カデンツァ|音楽の未来って (14)梅本佑利作品・考 (3) 私はなぜ、あんな文章を書いたか|丘山万里子
音楽の未来って (14)梅本佑利作品・考 (3) 私はなぜ、あんな文章を書いたか
“Where does Music come from? What is Music? Where is Music going?”
“ D’où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?”
(14)Memo/Yuri Umemoto (3)
Text by 丘山万里子(Mariko Okayama)
先号に続き、『梅本佑利作品・考(3)』として「なぜ、あんな文章を書いたか」を述べ、今回のひとまずの結語にしたい。
拙稿へのご批判の多くは、批評としての客観性を欠く主観・印象の垂れ流し、ただの感想文、匿名のブログと同類レヴェル、はたまた勝手な思いこみによる誹謗中傷(言うからにはエビデンスを示せ)といったものであった。
印象批評とのご指摘はいかにも古典的だが、人間存在が主客(こうした弁別も一考すべきだが)を抱える以上、これまでもそうだったし、これからもそうした批判は続くだろう。
ただ、AIの登場で、客観評価なら任せて、にいずれなることは自明。
データ収集による数値化でのまさにエビデンスが、主観に偏る印象批評など蹴散らしてゆくのは目に見えている。
大衆啓蒙期は吉田秀和で終わったし、バブルでの広告要員期も終わった(まだ残滓はあるが)。
クラシック界などというものも消滅し、音楽インフルエンサーの活用が視野に入る一方で、戦後高度成長とともに築かれた業界システムの瓦解はパンデミックにより一気に進み、10年後と思っていた景色がもう眼前に。
そんな中で、批評が何ものかであり続けることなど可能かどうか?
私は本誌創刊時点(2015)で、人々が通常「批評」と呼ぶものでない何かを探していたし、今も探している。
なぜ、あんな文章を、は、その模索の一つといえば、あまりに独善にすぎるだろうか。
少しく説明してみよう。
私は日本の作曲家論が専門ゆえ、古くは山根銀次と山田耕作の戦犯論争、あるいは山根の武満徹デビュー時の「音楽以前」、さらにかつて『音楽芸術』誌で展開された作曲家同士、あるいは作曲家と批評家の歯に衣着せぬ論議論争、己を信じる主観と主観のぶつかり合いを「古き良き時代であるな」と愉しく散策する。
未来を見るに過去を学ぶのは必須だが、今ここに生きる自分の位置とこれからを見定めるのは本当に難しい。
20数年前に主宰した音楽批評紙で、作曲家と批評家、あるいは聴衆、読者間の素朴で生真面目な論議(人呼んでラッヘンマン論争)を経験したが、その論議の終わりに、こう書いている自分を見つけて笑えた。*
「今まで批評家として生きてきて、いつの間にか着込んでしまった節度、良識、見識、常識といった業界服を一枚一枚脱ぎ捨てられるか。あるいは明治以来の西洋音楽受容史のなかで、知らず知らず硬直化した価値観のすべてを一から考えてみる作業を、皆さんと一緒にできるか、模索しているわけなのです。」
やれやれ、いまだに着込み、模索している私であるな。
そもそも「批評家として生きてきて」って何なんだ?
その自覚が、このところずっと、あった。
そんなとき、遭遇した春祭当該公演。
いっそ、地雷を踏んでしまえ。
ここで一番大事なのは、そういうところに私を立たせたのは、他でもない、梅本氏の音楽とその言葉であったということだ。私はそれを単なる「アクシデント」とは捉えなかった。全てを一から考えよ、と問う「なぜ」がたくさん詰まったでっかい塊が、突然、私に降ってきた。それにひとまずぱっと食いつこう。
誰もが納得するような論旨論考でまとめようとは思わなかった。
タイトルと解説から受けた衝撃を、素のまま、出す。
知らない私と、知った私の間の段差を、読んでくださる方が一緒に体感してくれたらいいな、と思った。
一緒に走って、落っこちて、なんだ、これ?
ゆえ、時系列に、自分に起きたこと、変化を流し書きした。
「これらは執筆時に整理して述べれば済む話であり、この点だけを見ても冷静さと品位に欠く悪しき執筆姿勢の典型である。」(川島素晴氏投稿文)とのご批判を頂いたが、私は整理できなかったのではなく、したくなかったのだ。
さらに間をおいての、「これは若者たち(作曲・演奏・聴衆)の確信犯的合意のもと」「アンチを装い、仲間内<界隈>で盛り上がっているだけではないか」との文言。
作品脱稿から演奏家とのやりとり、解説執筆、サイト記載も含め、ステージ上演までにどんなプロセスがあったか知らない。それは一般聴衆の、誰もが同じはずだ。
ただ、音だけ聴いて大拍手した私と異なり、解説をちゃんと読み、演奏を享受・喝采した人々は、あの場で何を共有し得たのか。
《現代美術と音楽が出会うとき》と言うなら、村上隆のフィギュア『マイ・ロンサム・カウボーイ』『ヒロポン』的イメージか?それと商品・大量生産・消費との文言はどうつながる?
ごく一部の限られた人にのみ想起可能なモノへの違和感を音と解説で提示した、そこでやろうとしたことは「なに?」。
お上品なクラシック(しかも賑々しき「メジャー」春祭)で、タブーに挑む?
表現の自由?それがアンチ?
のち、ステートメントでこれらの問いへの応答がなされたが、そこからまた考えたい事柄は生まれてゆくわけで、それについては前回書いた。
また、仲間内、と断ずるならそのエビデンスを、は、聴衆層は現代音楽関連でよく見かける作曲家、師弟、音楽ライター、それに展示作品関連らしき数名その他、としか言えない。
全て折込ずみの理解者がいたとして、その人々は何をどう理解していたのか?
再度言う、ごく一部の限られた人のみ想像可能な「違和感」の内容とは?
だからこそ、どういう人が、なにを感じたか、私は知りたかった。
あまりに問いがありすぎて、性急にまとめられるものではない。
だから、自分が感触したものだけは、そのまま材料として出しておく。
だから、「筆者を含む当日参集の方々全てに、この問いは投げておく。」
自分だけ、好きなことを好きなように書いて、問いを投げる、とはなんたる傲慢。
と思われようが、とりあえずこの場は、そのまま「私の出来事」を活写する、主観憶測剥き出しの言葉で。
それしかできなかった。**
それが批評家のすることか?
公的言論の場での私的暴発ではないか?
先述したが、私は人々が通常「批評」と呼ぶものでない何かを探して、本誌を立ち上げた。
『Messege』にあるように、
批評は、いらない。
のだろうか。
と問うている。
深く受け止め、深く考え、深く論じ、人間の「良識」を探る場となることを願う。
批評は、呼びかけ、と考えて。
と述べている。
今回の暴発をどう周囲に言われようと、私は常にその途上でしかなく、これから先もそうだろう。
自分の「わからない」に人を巻き込むな?
いや、わからないからこそ、問いを発し合えればと私は願う。
何か書きたい、という衝動は、対象がなければ生まれない。
だから、梅本作品(音と言葉)にぶつかって私が受けた衝撃、いわば「未知との遭遇」をそのまま吐き出した拙稿に、梅本氏も含め応答くださった全ての方々に私は深く感謝している。
佐々木裕健氏の結びにあった以下の言葉。
梅本氏の今後の活動に期待したいのは、ステートメントでより詳しく説明された社会に対する問題意識を具象化した作品の創作を重ね、複数の作品が一つのパッケージになるように構成することです。近年のサブカルチャーを題材にした作品群など、一作一作は興味深くとも、まだ点と点のままで線としての繋がりが未だ見えません。が、彼ならその先をいつか見せてくれると信じていますので、じっくり待つつもりです。
その作品群に、点を結ぶ線を(パッケージを)見たい、という佐々木氏の言葉に、私は同意する。さらに前回ご紹介した川島素晴氏の『五線紙のパンセ』で語られた「遊び」の楽しさが描くであろう「未来図」を、私は見たい。
私は今回、多くを学んだ。
前回、梅本作品を遊園地作品と言い、日本のリミックス力をそこに感触したのは、皮肉でも揶揄でもなんでもない。創作の「原型」がここにこそあるのでは、というある意味、私的妄想物語だ。リミックス力については『音楽の未来って (3)楽譜を読むとは〜日本のリミックス力』で既述している。
この妄想物語に、小林秀雄「批評するとは自己を語る事である、他人の作品をダシに使って自己を語る事である。」(『アシルと亀の子Ⅱ』)を見てもらって構わない。
思春期にこの言葉に出会った頃、小林は『本居宣長』を『新潮』に連載中で、私はそういう世代だ。
けれども、演奏でも創作でも、新しい地図がこれから描かれてゆくだろう、と思っている。
批評はいつでも現象の後追いでしかないが、でもそれぞれの向き合い方で、それぞれの言葉で言語化されてゆくことの中に、見えてくるものもあろうと私は願う。
「批評」であれ「批評家」であれ、呼び方がなんであっても。
名称、肩書きなど、どうでもいい。
未来を開く何か、誰か、が、こうしたやりとりの中から現れてくれることを願っている。
最後に。
関わってくださった全ての方々、ありがとうございました。
言いっぱなしでない形を、なんとか創って行きたいと思っています。
そして、文筆を専門とする自分の土俵に引っ張り込むな(投稿のお願い、などという高圧的態度で)というご批判については、多くを考えさせられました。
上述の通り、誌面上でチャンバラしていた時代を知る私、本誌『五線紙のパンセ』での作曲家の方々の見事な論や率直なエッセイに触れ、感嘆と驚きの中に多くを学ぶ私として、SNS上での断片的応酬は言葉と労力のあまりにもったいない消費としか思えず、そうではない形での新たな相互交信の形と場を考える必要があることを改めて実感したことをお伝えしておきたいと思います。
とりあえず今は、いつでも、どなたでも、ご投稿をお待ちいたしております、ですけれども。
*『ブリーズ』(2000年4月1日号〜6月1日号)
私の当時の記事のタイトルは「おそれず、懼れて」で、まるきり2017/10/15号のカデンツァ「恐れず、恐れよ〜書く、とは」と同じなので、自分でも唖然とした。
** 拙稿掲載にあたり本誌メンバー数名と校正者から助言をいただいたが、私はそれに従わなかった。掲載後は、メンバー全員から様々な意見、率直な批判をいただき、論議の場も設けた。本当にありがたかった。今後に生かすべく、努力する所存です。
(2022/8/15)