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三つ目の日記(2022年4月)|言水ヘリオ

三つ目の日記(2022年4月)

Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio)

 

見聞きしたものから派生した/生え出た蔦をたどっとその芯芽を
久しぶりにこの原稿を記しているファイルを開いたら、日記の冒頭に上の一行があった。自分で入力したものに間違いないが、記憶にない。「たどっと」は「たどって」の誤記だろう。何か書こうとしてメモを残したつもりだったのかもしれない。

 

2022年4月8日(金)
入口手前に掲示された短いテクストを読んでから会場へ。紙に化粧品で描いている。作品タイトルである、年・月・日を示す数字とそれらを区切るピリオドはその作品を描き終えた日付。絵のある紙はパネルとの間により小さいサイズのパネルを挟み、全体を包んでいる。大きな作品は人のからだを覆うくらいの大きさ。小さな、全体に柔らかみを感じさせる作品と、パネルではなく粒のようなものが内側に挟まれている作品もある。画面が立体的に押し出され、内包されたものと紙の接点に緊張が生じている。口紅の色の描線がのびている。面として塗りつぶしたというよりは、線の集積で埋め尽くしたように見える。照明と作品の角度の関係か、間近から見上げるように位置を変えると、正面からは見えなかった黄色が見えたりもする。アイシャドウ、チークなども使われている。自画像であるというこれらの作品。特に顔の部分に使用する化粧品で描き、それが自画像となる、ということを考える。日々の時間の流れる中、描くということで残された自分。「あなたは、私」という展覧会のタイトル。他者である「私」に映しだされる私という「あなた」。表面の内部になにかを入れることにより絵の画面に「角度を出したい」と作者は言う。角度の内側、描かれている紙のもうひとつの側に、角度のついた隙間の空間が生じている。

 

 

今実佐子個展「あなたは、私」
ギャルリー東京ユマニテbis
2022年4月4日〜4月9日
https://g-tokyohumanite.com/exhibitions/2022/0404bis.html
http://konmisako.com
●「2022.03.07」 2022年 162.0×130.3cm 化粧品、紙、パネル(下)

 

同日
古いビルの地階の、階段の下の洞窟のような空間。床に人間くらいのサイズの木の板が置かれ、作者が一心になにか書きつけている。入口の外からそれを眺める。作者は書くのをやめ、もうひとつの空間へと移動する。無人となった洞窟のような空間に踏み入り板を見ると、半分には「ニゲロ」、もう半分には「ドコヘ」と、それらがわずかに混在もしながら、決まった向きで数多く記されている。板の奥には映像のモニター。消える雲と、竹の生えた地を整えて畑にし、耕していく様子が高速で流れている。見ている間、もうひとつの空間からなにかを引きずる音、さらに、なにか大きなもので引っ掻いているような轟音が響いてくる。音が止んだタイミングで、様子をうかがいに行く。人が通れるくらいの余白を残し、床に木の板が敷かれ、両手で抱えてようやく持ち上げられるほどのごつごつした岩石がその上に乗っている。岩石には太い金属線が巻いてあり、それを手にして引きずることができるようになっている。隅に立てかけてあるレーキのような道具の先の部分を見ると、短い鉛筆が13本刺さって歯になっている。壁には3枚の木の板が並び、それぞれに糸でグラファイト(黒鉛)の塊がぶらさがっている。別室で文字を書くのに使っている糸の結ばれた小さな石もグラファイトであるという。床の板の上には、岩石を引きずって生じた赤黒い粉が跡として残っている。天然のベンガラの塊が岩石に多数付着していて、それが削れて粉になる。30分毎に岩石を引きずって回る、どちらに回るかは決めずにからだの回りたい方向に回る、そのように作者は説明する。ベンガラ。酸化鉄。染料・顔料であり、魔除けとしても用いられる。
時間が来て、行為が始まる。板の上での木と岩石の擦れる音。淡々と岩石を引きずり続ける作者。ときおり回る方向が変わる。その動作をやめると、その場を鉛筆のレーキでならし始める。轟音が地響きする。壁に立てかけた板のグラファイトに手で力を加える。揺れた跡が板に残る。そこまでが、一連の作業のようであった。
その行為に何回か立ち会い、閉廊の時間がくる。2週間の会期中、休廊日以外会場へ通いこの作業を続けるという。「世の中のことが自分を通してなにか出てくる」と作者は言う。

 

 

風震計 コノヨノフルエヲハカル 藤井龍徳
巷房2、階段下
2022年4月4日〜4月16日

 

4月11日(月)
伊藤亜紗の「ふれる」と「さわる」に言及した短いテクストが、案内葉書の片面に載っている。会場に入り手渡されたA4判8ページのパンフレット。途中で、一旦しまったそれをとり出して記載のテクストを読む。「近所の公園の風景」がモチーフになっていることを知る。のちに、それにとらわれ「風景画」として絵を見てしまっていたのに気づくこととなる。各種の絵具、ちぎった紙、植物。画面に置かれたそれらの画材の表面を視覚でなぞっていくことに熱中する。時間がかかるが、作者の費やした時間に比べればほんのわずかにすぎない。そうして一枚の絵をいったん見終えて次の絵へ。展示されている作品をすべて見終えたらまた同じことを繰り返す。見ることが、続いて見ることの動機となり、体験が変化していく。

 

 

石村実展 ─触覚性絵画─
ギャラリー檜B・C
2022年4月11日〜4月16日
http://hinoki.main.jp/img2022-4/c-3.jpg
http://ishimura.html.xdomain.jp
●触覚性絵画No.31 油彩絵具・コラージュ・ミクストメディア・画布 91×91cm

 

同日
会場内は薄暗く、壁の上下やや下の方に投影されている映像の光景の変化が、ほかの作品にも反映する。住まいのベランダの、鉢植えのレモン。その花を至近から撮った写真が撮影日と時間を小さく記され並んでいる。間に福島県双葉郡楢葉町山田浜海岸の朝早くまだ暗い海の写真。台の上に、かつて発表した絵画作品が寝かせた状態で側面を見せて積まれ、色の層をなしている。映像の奥の台の上には、レモンのジャムの入ったガラス瓶。写真に写された花はときに威勢よく蕾をつけているようであったが、環境の変化にいまは枯れてしまったのだと聞く。部屋をさまよい、沈思する。家に帰って、深夜、シューベルトの『白鳥の歌』を聞く。

  

 

Lemon─中根秀夫展
Galerie SOL
2022年4月11日〜4月16日
https://hideonakane.com/works/2022L.html
●《Lemon, 2018-05-01 07:22》 155×234mm lambda print

 

4月14日(木)
医院の待合室にて、青空文庫で梶井基次郎の「檸檬」を読む。この短編小説は1925年1月発行の同人誌『青空』に掲載。

 

4月16日(土)
すでに見た展示へもう一度でかける日。
「石村実展 ─触覚性絵画─」へ。主にパステルで描かれた絵、主にアクリル絵具で描かれた絵、主に油絵具で描かれた絵など、主な画材を使い分けて描いていることについて作者に尋ねる。その画材での描き方がある、さまざまな描き方をしたい、ということであるらしい。やや厚く盛り上がっている絵具の表面を観察すると、油絵具とアクリル絵具とで盛り上がり方が若干異なっているようである。鉛筆、絵具、ちぎられた紙の小片、枯れた色の植物の葉や茎。紙の小片は、色紙であったり、あらかじめ何か描いたあとで細かくちぎったと思われるものであったりする。葉や茎が、画面の枠からすこしはみ出している作品が数点。触覚ということに関する考えが、湧いては打ち消されを繰り返す。「近所の公園の風景」がモチーフならと、風景画を見ているつもりになっていた。だがこれらの作品は、〇〇画というようなところを目指しているだろうか? 始まりの動機から、描くことの継続と終わり。いつしかそのようなことを見るように自分の目が変移していた。描かれた時間が浮かび上がる。作品へと至る過程で動かされた作者の手。その痕跡にふれていく行為を、いつのまにか行っていたのかもしれなかった。

 

 

●触覚性絵画No.30 アクリル絵具・コラージュ・ミクストメディア・紙 40×56cm

 

同日
「3000回まであと〇〇回」と作者は言った。ベンガラの岩石を引きずって板の周りを回る数を数えているようであった。方向も右回りと決まったらしく、勢いよく一方向に岩石を引きずっている。板の上では、ベンガラの粉が濃い赤土色で長細い角丸長方形の跡をつくっている。その音を聞きながら、隣の部屋で、畑を耕す映像と板の上の文字を見ていた。無数の文字は重なりもはやほとんど判読できない。板は畑、文字は耕した跡。そんなふうに空想する。板は人でもあり、文字は止まない問いの跡。畑を耕すということはそういうことではないだろうか。板の上に細かなグラファイトの欠片がいくつも散らばっている。ふと、来場者の大きな歓声があがった。3000回達成の瞬間が訪れたようであった。自分は隣の部屋にいたため、その瞬間を目撃することはできなかった。しゃがんで会話を始める来場者と作者。震えは作者を通し伝わり作品として刻まれる。あと一時間ほどで終了する「風震計 コノヨノフルエヲハカル 藤井龍徳」の会場をあとにする。

 

 

 

同日
「Lemon─中根秀夫展」の会場に入り、なにげなく振り返ると壁の映像に月が映っている場面。小さく虫の音が聞こえる。数歩進み、台の上に横にした状態で積まれている絵画作品の前に立つ。見えているのは側面の部分で、この展示ではそここそが見える部分となっている。覗きこめば上面と下面も姿を見せている。3点並んでいる海の写真の暗さに目を凝らし、防潮堤の続く海岸、そのさきの浜やテトラポッドなど海水と接する現地を想像する。レモンの写真は、6点と6点、2点と3点、サイズおよび作品と作品の間隔が異なっている。映像。しばらく見ているうちに、光の明滅として見えてくる。名の来場者が皆、映像に引き込まれてそちらの方を向いて静止している。10分おきにリピート再生されるこの作品の、数分の短い休止時間に、その時だけ道ができて渡れる島へ行くように、映像の光の通る空間の向こう側にある台の上にひとつ置かれたガラス瓶の作品に近づくことができる。壜の中にレモンのジャムとスライスされた一片のレモン。会場の、四角く平たいもののなかに丸みを帯びたものがある。私はしばらくそれを眺めていた。

 

 

●《Lemon》/ 2022 φ65×75mm lemon jam, glass jar(左)
●《Phase 5~9》ちいさなくに – in a small realm / 2021より Word: Yurihito Watanabe | Video: Hideo Nakane(中)
●《Sky》Camera Lucida / 2010より 410×318×21mm(6枚組) acrylic on paper(右)

 

4月30日(土)
space & cafeポレポレ坐にてアラン・セクーラ&ノエル・バーチの映画『忘れられた空間』を見る。帰宅後、アラン・セクーラに関する論文の載っている本を図書館で予約。

(2022/5/15)

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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。2010年から2011年、『せんだいノート ミュージアムって何だろう?』の編集。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、『etc.』の発行再開にむけて準備中。