Menu

平田星司展「線の手触り 崩れゆく風景」|言水ヘリオ

平田星司展「線の手触り 崩れゆく風景」

Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio)

 

平面的に簡略に描かれたシーソー。地面の上に短い棒状の支点がありその上に長い板のようなものが載っている。シーソーで遊んでいるのはシャープペンシルの芯である。シャープペンシルの芯は描かれたのではなく、芯そのものが接着されている。描くのでなく、画材とも言える物質そのものを配置することで絵となっている。描かれているシーソーの上で、芯が両端でぎったんばっこんしている。

 

 

見た目としても擬人化はされておらず、それがシーソーなのか、天秤の一種なのか迷う。絵としては静止していることもあり、釣り合いがとれて落ち着いた天秤として見る方に傾くが、作者はシーソーと言っている。シーソーであることを示す兆候としては、芯が左右に乱れていることが挙げられる。何度か上下した振動でずれた結果と推測できるが違うかもしれない。また、絵として静止しているように見えても、物語としては、この芯の分量は固定してはおらず、増えたり減ったりが常に可変なのではないだろうか、その、時の流れの瞬間が、この絵としてとどまっているのでは、などと考えてみたりする。

 

支点の部分でシーソーが折れ、折れた付近から粉の舞っている絵がある。重量のやりとりが強制的に終わる。そのような緊急事態に接し、なおかつ芯は自らのあり方を保つことを諦めていないようにも見える。そういう場面を描いた絵であるといえばそうに違いない。だがそれは作者の制作上のことだけではなく、絵自体の希求でもあるだろうか?

 

 

奥行きなく平面的に描かれた中に、絵によっては奥行きを感じさせる部分が混在し、その上に芯がある。定規などを利用したと思われる線、フリーハンドと思われる短い線、舞う粉状のもの、影など。そして、直径約0.5ミリ、長さ約60ミリの、黒鉛を主な原料とする円柱という立体物でありながら紙の表面に平面的にとどまるシャープペンシルの芯は、ときに赤色のものも使われている。

 

展示の資料に、語の重複としてのシーソー(seesaw)と、畳語への関心から見つけたクレオール語のことが簡潔に記されていた。作品名として絵の下部中央に記されているアルファベットの語が、クレオール語の単語であるらしい(1点のみドイツ語)。それらの語の多くは、一つの語がハイフンで繋がり畳語を成している。作品の見た目の状態に言及しているのではないか、という語もいくつかある。

 

シャープペンシルの芯を用いた絵はどれも「Even Drawing」というシリーズである。シーソーを描いた8点の絵。その向かいの壁には3点の《Chamber》という作品名の絵が並んでいる。地面の切れ込みに角度がつき、その上のシャープペンシルの芯が底へと落下することを予感せざるをえない。宇宙の果てとその外には想像が及ばないように、底は描かれておらずどうなっているのかわからない。この絵においても画中のシャープペンシルの芯は実物の芯である。斜めからの視点を持つ絵の遠近感と紙の上に配置された実物の芯との間にパースペクティブの違和感が生じている。そして、描かれた地面が、壁に垂直にかけられている。

 

 

これら向かい合うふたつの壁の間の壁の中央部分に台座が設置され、その上にまるで静物画を思わせるオブジェが置かれている。割れたウイスキーの瓶はビニルエマルジョン+ウイスキーで、ワイングラスはビニルエマルジョン+赤ワインで内外の表面を塗られ、さらには食べ終えられたぶどうの軸が二房分、これも表面を塗られている。台座とオブジェの間には、やはり表面を塗られた上面が広い四角錐台の台がある。瓶の割れた断面、およびぶどうの実がついていた部分は銀色に塗られていて、離れたことの痕跡のようににぶく光っている。

 

 

壁から少し離れて、床の上に、コンパスのように脚を開いて立っているものがある。使用したことのある者であればすぐにわかる、それは分解された1本の松葉杖。重石としてつけられている木製のシューキーパーは、それがないとバランスをくずして倒れてしまう、とのことであった。この作品を見た瞬間、次のような場面が自分の脳裏に浮かんだ。松葉杖は補装具であることをやめ、自らを解体し、他者の足の支えを得て、自立した。そして身体の一部を笛として、歩きながらそれを吹いている……。

 

 

後日展覧会に再訪した際、松葉杖の金具がずいぶんと光り輝いていることに気づき、そのことを作者に尋ねると、金具だけではなく、いたるところに手が加えられ、表面のニスも一度除去して塗り直されているのだという。この作者にして、それは当然の作業であった。自分の見る態度の怠惰さや先入観を思い知らされる。かつて平田からマルセル・デュシャンの《泉》についての話を聞いたことがある。《泉》のセンセーショナルな面のみならず、作品として選んだ便器のフォルムの美しさについてもっと語られていいのではないか、と。その精神は、自らの作品にも貫かれていると思われる。

 

目を瞑り、記憶された作品を思い出そうとする。奇怪な光景が浮かんでくる。シャープペンシルの芯がシーソーをしている。一方で、芯は未知の穴に落ちそうになっている。表面を塗り込められた瓶、グラス、ぶどうの軸。笛を吹き歩く松葉杖。真剣に考えようとするほどに、可笑しさがこみあげてくる。また、作品には、現実には生起し得ない状況、たとえばシーソーが地面の下に当たり前のように食い込んでいたり、地面の穴のふちに沿って芯が屹立していたり、ということが散見され、それらをどう捉えればいいのかわからないままである。理屈はつけず「謎」としておきたい。

 

 

平田星司展「線の手触り 崩れゆく風景」
galerie H
2021年12月12日〜12月25日
https://galerie-h.jp/information/8607.html
https://galerie-h.jp/blog/8651.html
https://seijihirata.tumblr.com
●Even Drawing: boši-boši(別の束) 2021 紙にシャープペンシルの芯 鉛筆、ペン、シャープペンシル H156×W226mm(以下掲載順)
●Even Drawing: laas-laas(ついには) 2021 紙にシャープペンシルの芯 鉛筆、ペン、シャープペンシル H156×W226mm
●Even Drawing: Chamber I, II, III インスタレーションビュー
●化体説Ⅳ 2015–2021 オブジェに黒鉛、顔料、ビニルエマルジョン(ワイングラスの赤色には赤ワインの、割れたボトルの黄色には中身のウイスキーがそれぞれ混ぜて塗られている) H330×W420×D210mm
●松葉杖とシューキーパー/支えなしでは 2021 松葉杖、シューキーパー H920×W620×D180mm
●インスタレーションビュー
©2021 Seiji Hirata. All Rights Reserved

(2022/1/15)

———————————————————
言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。2010年から2011年、『せんだいノート ミュージアムって何だろう?』の編集。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、『etc.』の発行再開にむけて準備中。