コンポージアム2017 ハインツ・ホリガーの音楽『スカルダネッリ・ツィクルス』 |齋藤俊夫

コンポージアム2017 ハインツ・ホリガーの音楽『スカルダネッリ・ツィクルス』

2017年5月25日 東京オペラシティコンサートホール
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 林喜代種( Kiyotane Hayashi)

<演奏>
指揮:ハインツ・ホリガー
フルート:フェリックス・レングリ
合唱:ラトヴィア放送合唱団
合唱指揮:カスパルス・プトニンシュ
管弦楽:アンサンブル・ノマド

<曲目>
ハインツ・ホリガー:『スカルダネッリ・ツィクルス』(日本初演)
(無伴奏混声合唱のための『四季』、フルート・ソロ、磁気テープと小管弦楽のための『スカルダネッリのための練習曲集』、フルート・ソロのための『テイル』の3作品が組み合わされた連作のため、以下、『四季』をα、『スカルダネッリのための練習曲集』をβと注記する)
第1部
 1.『春(II)』α    2.『夏のカノン4』β    3.『夏(II)』α    4.『断片』β
 5.『秋(III)』α   6.『8声部のコラール』β  7.『アルファベットの鐘』β  8.『冬(III)』α
第2部
 9.『パドルホイール』β 10.『夏(III)』α    11.『秋(II)』α  11a.『4声部のコラール』β
 12.『氷の花』β     13.『冬(I)』α    14.『迫奏(ストレッタ)』β 15.『春(I)』α
第3部
 16a.『葬送のオスティナート』β  16b.『春(III)』α    17.『夏(I)』α   18.『遠くの音』β
 19.『テイル』(フルート・ソロ)  20.『余白に』β    21.『秋(I)』α   22.『冬(II)』α

 

狂気に落ちたヘルダーリンが晩年、架空の日付とともに、自分の名前でなく「スカルダネッリ」と署名した一群の詩を題材とした、無伴奏混声合唱のための『四季』(今回の決定稿では楽器も使われる)、フルート・ソロ、磁気テープと小管弦楽ための『スカルダネッリのための練習曲集』、フルート・ソロのための『テイル』の3つが組み合わされ、全22曲、休憩などなしで演奏時間2時間半という伝説的大作『スカルダネッリ・ツィクルス』。
それを作曲者自身による指揮、演奏はアンサンブル・ノマドにラトヴィア放送合唱団、フルートにフェリックス・レングリという二度とありえない布陣で日本初演されると聞き、大きな期待をして演奏会に臨んだ。

そしてその伝説の真の姿は、全てが終わっても全貌がわからない、音楽的迷宮とでも呼ぶべき恐ろしい音楽であった。

筆者がテクストを読んだ限り、気が狂い死ぬまで塔にこもったヘルダーリンの詩自体には狂気などは感じられない。だが、『スカルダネッリ・ツィクルス』全体は儀式的とも言える厳粛さと共に、確かな狂気をはらんでいる。そして、作曲者ホリガーの圧倒的な知性がこの大作に宿る狂気を音楽として完成させている。

第1曲「春(II)」からして微分音(4分音に加えて8分音まで使用された)と特殊奏法を使用しつつ、微分音による和声(!)を管弦楽が奏し、原詩の1単語を1つの音節に切り分けた合唱(男声6人、女声6人)が、幽霊的な、不思議な、不気味な音響空間を作り出す。異界の音楽が始まった。

美しい音楽ではなかったのかと問われると、そうではないと返答するしかない。例えば第8曲「冬(III)」の、合唱を2階席の4つの場所にグループ分けして、グラスハープの持続音の中で、ドの倍音による和音を(正確な倍音を歌うために微分音が使われていた)指揮者の指示に従ってグループ別に断片的に歌い、ホールで鳥が飛び交いつつ鳴いているかのように聴こえる音楽は素直に美しかったと言えるだろう。

だが、全曲を聴いている時、本作は大いなる謎として現れた。
微分音と特殊奏法の多用は既に述べた通りだが、おそらくヘルダーリンの作品にサインされた日付(これはヘルダーリンの作品の書かれた年月日ではなく、全くのランダムな日付である)を合唱団が歌わずに読んでいるのだろうと思われる第5曲「秋(III)」、バッハのコラール「来たれ、おお死よ、眠りの兄弟よ」に基づき弦楽がハーモニクスで虚ろに音を交わし、奥では合唱がごく遅いテンポでコラールを優しく歌う第12曲「氷の花」、息を強烈に楽器に吹き付ける奏法など息の音の様々な形を聴かせてくるフルート・ソロの第19曲「テイル」、テープで人間の可聴領域の限界の高音と低音を流し続け、微分音による粘液的なねとつくポリフォニーが奏され、やがてヴァイオリンとコントラバスが可聴領域の上下に消えゆく第20曲「余白に」、合唱が低音の倍音唱法で歌っているらしいが、筆者の耳にはのどをつぶしたうめき声にしか聴こえず、コントラバス、バス・クラリネット、コントラバス・クラリネットが影のようにそれに従う終曲「冬(II)」など、どの曲も尋常ならざる、今までどこでも聴いたことのない音楽であり、2時間半筆者は自分がどこにいるかわからず、音楽の迷宮をさまよっているかのような気分であった。

そして、そのような謎めいた連作ながら、全22曲が何故か物語的とも言える連関性を持っていたことも特記しておきたい。各曲が過激とも言える発想で書かれつつ、全曲が一つの作品としての論理構成を持っていた。作曲者はそれを全てを計算して作曲=構築したのだ。だが、その論理構築物は、美しいとも不気味とも言える、逆説に満ちた異形の作品。
恐るべしホリガー。またそれを今回完璧に演奏したレングリ、ラトヴィア放送合唱団、アンサンブル・ノマドも尋常ではない技量であった。

音楽的迷宮と本作を喩えたが、現代音楽、あるいは前衛音楽とは本来作品ごとに新しく、先の読めない、迷宮を探検するがごとき音楽体験をさせるものではなかったか。
本公演はそんな現代音楽の原点を改めて体験させる、またとない、そして二度とないかもしれない奇跡的な演奏会だった。

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追記:第1曲「春(II)」では4分音が一箇所で使われているだけで、微分音による和声は使われていないとの指摘を受けた。