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特別寄稿|作曲家と演奏家の対話 XII:紙芝居・ギバニッツァと寿司|アレクサンダー・ダムニアノヴィッチ & 金子陽子

作曲家と演奏家の対話 XII:紙芝居・ギバニッツァと寿司

アレクサンダー・ダムニアノヴィッチ & 金子陽子

>>>作曲家と演奏家の対話
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金子陽子 (Y.K.)

2年半の間投稿させて頂いた『私のフランス、私の音』最終回、2022年6月号のコラムで、日本を代表する歴史のある食文化『寿司』の世界制覇について書いたように (特別寄稿|私のフランス、私の音|Sushiと緑の瞳|金子陽子 |) 新鮮な魚の極上の身を使って作られる寿司は、世界中の人々の好物となっただけでなく、茶道、映画、ゲームと同じく日本人のアイデンティティとなってしまったようだ。
そして、日本に行った経験のない外国人達が抱いている日本とその文化への愛情に、私は実に至る所で出会い感動する。しかもその愛情の対象はというと、ほぼすべての分野が網羅されているのだ!

『北斎漫画』葛飾北斎・画。19世紀

さて、日本の庶民の劇芸術「紙芝居」は、日本文化のもう1つの大黒柱「漫画」からインスピレーションを受けている。そして当の漫画は、世界的に著名な浮世絵の大御所、葛飾北斎が実はルーツであり、その北斎の芸術はフランス印象派のルーツ、大家クロード・モネ自身も夢中になっていた。モネが収集した見事な北斎や広重作の浮世絵のコレクションは、今日博物館となっているジヴェルニーのモネの家の内部に所狭しと展示されている。

 

アレクサンダー・ダムニアノヴィッチ (A.D.)

フィリップ・ロベール / Philippe Robert /フランスの俳優、劇作家、イラスト画家

先日、私達はパリの近郊のフェスティバルで、フランスのブルターニュ地方出身の俳優、フィリップ・ロベール氏の紙芝居を観た。最初の驚きは、フランスの俳優が日本の伝統的な芸術を真剣に7年来伝承し続けているということ。第2の驚きは、彼が日本語をかなり流暢に話すということ。しかし驚きはそれだけではなかった。彼のお陰で、貴女はこの機会に紙芝居を含めた日本の歴史の側面を知り、更に彼が日本の舞台芸術を他の文化に脚色していたことを知った。このフェスティバルで彼が子供と大人の為に構想した4つの短い演目のうち、2つはアフリカの地方民話、1つはアメリカの黒人達の運命を語っており、日本を題材にした演目は1つだけだったのだ。

Y.K.

紙芝居のルーツは日本の「絵巻」という、巻き紙に描かれた絵で史実を物語るものだった。

2021年に再発見された承久の乱を描いた絵巻。毎日新聞による写真

11世紀に作られた、バイユーのタピスリー /Tapisserie de Bayeux

フランスではというと、バイユー市(Bayeux, モンサンミッシェルの近く)に保存される、1066年にノルマンディ公「ギヨーム」が躍進、勝利して英国の王となった経緯を実に詳細に渡って描いてある11世紀の長大なタピスリーが、同様な存在だと言える。

ただし「紙芝居」は、2つの役割を持っていた。地域の子供達や住人を集めて生活を活性化し、消費を促していた他に、『公』、或いは『プロパガンダ』的な、政治や国際ニュースを人々に報道する、という役割も担っていたのだ。1950年代は、テレビが各家庭にまだ普及していなかったということも興味深いが、当時の日本にはなんと5万人もの紙芝居師が居たという! 今日では、幼稚園などの教育現場を中心に紙芝居が日本では引き継がれているが、海外でもこのように多くのアーティストが紙芝居に魅せられている。紙芝居において、語られる内容が自由であるために、それぞれのアーティストの個人的な創造が可能なのだ。そのために、1人で脚本、語り、歌、演奏(彼は楽器の音を声で上手に真似する!)を見事にこなすフィリップの様な、多才でしかも日本に精通したアーティストが世界の紙芝居の発展に貢献しているのだと私は思う。

(フィリップ・ロベール氏のフランス語のオフィシャルサイトはこちら SITE

終演後、日本語とフランス語を混ぜてやりとりしつつ、この芸術の持つ果てしない可能性というものをフィリップは私に気付かせてくれた。彼は若者達向けの「視聴覚」言語への入門教材としての紙芝居の役割に注目しているという。彼によれば、各自の批判精神が不在な今日の消費社会の中で、紙芝居を使った教育はフェイクニュースや裏工作を見破れる理解力の育成に役立つとのことだ。

A.D.

ある特定の伝統内で異文化が混ざり合うという現象は、それぞれの国を代表する食文化の一般化とそのリミットの問題を私達に喚起する。

その国の名物料理が、一般化という名目で、実際のところどこまで順応(実際は変換だが)できるか、すでに大変ポピュラーとなった料理にその例が見られる。1970年代のイタリアのピザ、そしてギリシャのギロ(ケバブの名称で今日親しまれている)などがその一例だ。そして日本の寿司も、大変な人気となって、今日ではパリのどの通りでも購入できるようになった。先日、とある通りのレストランの看板の「ピザと寿司」を両方提供、との表示が、貴女の冷ややかな笑いを誘っていた。確かに、このレストランの料理人は、美味しいピザと寿司を両方、もしくはどちらか一方 (或いは、どちらも満足できない程度?) を料理できる腕が一体あるのだろうか? そして同じように、貴女が私に、塩味でなくスイートなギバニッツァ(セルビアを象徴する有名な伝統料理で、貴女もなかなか器用に調理する)を作る事は可能か?と質問した時に、私も同種の笑みを浮かべ、更に、我がセルビア国のギバニッツァが、ケバブや寿司のようにいつの日か国際的な人気を得て、街の至る所に店が並ぶ様になった暁には、自分が一体どのように反応するのだろう、とも想像したものだ。

今回の対話に、思いがけないテーマを私達が選ぶことになったのはこのような経緯だったのだ。「紙芝居、ギバニッツァと寿司にどんな関連性が一体あるものか?」と読者の皆さんは首を傾げたことだろうが、それは普遍の可能性があるということなのだ。紙芝居は今の時点では世界中の俳優が演じる程普遍的にはなってはいない、しかしながら、そこで投げかけられる質問は、「アフリカやアメリカの黒人の物語を扱った紙芝居は本当に紙芝居と言えるか?」となる。これは即ち内容(contenu)と容器(contenant)、もしくは、既知の言い方だと、根本と形態の問題という訳だ。日本とは無縁な内容を与えつつ、一体どこまで紙芝居の形態を保つことが可能なのであろうか。

Y.K.

紙芝居について言えば、これは、各国の才能溢れたアーティスト達のお陰でその「容器」が一人歩きを始めたと言えると思う。一方、寿司については、私達日本人の内面により浸透しているため、話は異なってくる。ここでは、「容器」でなく、「内容」が肝心なのだ。寿司は現実の日々の食事というものに関わっているし、先祖から引き継がれた食習慣、日本の地理、天候、環境、そして歴史とも当然密接な関係を保っているため、人間の生活と食文化の近親性は一目瞭然であろう。そして、私が考えるには、食文化は恐らく言語と同じ位置を占めるだろう重要な要素。食べ物は、私達の身体だけでなく精神性をも形成すると言える。近年の寿司の世界進出については、私はまるで自分が褒められたような、誇り高い気分にはなるものの、フランスの街角で、外見や詳細が誤解され、間違った寿司を見かけることも往々にしてある。それが近頃とても気にかかるようになり、寿司のあり方自体が、まるで私の祖国のアイデンティティの一種と化してしまっているようだ!

正統的な寿司(?)かどうかのチェックポイントとして、丸い日本の米を少量の酒、昆布を入れて炊く。寿司飯にするためには米酢を使う。刺身の厚さは薄すぎず厚すぎず。盛りつけ方は、斜めに少しずらす。箸はきちんと平行に寄せ、決して交差させたり斜めに離したりしないこと。ワサビと、砂糖入りではない塩味の醤油でいただく等等。

パリでは寛容なエスプリで規則に捕われない、しばしばアジアをルーツに持つ新しい世代が、あらゆる種類の寿司を、チーズ、フォアグラ、果てはチョコレートクリーム入り、、までをクリエートして販売しているという。それを耳にした私が顔をしかめるなら、「美味しいなら別にいいじゃない?」という反応の仕方もある。何故なら、その地で手に入りやすい食材を使えば良いことで、それは日本で魚や貝類が豊富なのと同じだから、と。そして、結局のところ、これこそ歴史が立証してきたいわゆる「自然選択の法則」というものなのではないか?
「寿司の運命は未来が決めること」とも言ってしまえるのだろうか?

A.D.

もし伝統的な寿司で使われるのと違った魚を使った場合、それでも寿司と呼べるのだろうか? 魚に添える食材が違ったら(例えば米の代わりにパスタ)それでも寿司なのだろうか? もし、ワサビの代わりにアラビアの香辛料を使ったら、、等等。問題は質に関するもの(食材の品質)と量に関するもの(例えば握り寿司の刺身に対するすし飯の量)両方にも関係するだろう。もし純粋主義者を自称するならば、質、量ともに規定を絶対的に守って、例外を認めてはならない。貴女も知っている様に、フランスでは、限られたフランスパンの製造店しか「パン職人」という名称を(チェーン店も含めて)使えない規則が作られた。又、何年か前、ギリシャ人達が、「フェタ」というチーズを登録商標として申請してこの名称を使用する権利を得たため、今日彼ら以外の製造者は『羊乳のチーズ』としか商品の外装に表記できなくなっている。もしかしていつの日か、日本も国の文化財である寿司の元祖の作り方詳細を登録し、保護することになるだろうか?
それはセルビア国の象徴的な料理ギバニッツァにしても同じである。しかしこの話題は貴女に紹介してもらうことにしよう。何故ならこれにまつわるエピソードは貴女の個人的な文化的財産であるからだ。

Y.K.

私がギバニッツァを初めて口にしたのは、1987年のクリスマスにデトモルトからブダペストに向かう夜行寝台列車の中だった。(このエピソードは2020年11月号でも書いている)6つベッドがある寝台個室で、生まれ故郷のベオグラードに帰省するユーゴスラビア人(現セルビア国)の家族と同室になった折のこと。首都ベオグラードはその列車の終点だったのだ。寝台車に一晩揺られ目覚めた朝、ブダペストで私が降車する前に、子供連れのその家族の母親が、暖かい笑顔で、朝ご飯として私に自家製の塩味のチーズパイの一切れを分けてくれたのだ。私はドイツとハンガリーに同じ様に留学した楽友を訪ねるべく、パリに留学後初のヨーロッパ単独旅行の道中だった。その美味しいチーズパイの風味は私の孤独な心を暖め、自分の胸の奥底に思い出としていつまでも宿っていた。後にユーゴスラビア紛争が勃発した折に私の脳裏を真っ先に走ったのは、この寝台車での朝ご飯であった。

A.D.

その話の続きは私がバトンタッチをして、個人的な文化遺産がどのようにして集団的なものになるかをご覧に入れることにしよう。貴女が2年前に私にこの思い出を語ってくれた時、貴女はチーズパイの概要を説明したものの、名称は知らなかった。貴女の説明を聞いた私は即座にこれはギバニッツァであると結論し、貴女の眼の前でその料理を作って見せた訳だ。貴女は何十年も経った後に同じ味に再会し、以来しばしばこのパイを焼いてはこの料理が大好物となった娘達を喜ばせ、セルビア人が貴女宅を訪問する折にも振る舞う自慢料理となった訳だ。セルビアの伝統的家庭的なイメージ、セルビアの妻達、母親達のイメージと直結しているこのパイを日本人の貴女が作る(しかもその完成度はかなり高いことも明記しておこう)のを見て、彼らはまず驚き、試食した暁にはそれは魅了となる。

今回のテーマの核心のために詳しく説明しなければならないが、貴女が使う食材は必ずしもセルビアで入手できるものと同じではなく、パリのトルコ系食材店で入手したものだ。しかしながら、それ以外では、貴女はギバニッツァを作るにあたっての我々の伝統を大切に守っている。その反対はギバニッツァの「つう」達を仰天させる。1980年代、フランス人のジャーナリストの友人がセルビア人達とギバニッツァを楽しく食べながら「甘いギバニッツァを作ってみるのってどう?」と口走ったところ、一緒に居たセルビア人の1人が私にセルビア語で「てめえのともだちに馬鹿げたことを口走るのを止めさせろ」と怒りに満ちた眼差しで言い捨てたことを思い出す。彼にとってこのことは冒涜、いや罵りでもあったという訳だ。

(2022/7/15)

お知らせ
アレクサンダー・ダムニアノヴィッチ作曲の『3つの瞑想曲』が鵠沼のレスプリフランセにて8月5日(金曜日、17時開演)に金子陽子によって日本初演されます。公演詳細は主催のサイトでご覧頂けます。

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アレクサンダー・ダムニアノヴィッチ
1958年セルビアのベオグラードに生まれ、当地で音楽教育を受ける。高校卒業後パリに留学し、パリ国立高等音楽院作曲科に入学、1983年に満場一致の一等賞で卒業後、レンヌのオペラ座の合唱指揮者として1994年まで勤務すると共に主要招聘指揮者としてブルターニュ交響楽団を指揮する。1993年から98年まで、声楽アンサンブルの音楽監督を務める。1994年以降はフランス各地(ブルターニュ、ピカルディ、パリ近郊)の音楽院の学長を務めながら、指揮者、音楽祭やコンサートシリーズの創設者、音楽監督を務める。
作曲家としてはこれまでに、およそ10曲の国からの委嘱作品を含めた30曲程の作品を発表している。

作品はポストモダン様式とは異なり、ロシア正教の精神性とセルビアの民族音楽から影響を受けた、合唱のための『生誕』、ソプラノとオーケストラのためのフォークソング、ヴァイオリンとオーケストラのための詩曲、ハープシコードのための『エルサレム、私は忘れない』、オーケストラのための『水と葡萄酒』など、また他の宗教文化の影響を受けた、7つの楽器のための『エオリアンハープ』、弦楽オーケストラのための『サン・アントワーヌの誘惑』、声楽とピアノのための『リルケの4つの仏詩』、合唱とオーケストラのための『ベル』などが挙げられる。

音楽活動と並行して、サン・マロ美術学院で油絵を学んだ他、パリのサン・セルジュ・ロシア正教神学院の博士課程にて研究を続けており、神学と音楽の関係についての博士論文を執筆中。

2019年以来、フォルテピアノ奏者、ピアニスト、金子陽子の為にオリジナル作品(3つの瞑想曲、6つの俳句、パリ・サン・セルジュの鐘)「アリアンヌの糸」と「アナスタジマ」のピアノソロ版が作曲されて、金子陽子による世界初演と録音が行われた。

Entendre

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金子陽子
桐朋学園大学音楽科在学中にフランス政府給費留学生として渡仏、パリ国立高等音楽院ピアノ科、室内楽科共にプルミエプリ(1等賞)で卒業。第3課程(大学院)室内楽科首席合格と同時に同学院弦楽科伴奏教員に任命されて永年後進の育成に携わってきた他、ソリスト、フォルテピアノ奏者として、ガブリエル・ピアノ四重奏団の創設メンバーとして活動。又、諏訪内晶子、クリストフ・コワン、レジス・パスキエ、ジョス・ファン・インマーゼルなど世界最高峰の演奏家とのデュオのパートナーとして演奏活動。CD録音も数多く、新アカデミー賞(仏)、ル・モンド音楽誌ショック賞(仏)、レコード芸術特選(日本)、グラモフォン誌エディターズ・チョイス(英)などを受賞。
洗足学園音楽大学大学院、ラ・ロッシュギュイヨン(仏)マスタークラスなどで室内楽特別レッスンをしている。
これまでに大島久子、高柳朗子、徳丸聡子、イヴォンヌ・ロリオ、ジェルメーヌ・ムニエ、ミッシェル・ベロフの各氏にピアノを、ジャン・ユボー、ジャン・ムイエール、ジョルジュ・クルターク、メナへム・プレスラーの各氏に室内楽を、ジョス・ファン・インマーゼル氏にフォルテピアノを師事。
2020年1月にはフォルテピアノによる『シューベルト即興曲全集、楽興の時』のCDをリリース。
2022年秋にはチェロの巨匠クリストフ・コワン氏とモシェレスのデュオ作品をフランスで録音予定。パリ国立高等音楽院、サンクルー音楽院、ボビニー市立音楽院、エコールノルマル音楽院で後進の指導にあたっている。パリ在住。
https://yokokaneko.wordpress.com/