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三つ目の日記(2022年1月)| 言水ヘリオ

三つ目の日記(2022年1月)

Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio)

 

毎日日記をつけるようになって何年か経った。ノートにボールペンなどで、何時頃起きたか、何を食べたか、どこへ行ったか、など最低限のことだけを書いている。たまに読み返しても面白いものではない。その後、自分のブログでも別の日記を書いて載せるようになった。そっちは、本当はすべて作り話にしたかった。しかし考える時間がかかってしまって自分には荷が重いため、逆に、起こったことだけを記し、作り話のように書いている。そしてこの日記が三つ目の日記。見た展覧会について記すことにしている。どうして日記をつけているのか尋ねられたことがある。尋ねた人との会話の中では確か、記してから眠りにつくことで、自分を保ち、今日と次の日を繋げるという試みを行っている、ということになった。

 

 

2022年1月6日(木)

雪の降る寒い日。下高井戸シネマで濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』を見る。古い自動車を大切に乗る主人公は役者であるらしい。屋外でのワークショップのシーン。芸術作品に触れた際、あるいは日々におけるふとした訪れとして、「なにかがおこった」のを垣間見ることはときどきある。目の前で、普段見られない特別なことが発生していると感じられたとき、自分の外部でそれが起こっているのをただ眺めているのではなく、自分自身にもそれが起こっている。個人としても、役柄においても、生きる術として身につけざるを得なかったものごとが、各々ある。自動車の運転と車内の犬。

 

 

1月7日(金)

シアター・イメージフォーラムでカール・テオドア・ドライヤー監督の『ゲアトルーズ』と『裁かるゝジャンヌ』を見る。これまで本などでその名称を目にする機会が多くありながら見ていなかった後者の映画終盤、迫害される主人公の、火あぶりのためからだをくくりつけた縄の一部が外れ落ちた場面を見て、それを神意のあらわれと解釈した瞬間からだが震え始めた。映画が現実に対して異を唱えたようであった。

 

 

1月15日(土)

戦争の際に掘削され使われた、海辺などに見られる洞窟状の壕。その写真の展示を2018年に見た。その作品の写真集を先日入手し、展示のときには気にしなかったこと、もしくは忘れてしまったことを、記載のテクストを読んだりしてあらためて知った。略歴を辿ると、その後のいくつもの展示を見逃していたようだ。今回、掘削面および石や植物の残骸の落ちている地面、波と岩の見える海面、人工的な岸壁付近の写真15点と、映像作品1点が展示されている。撮影地は、神奈川県三浦半島と千葉県房総半島に囲まれた、東京湾沿岸とその近辺に分布。どの場所も自分にとっては未知で、写真の撮影地を確かめても、その地に特徴的なものが写っているようには見えない。繋留された船、その周りの資材と機器、閉鎖された通り道、駐車場、朽ちたコンクリート。常に変化し、変化させられ続けることを止めない海と陸のきわ。一点、大きな写真があった。岸壁の一部が倒れ、内側の柵をゆがませている。その向こうの海の右側4分の3くらいに伸びている長い防波堤と、その左側の水平線。その上方に空がある。写っている空から、その手前の海面へと、視線で触れる。そして海面から、奥の空へと戻る。無意識に幾度もそれを繰り返しながら、海を眺めているときに目を覆う光を思い出していたのかもしれない。映像作品は、高台から海を一望し遠くには富士山が見える場所や、そこから鉄道の線路を挟んでほどない所にある広く平らな地、などで撮影されている。どちらも現在は公園施設となっており、遊び、憩う人の姿もある。前者は砲台の、後者は弾薬庫のあった場所である。映像のモニターの前の台に、この展示に際して作者の記したテクストおよび小さく写真の印刷されている紙が積まれていた。1枚持ち帰り、帰宅して読む。風景を光景としてとどめておくということ。記録。

 

 

篠田優 写真展 on the record|海をめぐって
Alt_Medium
2022年1月7日〜1月19日
https://altmedium.jp/post/665367259630469120/篠田優-写真展on-the-record-海をめぐって
https://shinodayu.com
●篠田優 写真展「on the record | 海をめぐって」会場風景 ©Yu Shinoda

 

 

1月17日(月)

定形外の大きな封筒で郵便が届く。封筒の中には手製の紙袋が入っており、その中には宇宙に関する書籍の数ページをコピーしたものが入っていた。2次元にはうらもおもてもない、といった内容。紙は薄いが立体物であり、うらもおもてもあるだろうが、うらをおもてにすればさきほどのおもてはうらになり、といった具合で、そんな不確定な様態を信じられない、片面にうらもおもてもあっていい、みたいな話を郵便を送ってくれたこの方にしたことがある。

 

 

1月18日(火)

ネット配信で坂本欣弘監督の『もみの家』を見る。田舎の自立支援施設が舞台となっている。映画の中に、その年の祭の獅子舞を、新たに寮生となった主人公が練習を重ねていよいよ舞う、という場面があった。まったくの素人であり外部からやってきた者が、町の祭の大事な役目を担う。これは映画の中だけのストーリーではなく、各地で実際にこのようなことが行われているのではないだろうか。熟練の獅子舞であれば、舞いはより華麗だったであろう。だがそうはしない。それから、獅子舞の練習中におはぎを風呂敷に包んで訪れた「おはぎ名人」のおばあさん。この人は、おはぎコンテストで優勝したりしたわけでもなく、ただこの町で「おはぎ名人」と呼ばれ親しまれているんだろう。心を閉ざしがちな主人公が、おばあさんのつくったおはぎを口にした瞬間目を見開いて劇中初めての声にもならない歓声をあげる。

 

 

1月21日(金)

KMアートホールで「それぞれのエレクトロニクス 明日は明日の風が吹く」を聞く。演奏が始まるまで、曲の説明が記された紙に目を通す。池田拓実の「万障除け」の文に、内容をほとんど理解してはいないが興味を持った。3曲目にその曲の演奏が始まる。自分の席からは演奏の様子はほとんど見えなかったのだが、弦楽器のようなものを棒のようなもので叩いたりしていただろうか。説明から察するに、「物理乱数生成器」として使用されたものを介して曲が生成されていたのだろう。音の発生源としての演者による演奏。スピーカーからの音とともに、叩いている?生音も聞こえてきていた。この曲の背景や成り立ちに着目して聞くのが鑑賞の仕方なのかもしれないが、説明を読み、演奏風景を視野に入れ、聞く、ということしかできなかった。今後ほんの少しの知識を得たとして、次も同じように聞くことしかできないのだろう。終演後、「drop E」「emulsificación」「descending」という3曲の入ったCDを入手。帰宅して聞く。何も知らない自分のような者がこれらの音楽を聞いておもしろがっている。これはどうしてなんだろう。

 

 

1月23日(日)

ネット配信でクリント・イーストウッド監督の『グラン・トリノ』を見る。グラン・トリノというのは自動車の車種名。自動車会社で働いていた主人公がかつて手がけ、大切に所蔵している一台である。

 

 

1月25日(火)

『グラン・トリノ』の終盤をもう一度見る。おとといは直視することにたえられず上の空で見てしまった部分。時間が経てばきっと忘れてしまうのだが、集中して画面をよく見、字幕を読み、聞き取れない英語に注意する。ここで感動してしまう自分の心性はどうなっているのだろう。自動車の運転と車内の犬。『ドライブ・マイ・カー』の同じ状況のシーンを思い出す。その映画でも犬は助手席にいたのだっけ。音楽も映画もどんどん進んでいく。絵や写真や彫刻は静止しているのだろうか。

 

 

1月28日(金)

この作者の展示を見るのは今回で3回目。前回は会場内に切れ端みたいな木がたくさんあったように記憶している。今回は、壁一面と言っていいような大きな作品が数点、隣の部屋に「額装」された小さな作品が数点。確かめたわけではないので定かではないが、素材は紙、木の板や木片、キャンバスの切れ端、石、など。そこに絵具あるいは樹脂のようなものでなにかしら施されている。一点の大きな作品の横に、写真が貼られていた。北海道にある、かつては農耕馬の馬舎として使われていた建物と、建物入口扉の写真。作品は、紙にその扉を転写したものであった。扉自体は現地に存在している。扉に作者自作の黒い油絵具が塗られ、紙が圧しつけられ、紙と扉との距離がなくなり、絵具が紙に移りふたたび距離が発生し像が左右反転して作品となる。作品は壁に、よく見かけるタイプの持つところが透明なプッシュピンで留められている。転写、印を捺す、などにおける虚と実。考えると堂々巡りをしてしまう。物とその影。隣室の小さな作品の多くは、切れ端あるいはその組み合わせでできているように見える。何か描かれている場合でも、円やひび、きずのようなものが、年を経ることによってそうなってしまったかのように大胆かつひっそりと記されているのではないだろうか。作者は北海道帯広出身。故郷での作品制作および展示、ということも行っている。農耕馬小屋の廃屋を転写したこともある。今回の他の作品に使われている五右衛門風呂や丸鋸も、馬小屋にあった道具の類のようである。作品に人の営為を思い、作者における故郷ということを考える。十勝で制作している「巨大じゃがいもアート」は、世界から送られたこどもの作品とのコラボレーションであると聞く。絵を描くような環境にないこどもが初めて描いた絵なども見られるらしい。

 

 

浅野修展
銀座K’s Gallery、銀座K’s Gallery-an
2022年1月19日〜1月29日
http://ks-g.main.jp/exhibition/20220119/index.shtml
http://www7a.biglobe.ne.jp/~asano_osamu/

 

 

(2022/2/15)

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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。2010年から2011年、『せんだいノート ミュージアムって何だろう?』の編集。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、『etc.』の発行再開にむけて準備中。