Back Stage |ジャンルレスに、楽しみたい|串田千明
ジャンルレスに、楽しみたい
Text by 串田千明(Chiaki Kushida)
私事から記します。
もう40年近く前の話です。中学生の頃、夏休みにクラシック音楽のCDを買いに友人と東京に出かけたことがありました。在来線で片道2時間の道のりです。群馬では入手しづらかった輸入盤が目当てでした。その折、銀座の天ぷら専門店で食事をしました。
この仕事をしていると同じ姓の大御所演出家との縁を尋ねられることがありますが、他人です。通っていた大学はその演出家のお父様が哲学を教えていた時期があったので、古参の教授連中から親戚かと訊かれることもたびたびありました。思わせぶり曖昧に返事して相手の反応を愉しんだものです。
実家は天ぷら屋でした。お店は高崎駅のほど近く、今の劇場ができるまでこの街のステージシーンの中心だった群馬音楽センターから歩いて10分ほどのところにありましたので、鑑賞前後のお客様にもよくご利用いただきました。私自身もコンサート前にカウンターで軽く腹ごしらえするには重宝していました。
中学生の私が立ち寄ったのは、父が修業したお店でした。炎天下、屋号を手掛かりに交番で尋ねながら行き着いたそのお店は、カウンターの目の前で揚げていくスタイルや使っている胡麻油、添えられた香の物の種類が同じことはすぐに気づきました。ただアラカルトの揚げ単品に天ぷら御膳と天丼のみというメニューは衝撃的でした。
実家のお店は天ぷら屋の看板は掲げていても、地域のお客様の要望で刺身や焼き物、季節によっては鍋料理なども提供していましたので、そのシンプルさが信じられなかったのです。その晩、帰宅後に父に真っ先に伝えたのはその品数のことでした。品数が多い実家のお店に感じたアドバンテージに共感を求めた報告だったのですが、父から返ってきたのは「本当はそういうふうに商売してみたい」という期待に反した言葉でした。
ホールの自主事業企画に携わって10年になります。年間ラインナップを一覧していると、いまでもあの晩の父の言葉がよみがえってくることがあります。
■街の精神を受け継いで生まれた「高崎芸術劇場」
高崎芸術劇場はクラシックに特化した施設ではありません。
2019年9月に開館したこの劇場は、オーケストラなどクラシック音楽の演奏会以外にも、ミュージカルやポップス、歌舞伎などの伝統芸能までさまざまな公演を行っています。
もともと、高崎には1961年に建てられた群馬音楽センターがありました。全国の音楽ホールの草分けとして、さまざまな音楽や舞台の鑑賞機会を提供してきました。また群馬交響楽団の本拠地として、数々の名演奏が繰り広げられてきました。
しかしながら、コンサートや舞台芸術の公演形態が時代とともに変化する中で、群馬音楽センターは施設の老朽化やホールとしての構造や機能の限界により、現代のエンターテインメントやパフォーマンスの演出や表現に対応できないという課題を抱えるようになりました。
オペラやバレエ、ミュージカルなどの公演は舞台の広さや高さが足りないために、なかなか開催されない状況になっていました。またクラシックの演奏家や音楽ファンからは、群馬交響楽団の演奏活動や創造性を高めていくためにも、もっと響きのよいホールを待望する声が高まってきました。
群馬音楽センターがさまざまな課題を抱えながらも60年に及び培ってきたこの街の音楽の歴史や文化創造の熱い精神を受け継いで生まれたのが高崎芸術劇場です。質感が高く響きもよい。そして多彩なステージの鑑賞を可能にしたのがこの劇場です。私はここが“ジャンルレス”にステージを楽しめる空間だと思っています。
■3つの個性の異なるホール
高崎芸術劇場は「大劇場」(2,027席)、「スタジオシアター」(舞台可動式でスタンディングで約1000人まで収容可能)、「音楽ホール」(412席)の3つのホールを擁します。これらは全く異なる個性を持っています。
群馬交響楽団の定期演奏会場でもある「大劇場」は、幅広い演出に対応できる舞台機能を備えた高機能なホールです。高崎市民にとって悲願だったオペラやバレエ、ミュージカルの上演も実現しています。2023年にはオペラではパレルモ・マッシモ劇場(6月)、ボローニャ歌劇場(11月)を、ミュージカルでは海外キャストによる「ウエスト・サイド・ストーリー」(8月)の来日公演を予定しています。
このホールがオーケストラ公演の翌日にライヴ会場へと一気に様変わりするのも日常的な光景です。それもこの街の“土地柄”と言えるかもしれません。伝説のバンドBOØOWYを生んだ高崎はロック・ファンには“聖地”。遠方からの来訪者が絶えません。JR高崎駅の新幹線ホームの発車メロディはこのバンド出身の世界的ギタリスト布袋寅泰さんの「さらば青春の光」が流れます。また劇場の玄関近くには布袋さんのトレードマークの「ギタリズム」柄のマンホールも設置しています。
「スタジオシアター」は平土間から7間舞台まで多様なパフォーマンスに対応できる可動式舞台を持ちます。スタンディングのロックコンサートから演劇、さらに専用の能舞台を用いた古典芸能まで幅広い公演を展開しています。
特にジャズではBLUE NOTE TOKYO(BNT)とアーティストの共同招聘を行っています。開館当初に立ち上げた企画で、BNTにとっても公立劇場とのコラボレーションは初の試みでした。海外渡航が再開した昨年からはロン・カーターさん(ベース、昨年8月)やスティーヴ・ガッドさん(ドラムス、今年1月)といったレジェンド級のミュージシャンの来演が実現しています。
昨年9月に来演したピアニストのボブ・ジェームスさんは通常は持参した電子ピアノを使用する方ですが、リハーサルの際に会場のスタジオシアターの雰囲気を感じ取り、急きょ劇場のグランドピアノを弾くことを決めました。この判断にはBNTの関係者も驚いていました。ジャズ界の巨匠がリハーサルの合間に弾くチャーミングなスカルラッティやシューマンを耳にできたことは思いがけない役得でした。
「音楽ホール」は本格的な響きにこだわった音楽専用ホールです。リサイタルにも適した空間で、若手演奏家によるリサイタルとCDリリースを前提とした録音を組み合わせた「T-shotシリーズ」はこれまで9回実施しています。
イーヴォ・ポゴレリッチ(2020年2月)やイザベル・ファウスト(2019年11月と2021年11月)、ミハイル・プレトニョフ(今年9月)など、通常1,000~2,000人収容の会場で行うような海外演奏家のリサイタルもこの小ホールで行っています。
■ホールをハシゴする楽しみ
このような個性の異なるホールを渡り歩く楽しみを多くの方に味わってもらえたらと日々思っていますが、自然とそんな流れが劇場内に生まれています。
先月4月23日は午後に音楽ホールで「ネマニャ・ラドゥロヴィチ&ドゥーブル・サンズ」の弦楽アンサンブル、夜はスタジオシアターでコンテンポラリー・ジャズのカリスマ「リチャード・ボナ」のライヴのそれぞれ主催公演を開催しましたが、両公演とも楽しんでいるお客様をたくさんお見受けしました。生気みなぎるグルーヴ感は二つのステージに通じていたかもしれません。
またこの日は大劇場では貸館公演で人気ロック・バンドのライヴも行われていましたから、劇場のロビーは装いも、胸に残る余韻も異なる多様なお客様で賑わいは最高潮に達していたわけです。劇場で仕事に就きながらそんな空気に包まれているのは至福の時間です。いろんな喜びが混ざり合った空間が、やはり私には向いているようです。
串田千明(高崎芸術劇場 事業企画担当部長)
高崎芸術劇場で鑑賞いただいた丘山万里子さんのコラムはぜひご一読いただきたいです。この街の空気を感じていただけます。
カデンツァ|高崎で群馬交響楽団を聴いたときの話|丘山万里子
(2023/5/15)
LARRY CARLTON “Thru the decades”
supported by Blue Note Tokyo
2023年6月28日(水)19:00開演(18:30開場)
高崎芸術劇場 スタジオシアター
【出演】
ラリー・カールトン(ギター)
トラヴィス・カールトン(ベース)
マーク・ドウシット(サックス)
ロバート・バレット・グリーン(トロンボーン)
ルスラン・シロタ(キーボード)
ビリー・キルソン(ドラムス)ほか
http://takasaki-foundation.or.jp/theatre/concert_detail.php?key=1113
群馬交響楽団×高崎芸術劇場
GTシンフォニック・コンサート vol.2 『ザ・モーツァルト』
2023年7月29日(土)14:00開演(13:00開場)
高崎芸術劇場 大劇場
【出演】
飯森範親 群馬交響楽団常任指揮者(指揮)
アイレン・プリッチン(ヴァイオリン)*
上野由恵(フルート)**
吉野直子(ハープ)**
群馬交響楽団
【曲目】オール・モーツァルト・プログラム
ヴァイオリン協奏曲 第5番 イ長調 K. 219 「トルコ風」*
フルートとハープのための協奏曲 ハ長調 K. 299(297c)**
交響曲 第41番 ハ長調 K. 551「ジュピター」
http://takasaki-foundation.or.jp/theatre/concert_detail.php?key=1001
T-Shotシリーズ vol.10
水野優也 チェロ・リサイタル
2023年8月9日(水)13:30開演(12:45開場)
高崎芸術劇場 音楽ホール
【出演】
水野優也(チェロ)
吉見友貴(ピアノ)
【曲目】
バッハ/無伴奏チェロ組曲 第1番 BWV1007
ブリテン/チェロ・ソナタ ハ長調 Op.65
ブラームス/チェロ・ソナタ 第2番 へ長調 Op.99
マルティヌー/ロッシーニの主題による変奏曲 H.290
http://takasaki-foundation.or.jp/theatre/concert_detail.php?key=1028