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イギリス探訪記|(5)信仰と歴史と幽霊と…|能登原由美

イギリス探訪記|(5)信仰と歴史と幽霊と…|能登原由美
Another Side of Britain (5) Faith, History, and Ghost

Text & Photos by 能登原由美(Yumi Notohara)
The photo of the Replica memorial brass of Robert Fayrfax by The Cathedral and Abbey Church of St Alban

私の住むセント・オーバンズ(St. Albans)は、ロンドンから快速電車で20分という地の利もあって、近年はコミューター・タウンとして人気を集めるが、イングランドでも屈指の古い街であることは意外と知られていない。なんといっても、その起源はアングロ・サクソンが到来する以前の、古代ローマ時代にまで遡る。市内には野外劇場など当時の賑わいを示す遺跡があり、辺り一体から発掘された遺物を展示する博物館もある。名前の由来となった聖人アルバヌスは、同国で最初に殉教したキリスト教徒として知られているのだ。その結果、古来多くの巡礼者を迎えたことも、その繁栄に一役買ったらしい。

セント・オーバンズ大聖堂

アルバヌスの処刑地とされる場に建つセント・オーバンズ大聖堂が、音楽の歴史と深い関わりをもっていることを知ったのは、街外れにあるフラットに移ってまもなくのことであった。古くからオルガン音楽のメッカとして知られ、聖歌隊の優れた伝統があったということだけではない。先月紹介したジョン・ダンスタブルも、この聖人に因む作品を残していることなどから何らかの関わりがあったと考えられている。ただし、定かではない。一方、資料が乏しく立証の難しいこの中世の作曲家とは異なり、比較的多くの記録が残されているのが、ここでオルガニストを務めていたことで知られるロバート・フェアファクス(Robert Fayrfax, 1464-1521)。イギリスにおいてルネサンス音楽が花開く、16世紀の初期を代表する作曲家でもある。

首都ロンドンからそれほど遠くない場所にあったためであろうが、この教会はもともと宮廷と深い繋がりをもっていた。当然ながら、ここに奉職する音楽家もその身分は国内トップクラスで、王室礼拝堂(Chapel Royal)に匹敵するものであったという見方もあるほどだ(1)。フェアファクスはなんと両者を兼任しており、その点を見ても当代随一の作曲家であったことは間違いないだろう。そればかりか、とりわけ宗教音楽においては次世代への様式的影響が大きかったことが明らかになっており、世紀後半に訪れるエリザベス朝教会音楽黄金時代のパイオニアとしての役割は誰もが認めるところだ。

資料室に向かうトリフォリウムの廊下

彼の音楽に関する資料が何かないかと問い合わせたところ、アーカイブ担当者へと繋いでくれた。ケンブリッジやオックスフォードなどに比べると知名度は劣るけれども、専門の資料室があるあたりはさすがである。建物だけでも千年以上の歴史をもつこの大聖堂の重みが、ずっしりと響いてくる。あるいは、骨董市やアンティーク・オークションが今なお根強い人気をもつ国だ。古いものを尊重する精神がここにも表れているということなのかもしれない。いずれにしても、その部屋は堂内の身廊上部にあるトリフォリウムと呼ばれる教会建築特有の階にあった。そこへ行くには、壁の内側に設けられた狭い螺旋階段を経て、ノルマン時代のものという石柱に沿った細い通路を歩かなければならない。今でこそ鉄製の手すりがついているから危険は感じなかったが、それがなければ足がすくんでいただろう。少なくとも、ひとたび下を見たらそれ以上は前に進めそうもない。昔の人はどのようにしていたのだろうか。法衣をまとった修道僧の歩く様子がふと頭に浮かぶ。

セント・オーバンズ大聖堂の資料室

たどり着いた資料室は、屋根裏部屋のようなところにあった。扉を開けてすぐに目に入ったパソコンとともに、気持ちは一気に現代へと呼び戻される。最近はどこでもアーカイブのデジタル化が進んでいることを考えると当然なのだが、一瞬、時の間隙に落ちたような眩暈に襲われた。気を取り直し、中央の机を見ると、担当者がフェアファクスの関連資料を丁寧に揃えてくれていた。ただし、期待していたものとは異なり、楽譜はいずれも現代譜に直されたもので、しかもそのコピーであった。というのも、ここは当初は修道院(St Albans Abbey)であったため、ヘンリー8世治世下の宗教改革時に断行された修道院解体(1536-41)により、それ以前の貴重な文書類は没収されてしまったのだという。前回のダンスタブル訪問の際に遭遇した宗教動乱の影響を、ここでも再び目の当たりにすることになったのだった。無念そうに語るアーカイブ担当者の口ぶりからは、500年も昔の国王が行った暴挙の余韻が今なお続いていることが感じられた。なお、解体後は教区教会として存続し、現在の形である大聖堂になったのは、1877年のことだ。

大聖堂内陣の床面に嵌め込まれたフェアファクスの墓碑

一方、ここはフェアファクスの埋葬地でもある。その場所を示す金属製の墓碑が、聖堂内の内陣にあるというので見せてもらった。こちらもオリジナルはもはや失われ、没後400年目を迎えた1921年に復元されたものだという。そこからすでに100年以上が経過し、劣化を防ぐために普段はカバーがかけられているのだが、それでも表面は摩耗してかなり見えにくくなっていた。後から送ってもらった画像で確認すると、作曲家とその妻の姿が描かれるとともに、彼らがこの地に眠ることを示した文章が彫られていることがわかる。調べると、このプレートの内容は17世紀にスケッチされたという古い記録が元になっているらしい。ただし、実際の復刻までにはさらに200年余りを要している。つまり、その間はこの古文書さえ表に出ることがなかったということだ。フェアファクスの存在も、どこまで知られていたのだろうか。実際、イギリスでは19世紀後半に入り古楽復興の気運が高まり、ルネサンス期の教会音楽に対する再評価もそこから始まった。この墓標の主もその波に乗せられ、20世紀に入ってようやく再び日の目を見るようになったと考えるのが自然なのかもしれない。

フェアファクスの墓碑(©︎The Cathedral and Abbey Church of St Alban)

再興を示す出来事はこればかりではない。彼と大聖堂との関係を裏付ける聖アルバヌスを讃えたミサ曲も長らく行方不明になっていたが、1920年に再発見され、翌1921年10月に死後400年を記念して蘇演されたのであった。ちなみに、その演奏に先立つ数日前に、誰もいないはずの深夜の大聖堂からこの曲が聞こえてきたという「ゴースト・ストーリー」も教えてもらった。初めは取り留めもない笑い話の程度にしか受け止めなかったが、つい2年前にあった没後500年記念時のラジオ特集番組でも、イギリス・ルネサンス音楽の専門家によって紹介されているのを聞いて驚いた。もちろん、彼らも幽霊の存在を本気で信じているわけではないだろう。むしろ、「イギリス音楽の復興期」といわれた20世紀初頭、ドイツ音楽の影響下で長らく見過ごしていた自国の豊かな音楽文化に色めく当時の風潮を物語るエピソードと見做せるのかもしれない。いずれにしても、数百年もの間に生じた自らを取り巻く環境の変化に一番驚いているのは、この建物の地下に眠る作曲家自身ではないだろうか。

この大聖堂とは直接関係はないが、ルネサンス最後にして最大の作曲家とも言えるウィリアム・バード(William Byrd, c. 1540-1623)が、この7月に没後400年を迎える。そのため、昨秋以降、全国各地で彼の作品が歌われるようになってきたが、ここでも四旬節に入って時折歌われるようになった。カトリック教徒でありながら、英国国教会を確立させたエリザベス1世の政権下で国教会の音楽をも創作し、さらに女王より楽譜出版独占権も授与されるなど才能と環境に恵まれたバード。だが、カトリックへの弾圧が強まると自らの信仰を貫くべく地方に隠棲し、ひっそりと生涯を終えている。そのため墓標などはなく、その埋葬地も長らく不明であった。そう考えると、宗教改革前に亡くなったフェアファクスはまだ幸いだったのかもしれない。この大聖堂やバードが被った動乱を目の当たりにすることはなかったのだから。バードのミサ曲を聴きながら、ふとそのようなことを考えた。

それにしても、礼拝時の寄付でさえキャッシュレスになった現代だが、音楽を一つ紐解けば、そこには信仰と歴史、さらには幽霊伝説までもが今なお呼び戻されてくる。英国の奥深さをつくづく実感するところである。

(2023/3/15)

(1)John Caldwell, The Oxford History of English Music Vol. 1 (Oxford: Clarendon Press, 1991), 210.