落が作られたのはレヴァント(レバノン)地方で、ここに農耕集落が発生した。旧約聖書にあるイエリコ(ジェリコ)もこの地である。
この時期の農耕発生には地球環境の変化がある。約2万年前からの氷河後退と海面上昇により自生小麦が定着、1万年前からの温暖化がヨーロッパ・インドを森林化、西アジア、中国大河流域を草原化した。集落の発生が言語、道具を生み、集団維持のための宗教を生み、そこに音楽も併走する。
なお、紀元前1万1千年には狩猟信仰における赤い(赤は神聖視された)平行線、十字模様の線刻の携帯お守り石(護符)がみられるから、この二種は人間の根源的な表象であることが知れる。それ以前に呪術的幾何学文様がトナカイ角器に刻まれ、半身半獣シャーマン(弦楽四重奏曲『ヌルシンハ』2007は半神半獣。西村のハイブリッド系列は他に『迦楼羅』2000/2008『カヴィラ』2005『カラヴィンカ』2006『カラヴィンカの歌』2017)が活躍したのであれば、現代に至る創造創作の着想は既に古代世界に現前していたということだ。

細隆起線文尖底深鉢形土器15,700年前頃~13,200

古代人のイマジネーションと表象力を思うなら、文明と野蛮などという物言いがいかに野蛮かが知れよう。さらに、平行線にヘテロフォニー感覚を、十字に和声感覚を見たところで、さほど乱暴でもない気さえする。ついでに言えば、二組みの平行線を斜めに重ねた交差部分に生じる縞模様をモアレと言い、二つの空間周波数の「うなり」現象だ。西村のモアレを想起したい。
この頃の日本がどうであったかと言えば、モンゴル系の原日本人出現が紀元前1万2千年頃、縄文隆線土器もこのあたりとされる。

大陸の古代4大文明は紀元前6000年頃、ほぼ同時期に河沿いに発祥した。古代エジプトはナイル、メソポタミア(古代オリエント)はチグリス・ユーフラテス、インダス(古代インド)はインダス、中国は黄河だ。これらの文明が大きくつながってゆくのは紀元前2200年頃のセム人の移動、さらに前1950年頃のアーリア人の大移動によるもので、アーリア人移動により成立したバラモン(からヒンドゥー教)についてはヘテロフォニー考で既述した通り。すなわち、メソポタミアとインダスの遭遇だ。
西洋音楽の背景たる旧約聖書世界(ユダヤ教)成立の地を遡ると、そこに人類集落発祥の地があることは既に述べた。旧約世界はバビロニアの裕福な遊牧民の家に生まれたアブラハムを始祖とするもので、その子イサク(妻サライ)、さらにその子ヤコブを祖先とするのがユダヤ教。

ネゲブ砂漠のワディ(渇れ谷、豪雨時には川だが川床は交通路となる)

ちなみにモーセの出エジプトでの『モーセの十戒』(紀元前1275)と古代インド聖典『リグ・ヴェーダ』はほぼ同時期、中国は殷帝国最盛期で鬼神崇拝にあり、王はその呪術師でもあり占卜(せんぼく)で支配を司った。この甲骨占卜については『アワの歌』(1989)の太占(フトマニ)でも触れている。ついでに言うなら芸能芸術における呪術性(シャーマン性)は近くは五嶋ミドリの演奏など一時期その典型であったし、『ピアノ協奏曲<シャーマン>』初演の小菅優もまたこのタイプであろう。
話を戻す。アブラハムには、イサクが生まれる前に妾の奴隷ハガルとの間に生まれた息子イシュマエルが居た。が、イサク誕生により母子は砂漠に追放され、このイシュマエルがアラブ民族の先祖とされる。そのアラブの宗教で預言者ムハンマド(約570~632)による『クルアーン』を聖典とするのがイスラーム教。したがって文明の衝突と言われるキリスト教圏とイスラーム圏の対立は近親憎悪のようなものである。いずれにしてもこれらは砂漠の宗教と言えよう。
対して森林の宗教ともいえる仏教はキリスト教成立(イエスの出現)より500年早くゴータマ・ブッダを始祖とする。バラモン教の革新派といえば良いか。イエスがユダヤ教のそれであったように。ヒンドゥー教はバラモンから派生したもので、宗教はこのように分派しながら時代とともに変容、生き延びてゆくのだ。
いずれにしても過酷な砂漠の宗教と湿潤温暖な森林の宗教が性格を異とするのは当然だろう。
裁きの神か包摂の神か、などと単純化するのは安易だとしても、生存を巡っての判断、ルール(法)とはそこから立ち上がってくるものなのだから。
ブッダとほぼ同時期に活躍したのが孔子(儒教/儒家)、老子(道教/道家)で孔子『論語』の成立は紀元前450年。ギリシアではこの時期、ソクラテス、プラトンらが輩出している。こうしてみると、イエス出現前の紀元前7〜6世紀に、世界(ユーラシア)の宗教、哲学はほぼ出そろったと言えよう。この時期、人類史上、類稀なる「知」の地平が一気に拓けたと言っていい。その同期性、共振性は、だが至るところに小規模に散在していたものに違いなく、網目を編む無数の衆生、その網から大きく何かを引っ掴み、歴史の表に放り上げるのが聖・哲人、という図柄を筆者は思い描いてしまう。

文明の3つの道

さて、それら古代文明の地層、時層に畳み込まれている大地を走る道、すなわち文化文明が伝播してゆく道を考えてみる。
西村の汎アジア世界観あるいは音楽に最も近しいものとして、まずはシルクロード。
1980年代以降の世のシルクロード・ブームは前回既述のNHK『シルクロード』が発火点と言えようが、シルクロードには3つのルートがある。最も北が「ステップロード(草原の道)」と呼ばれるロシアの南を通るルートで一番古く、紀元前8〜4世紀に遊牧民スキタイ族が活用、中国の毛皮、金、絹などが西域、中央アジアに運ばれた。
次にできたのがオアシスルートで、文字通りオアシスを中継点として結ぶ道。そこでの農耕収穫物を運ぶキャラバンが活躍する。このオアシスロードはインド、中国をへて日本に至る仏教伝来の主要ルートとなる(仏教経典伝来については北伝と南伝があるがいずれまた触れよう)。詳しく言えばオアシスロードは天山山脈を挟み南北に分かれる北路と南路、さらに敦煌から南下、タクラマカン砂漠南側を通る西域南道と呼ばれる3つのルートを持つ。オアシスルートは紀元前4世紀マケドニアの王アレクサンドロス大王の東征による西北インド侵入とともにギリシア、エジプトなどの文化を東方に広げる役割を果たした。インドの仏像鋳造はその影響を明示している。シルクロードといえばこのルートが代表格だ。
さらに時代がくだると「海の道」ができる。地中海から紅海、ペルシア湾、アラビア海を渡ってインドに達し、東南アジアを経由して中国にいたる航海路で、インド洋の季節風により紀元前後からすでに国際交易があったとされるが、中国の宗の時代に最も盛んで陶磁器なども伝わってゆく。

玄奘の道

NHKの『シルクロード』シリーズ1『日中共同制作シルクロード 絲綢之路』(1980)はオアシスロードの天山南路である。長安(西安)を起点に敦煌、ウイグル、トルファン、天山、カシュガル、パミールに至った。シリーズ2『ローマへの道』(1983~84)はパミールを越え三蔵法師玄奘(602~664/中国洛陽出身)に倣い天竺(インド)へ進み、バクダッド、サマルカンド、コーカサスなど、ユーラシア大陸(中央アジア)、アナトリア半島、地中海からローマへ至る。玄奘『大唐西域記』の旅は17年3万キロに及ぶが、天山山脈を越え、キルギス、ウズベキスタン、アフガニスタンを経てインドへ入っている。なお、最初の三蔵法師(仏教の経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した僧侶のこと)である鳩摩羅什(344~ 413/ウイグル、クチャ出身)はカシミールに遊学、のち、長安で仏典漢訳に携わり、玄奘とともに二大訳聖と呼ばれる。
仏教の日本伝来は538年(公伝)だが、日本の学僧らが海を渡って持ち帰った経典のことなど想起すれば、信心というものの強さ大きさ、あるいは憧憬を思わずにいられない。同時に、西欧の植民地化の先頭に宣教師が居たように、道は必ず物流とともに文化宗教を載せ張り巡らされて行くことも実感するわけだ。
シリーズ3『海のシルクロード』(1988~89)は西から入り、ナイルから紅海沿いに内陸をたどってシバ王国(イエメン)へ、紅海からアラビア海を抜け、インド洋、スリランカ、ベトナム、揚子江をへて長安という海路であった。

再び西欧に眼を転ずるなら、ユダヤ、ロマの民族離散(ロマもディアスポラ範疇)の果たしたものの大きさについても一考が必要だろう。ユダヤはよく知られるが、ロマについては言及が少ないゆえ、ここで触れておく。出自がインドとされるのは、サンスクリット語起源のロマニ語の諸方言の使用からで、一説では先述のアレクサンドロス大王の北西インド侵入(紀元前326)によってラジャスターンからの移動が始まったとされる。バラモン社会における最下層不可触民をチャンダーラと呼び、人々が忌み嫌う仕事を彼らに担わせたが、そこに民俗芸能者が含まれていたことは見落とせない。

ロマのディアスポラ

ロマの移動が世界史に登場するのは11世紀以降で、バルカン半島、クレタ島などに移住、そこからハンガリー(1416)、ボヘミア(1417)、ドイツ、スイス(1418)さらにイタリアボローニャ(1422)、パリ(1427)、スペインバルセロナ(1447)、イギリス(1505)到達の記録がある。ハプスブルク帝国期の首都であったウィーン(1526~1583, 1611~1804)の位置、文化混淆、モザイク模様が容易に想像できるのではないか。
文化も宗教も、多様なルートの網目の上に様々な花を咲かせているが、その根は縦横に張り巡らされ、人の交易がそれを拡張延伸させてゆく。そしてどの地においても、必ず楽師がそこに居た。
音楽とは常に人と道連れで、宗教もまた同様だ。人は道すがら他者(他国、他民族というくくり以前の人と人それ自体)と何ものかを交換、共感し合うが、異と異の遭遇には必ず受容と排斥がある。理解できることと理解できないこと。その往還が、道の生み出す世界創造のエネルギーではなかろうか。
ここで再び、西村ヘテロフォニーの何たるかを振り返ってみると、また別の景色が見えてくる気がするが、それは今後としたい。

さて。
西村の汎アジアが文字通り汎であって、何々教に帰依している、といった信仰ではないことはこれまで見た通り。インドのもっぱらヒンドゥー世界から日本であれば密教系へと眼がゆくものの、系、であって、「教」ではおそらくない。時々の自分に最もフィットした「面」を切り取ると言ったら良いか。近作『華開世界』の道元にしてもいわゆる禅宗的発想とは言い難いと筆者は考える。永平寺への旅で少し道元には触れたものの、まだ筆者も道半ば。ただ、西村の宗教性(と今は言っておく)は宗門、教説を跨ぎこすもので、そこにある種の衆生世界的「信心」を見るのが筆者の現在の理解だ。

前回、筆者は西村の音宇宙元素を3つとした。
形式:形式としての「ヘテロフォニー」
音響:音霊としての「梵鐘」
言葉:言霊・歌霊としての「マントラ」(真言/読経)
これら3つはいずれもヘテロフォニーという概念にまとめることができようが、以降は『紫苑物語』に向かい、その音楽の音霊・言霊・歌霊を宗教的な見地から追ってみたいと思う。
吹奏楽『巫楽』(1990)を「汎アジア的宗教音楽」とは本人の言だが、新たな領域として迫り出してくる合唱作品群とともに『紫苑物語』の大日経までの旅へと歩を進めたい。

参考資料)
◆CD
『ケチャ…彩色打楽…西村 朗 作品集/パーカッション・グループ 72』(1979)
カメラータ・トウキョウ32CM−89
   「ケチャ」「瞑想のパドマ 」
『魂の内なる存在/西村 朗 協奏曲集【西村 朗 作品集 7】』
カメラータ・トウキョウ CMCD-28058
   ピアノ協奏曲「シャーマン」
http://www.camerata.co.jp/music/detail.php?serial=CMCD-28058
『ヴィシュヌの化身…高橋アキ プレイズ 西村朗 【西村朗 作品集6】』
カメラータ・トウキョウCMCD-15024~532
http://www.camerata.co.jp/music/detail.php?id=207
『迦楼羅(かるら)──オーボエ・ソロ/トーマス・インデアミューレ』
カメラータ・トウキョウCMCD-28184
http://www.camerata.co.jp/music/detail.php?id=129
『ヌルシンハ[人獅子]…西村 朗 室内楽作品集【西村 朗 作品集 14】』
カメラータ・トウキョウCMCD-28217
http://www.camerata.co.jp/music/detail.php?id=156
『ブルーノ・カニーノ プレイズ 西村 朗』「カラヴィンカ」
カメラータ・トウキョウCMCD-28321
http://www.camerata.co.jp/music/detail.php?id=1355
『魂の内なる存在/西村 朗 協奏曲集【西村 朗 作品集 7】』ピアノ協奏曲「シャーマン」
カメラータ・トウキョウ CMCD-28058
http://www.camerata.co.jp/music/detail.php?serial=CMCD-28058
『エクスタシスへの雅歌』 西村朗の音楽3~光の波
フォンテック  FOCD-3199
https://artist.cdjournal.com/d/-/1195121118

◆楽譜
『ピアノ協奏曲<シャーマン>』 全音楽譜出版社
http://shop.zen-on.co.jp/p/900008

◆書籍
『光の雅歌』西村朗+沼野雄司 春秋社 2005
『情報の歴史21』 編集工学研究所 監修:松岡正剛 構成:編集工学研究所イシス編集学校 2021
『古代中国の思想』 戸川芳郎 日本放送出版協会 1985
『シルクロード 歴史と文化』 長澤和俊 角川選書143
『文明の道 第2巻ヘレニズムと仏教』NHKスペシャル 文明の道プロジェクト 日本放送出版協会 2003
『シルクロードと宗教の道』 生江義男 日本放送出版協会 1984
『中東欧音楽の回路』 伊東信宏 岩波書店 2009
『東欧音楽綺譚』 伊東信宏 音楽之友社 2018
『東欧音楽夜話』 伊東信宏 音楽之友社 2021
『音楽する身体』 山田陽一編 昭和堂 2008
『民謡からみた世界音楽』 細川周平編著 ミネルヴァ書房 2012
『聖地写真集』エルサレムで筆者購入

◆Youtube
『巫楽』
https://www.youtube.com/watch?v=qiUMxCAWG9U
『ケチャ』
https://www.youtube.com/watch?v=RGO-ldUy3Js
『ヴィシュヌの瞑想 Ⅱ』
https://www.youtube.com/watch?v=NzYkhcYvDfk
『カラヴィンカ』ブルーノ・カニーノ
https://www.youtube.com/watch?v=-VZ_rDN2ZZE
『秘儀Ⅳ 行進』
https://www.youtube.com/watch?v=B6oQyvCmOTc
『迦楼羅』
https://www.youtube.com/watch?v=f_tkooriYIo
『エクスタシスへの雅歌』
https://soundcloud.com/oto-no-hajimari/38-ode-for-ekutasis-akira-nishimura

西村朗考・覚書(1)~(22)