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漢語文献学夜話|National Character of My Study|橋本秀美

National Character of My Study

Text by 橋本秀美

三十数年前、私が大学で教えを受けた戸川芳郎先生は、中国文献を外国のものとして見る必要性を強調されていた。固より外国のものなのに、「外国のものとして見る」ことを強調する必要が有ったのは、日本では近世以来、訓読が普及していて、いわゆる「漢文」が当然の基礎教養ともなっていたからだ。一般には、戸川先生の師である倉石武四郎が、訓読を止めて、同時代の中国の学者と同様に現代中国語音で漢文を読むようになったことが画期的であった、とされており、戸川先生はその後継者ということもできる。
但し、日本において、現代中国語をよく知らない人を相手に、現代中国語音で音読するのであれば、それは象徴的パフォーマンス以上の意味を持たない。逆に、例えば倉石武四郎の師であった狩野直喜のような人は、中国古典語を言語として十分に理解していたと考えられるので、たとえ読み上げるのが訓読であったとしても、その読解力において倉石武四郎に劣ったとは言えないだろう。本当に問題だったのは、日本語として使われる漢字の意味・用法を基本に、多少の注意点だけ押さえておけば、中国古典語を理解するには十分だとする横着な考え方と、そのような乱暴な読み方で漢文を理解できているとする歪んだ自信だった。中国古典が如何に深く日本の言語や文化に浸透しているとはいっても、中国語と日本語との間の距離は、類推で埋めるには大きすぎる。
幸い私は戸川先生に教えを受け、倉石や狩野の学問に親しむことが出来たし、「某先生は三十歳までは日本語の文章を書かないと言っていた」といった話も聞いていたから、中国の中国古典語の教科書から勉強を始め、外国語として中国古典語を学ぶことになった。そもそも、狩野・倉石の世代なら幼少期から訓読で大量の漢文を読んでいた訳だが、私などは訓読と言っても高校の薄っぺらな漢文教科書以上のものを知らなかったのだから、訓読ではなく中国語として学習するというのは自然の成り行きでもあった。

[美]包弼德先生の名著(「美」はアメリカのこと)

その後、1994年から北京に留学して、北京大学の倪其心先生と、中華書局の王文錦先生に就いて学ぶことができた。留学するに当たって、私は『儀礼疏』のような文献が読めるようになりたい、ということしか考えていなかった。『儀礼』を含む儒家経典の解釈は、中国の伝統学術の核心であったが、当時の中国では、経学(経典解釈学)を学ぼうという人は極めて稀だった。共産党による儒教批判の影響がまだ深く残っていたし、経済発展が始まって間もない頃で、皆金を稼ぐのに忙しく、古典など振り向いている余裕は無かったからだ。だから、倪先生も王先生も、「経学を勉強してくれるなら、お前がどこの国の人間でも構わない」と私を歓迎してくれた。「学問に国境は無い」という言葉も、お二人の先生からそれぞれ聞いたことが有る。

ハーバード大学教授「包弼德」先生

ある時期、病気で入院されていた王先生に、私は中国名を考えてくれるよう依頼し、喬秀岩という名前を頂いた。私が思うに、中国語の名前は、簡単な漢字を使ったものでありながら、独自性が明らかなものが望ましい。王先生が付けてくれた名前は、その条件を完全に満たしていたし、「岩」には王先生と私に共通する一種へそ曲がりな性格に通じるイメージも有り、正に理想的であった。それ以来、中国語で文章を書く場合にはこの筆名を愛用している。

アメリカ副大統領「賀錦麗」閣下

欧米の中国研究者は、高本漢・費正清・包弼德といったように、中国名を使う人が多い。研究者以外でも、例えば昨年アメリカの副大統領となったKamala Harrisは、「賀錦麗」という中国名を持っていたりする。一方日本の中国研究者は、本名以外の中国名を持たない人が殆どで、漢字名がそのまま中国語音で呼ばれる。私は、中国語の文章を発表する際に、本名を使うことを避けてきた。何故なら、本名を使えば、作者が日本人であることが一目瞭然で、良くも悪くも「日本人の書いた文章」という色眼鏡で見られることを避けられないからだ。日本人の文章は見たくない、と思われるのも、外国人なのにスゴイと思われるのも、有り難くない。文章は、作者とは切り離して、文章そのもので評価して欲しい。

独裁政体である中国では、政権に対する求心力を維持する為にも、自国と外国との区別が常に強く意識されている。最近は、大学で外国の書籍を教材とする場合は、事前申請が必要という有様だ。書籍であれ論文であれ、作者が外国人であれば、作者名の前に[日]とか[英]といった国籍符号を付けなければならない。幸い、私は関係諸氏の理解と信頼を得ることが出来ており、書籍でも論文でも、「喬秀岩」は[日]無しで済ませてもらっている。もちろん、喬秀岩が日本人であることは検索すれば直ぐ分かり、秘密でも何でもないが、[日]という帽子が付いているかどうかは、やはり読者の姿勢に少なからぬ影響を与えていると思う。

私が北京大の博士を卒業して二三年、2002年に、倪先生と王先生は前後して世を去られた。研究の方向が違うので、私がお二人の具体的学説を継承・発展させたということは無かったが、お二人とも強固な批判精神と文献に対する謙虚な態度を持っておられ、私はお二人に対して絶対的信頼と深い共感を持ち続けている。二千年の時間幅で経典解釈学を見ているので、学説の当否の判断基準が、時代によって大きく変わるものだということは身に染みている。その上で、学者の業績をどう評価するかと考えれば、問題になるのはやはり、精神や態度だろうと思う。経典の解釈で、どれが正しいといった議論には大した意味は無い。鄭玄や劉炫や顧千里や段玉裁や金鶚や、そして倪先生や王先生は、何といっても学術的人格として面白く魅力的だ。そこに、特に中国的という要素を感じることは、少なくとも私は無い。
中国と日本の文化を較べた場合、最大の差異の一つとして、政治的要素の大きさを挙げられるかと思う。中国では、何事も政治から自由にはなれない。学術において国籍が強く意識されるというのも、その一つの表れだ。例えば、以前見かけた中国の文章で、日本の宋元版研究を概観して、阿部隆一や尾崎康先生の研究は江戸時代以来の版本研究の伝統を継承するものとする記述が有った。私に言わせれば、これは「日本」という政治的レッテル張りを学術史に流用したもので、実際には、阿部・尾崎の宋元版研究が直接継承したのは、「中国の」趙万里の版本学に他ならない。
思えば、倪先生や王先生が「学問に国境は無い」と言っていたのも、強い国境意識を前提とした言い方で、その点では政治的であり、中国的だと言えるかもしれない。しかし、それを言うならば、倉石先生や戸川先生が、あくまでも外国語として中国文献を読むことを強調されたのにも、ある意味では政治的意味が有った。近世から近代にかけて、日本でも中国に対抗する民族意識が高まったことが、その背景に在ったからだ。
今、私が中国古典文献を読む際に、自分が日本人だという意識を持つことは無い。だからといって、自分が中国人だと意識している訳でも勿論ない。何国人だといった概念が出てくる理由もきっかけも無いし、そんな意識が役に立つこともない。古典文献をどれだけ良く理解できるかは、読書・思考の経験にかかっているのであって、中国籍なら良く読めて、日本国籍だと理解力が劣るなどということは有り得ない。

それでも最近、私は折に触れて戸川先生のことを懐かしく思い出す。自分の読書の成果を報告して、一番喜んでくれるのは戸川先生だろう、という思いが有る。それはやはり、私の価値観あるいは興味関心の在り方が、狩野・倉石・戸川の諸先生に近いからだと思う。倪先生や王先生が経学や文学の内容や思想に究極的関心を寄せていたのに対し、狩野・倉石・戸川先生らは文献の読解そのものにより強い関心を寄せていた。そこは、日本的なのだと言えば言えるのかもしれない。しかし、倪先生・王先生にしても、或いは顧千里などにしても、文献に向き合う時の真摯さに変わりはない。新たな歴史認識を考えてみたり、論文を書いたりという創造的作業には、社会・文化的要素が強く影響してくるだろうが、文献の理解はそうではなく、殆どの場合、どちらの理解がより適切であるかは、誰の目にも明らかとなる。
中国古典文献を「外国のものとして見る」ことは、実は、真摯に虚心に文献に向き合うことに他ならない。私自身、中国文献を読む時に日本対中国という意識を持ってはいないが、未知の世界という意味でならば、終始「外国のものとして」見ていると言ってもよい。清朝の学者たちが、鄭玄の言葉を誤解・曲解したのは、鄭玄を自分たちの学術の始祖と見て、自分たちの学術の枠組みで理解できるはずだと信じて疑わなかったからだ。私は鄭玄の言葉をずっと不可解なものとして見てきて、最近漸くその一部分が理解できるようになってきたところだ。そういう経験を踏まえて、「外国のものとして見る」ことは、何国人にとっても、本国人にとっても有益な態度だと思う。但し、現在の中国では、歴史民族アイデンティティ意識が強調されているので、あまり大声では言わないようにしている。

(2022/2/15)

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橋本秀美(Hidemi Hashimoto)
1966年福島県生まれ。東京大学中国哲学専攻卒、北京大学古典文献専攻博士。東京大学東洋文化研究所助教授、北京大学歴史学系副教授、教授を経て、現在青山学院大学国際政治経済学部教授。著書は『学術史読書記』『文献学読書記』(三聯書店)、編書は『影印越刊八行本礼記正義』(北京大出版社)、訳書は『正史宋元版之研究』(中華書局)など。