ハインツ・ホリガー オーボエ・リサイタル|齋藤俊夫
ハインツ・ホリガー オーボエ・リサイタル
Heinz Holliger Oboe Recital
2023年9月19日 東京文化会館小ホール
2023/9/19 Tokyo Bunka Kaikan Small Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
写真提供/ヒラサ・オフィス(9月17日、バロックザールでのリハーサル)
<演奏> →foreign language
オーボエ:ハインツ・ホリガー
ピアノ:アントン・ケルニャック
<曲目>
(特に記載のない作品はオーボエとピアノによる)
ラヴェル:『ハバネラ形式の小品』(1907)
『カディッシュ』(1914)
メシアン:『ヴォカリーズ・エチュード』(1935)
『初見視奏曲』(1942)
ホリガー:『ライフライン~クララ・ハスキルへのオマージュ』ピアノ・ソロ(2020/21)
『コン・ズランチョ』オーボエ・ソロ(2018)
休憩
ホリガー:『オーボエとピアノのためのソナタ』(1957)
『ピアノのためのソナチネ』ピアノ・ソロ(1958)
ジョリヴェ:『オリノコ川の丸木舟を操る人の歌』(1953)
サン=サーンス:『うぐいす』(1893)
ラヴェル(D.ウォルター編):『ソナチネ』(1903-5 オーボエとピアノ編)
(アンコール)
リリ・ブーランジェ:2つの小品から第1番「ノクターン」
ドビュッシー:小品
ミヨー:ヴォカリーズ・エチュード「エール」op.105
ハインツ・ホリガー84歳、と記したとき、この「84歳」の部分は何を表すのであろうか、自分で考えてしまう。年老いて、もう全盛期は過ぎてしまった過去の人である、という含みを持ちはしないだろうか。筆者自身にそのような先入観がないとは言えないのかもしれない。だが、開演前に東京文化会館小ホール舞台裏から聴こえるホリガーの音出しのアルペジオを聴くだけで、そのような先入観はかき消える。端的に言って若い。「84歳」のオーボエ吹きとはこれほどのものだったか。
ラヴェル『ハバネラ形式の小品』、なんと艶めかしい。どれ1つとしてオーボエが同じ音を発することがなく、かつ全ての音が感覚の正中線を射抜く。筆者の心も射抜くその色香は若い女のそれだ。
同じくラヴェル『カディッシュ』のオリエンタルな音は粋な年増のつややかさ。いささかの渋みも加えて。強い長音にかかるかすかなビブラートの美しさといったらない。ホリガー、4年前から全く年を取っていない。
メシアンがまだトラディショナルな域内にいる時代の作品『ヴォカリーズ・エチュード』はファンタスティックでゆったりと聴衆を包む、夢心地の仕上がり。ラストの長音で息をのみそのまま息をするのを忘れてしまいそうになる。
メシアン『初見視奏曲』に入るとグッと現代音楽的になるが、メシアンの不思議とホリガーの不思議が乗算されたその普遍性は現代音楽とクラシック音楽の壁を突き抜けてこちらの心を掴む。
ホリガー作のピアノ・ソロ曲『ライフライン~クララ・ハスキルへのオマージュ』、冒頭の分散和音から襲いかかってくる。完璧なコンポジションは完璧なインプロヴィゼーションに似ている。流星群をまとった彗星が落ちてくるのを見ているような、災いと美しさが一体となった音響空間。だが物語性も帯びた構造と、ところどころ、特に終曲部に明るい響きと虚無的な響きが同居するというのは、2017年来日の際に上演された大作『スカルダネッリ・ツィクルス』をも想起させる。ホリガー青春期の憧れだったクララ・ハスキルへの捧げ物の音楽としてこの音楽が現れるとは流石、常人とは感性の格が違うと言うしかない。
ホリガーの自作独演『コン・ズランチョ』は狂気を偽る正気の道化の恐ろしさ。喜劇を模した悲劇。いや? その逆か? 舞台上で独り高速のトリルで踊り狂うホリガーに音楽の悪魔的な相貌を目の当たりにした。
休憩中にホリガーが関わったCDの物販コーナーが出ていたので列に並ぶも休憩中にはコーナーまでたどり着けず。終演後並んだら筆者が最後尾になり、なんとか1番高いものを購入。ホリガーのサイン会は遠慮しておいた。
後半、ホリガーの1950年代の作1つ目、『オーボエとピアノのためのソナタ』はエレジー的に静かに2人が音を交換しあう。その後の現代音楽の時代のような超絶技巧はなく、感情的表現にくぐもった心の光が宿る。と思って聴き入っていたら突然キャラクターが変化してアイロニカルに2人笑い踊り、暗い深みに沈み、ピアノが弔いのような音を叩いて了。
ホリガーのピアノ・ソロ曲『ピアノのためのソナチネ』、バルトークとプロコフィエフを混ぜて冷やしたような、民俗的機械的舞曲とでも言うべき第1楽章アレグロ、バルトークというよりはコダーイのような親しげな素振りと荘厳なコラールが同居する第2楽章コラール、バルトークとその後の世代のシャンドール・ヴェレシュの系譜をホリガーが継いだ事がよくわかる、野生の論理が支配する激しい輪舞第3楽章アレグロ・モルト。今回のプログラム中最も盛り上がる作品とその演奏に会場から大きな拍手が。
ジョリヴェのごく小さな作品『オリノコ川の丸木舟を操る人の歌』は呪術的で、南米大陸的な感覚を覚えた。ホリガーのオーボエの音色が驚くほど太い。長い公演の箸休めにしては豪華すぎる。
サン=サーンスの小品『うぐいす』は作曲(1893年)当時ヨーロッパでの鳥のイメージがよくわかる。メシアンの『鳥のアルバム』とは全く違い、この頃の「鳥」は随分人間的に鳴くのだな。軽やかにも程があるホリガー。アルペジオはまさに神業。
プログラム最後のラヴェル『ソナチネ』はガラスで出来た宮殿のような構築性と自在な即興性のアマルガムのよう。ホリガーの息の伸び具合がすごいことになっている。長音でわずかにクレッシェンドをかけ、音が終わる直前にディミヌエンドをかける。また長音の音価も僅かに伸び縮みする。こう書くと簡単なようだがそんなわけはない。とにかく、オーボエもピアノも超絶技巧なのになんとみずみずしく、また肩に力が入り強ばることなくふうわりと柔らかいことか。最後まで音楽の喜びに満ちて了。
休憩含めて2時間以上の公演になってのアンコールは流石のホリガーも音程の制御が難しくなってきた感はあったが、リリ・ブーランジェの優美、ドビュッシーの夢幻、ミヨーの奇想、どれも美味しく頂いた。
84歳でかくも達者で音楽と戯れられるとはなんと羨ましい、とすら思ってしまう素晴らしい公演であった。一期一会の出会いに感謝を。
(2023/10/15)
関連評:大阪フィルハーモニー交響楽団 第571回定期演奏会|藤原聡
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<players>
Oboe: Heinz Holliger
Piano: Anton Kernjak
<Pieces>
(All pieces are played by oboe and piano ecxept especially mentioned)
Maurice Ravel: Pièce en forme de habanera
Kaddish
Olivier Messiaen: Vocalise-étude
Morceau de lecture à vue
Heinz Holliger: Lebenslinien for piano solo (Hommage à Clara Haskil)
Con slancio for oboe solo
Sonata for oboe and piano
Sonatina for piano
André Jolivet: Chant des Piroguiers de l’Orénoque, for oboe and piano
Camille Saint-Saëns: Le Rossignol for oboe and piano
Maurice Ravel: Sonatina(trans. for oboe and piano by David Walter)
(Encore)
Lili Boulanger: 2 Pieces No. 1. Nocturne
Claude Debussy: Petite pièce
Darius Milhaud: Vocalise Op.105