11月の3つ目の日記|言水ヘリオ
11月の3つ目の日記
Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
2021年11月10日(水)
スペース内、8名の作家による8点の絵が壁に掛かっている。入って左から右周りに見ることにする。手渡されたシートで、ちらちらと絵のタイトルを確認し、キュレーターによって書かれたテクストをすこしずつ読む。タイトルおよびテクストの確認により、作品に少し接近したような気持ちが湧き上がる。しかし、それで見ることを終えるわけにはいかなかった。一人の作家による一点の絵が8つあり、それらがひとつの空間で緊密に展示されている。そう考えを改める。これらの絵は自分には見えていないかもしれない。でも何か見ているとしか思えない。見えていないかもしれないのに、そこにあるものを求めて佇んでいる。個々の絵を凝視し続けることしかできない。まだたりなかったであろう。展示空間から出て、ロビーのようなところで、出品作家の方と話す時間があったのだが、ことばがでてこなかった。
Pictorially yours,
表参道画廊
2021年11月1日〜11月13日
キュレーター:大島徹也
出品作家:小川佳夫、金田実生、小池隆英、中小路萌美、平野泰子、森川敬三、山口牧子、吉川民仁
企画:表参道画廊
http://www.omotesando-garo.com/link.21/Pictorially_yours.html
●(上)左から、森川敬三《鳥たちの瞑想》、金田実生《ストライプの夜》、中小路萌美《たらんとと》
●(中)左から、小池隆英《Sleeping Bee》、小川佳夫《Response-Blue》、山口牧子《Earth Spirit —madder in blue—》
●(下)左から、山口牧子《Earth Spirit —madder in blue—》、吉川民仁《緩やかな風》、平野泰子《No one ever really dies》
画像提供:Pictorially yours,展実行委員会
11月12日(金)
幼い頃から馴染みのある、祖父母の家。私の、ではない。そこに、呼ばれたわけでもないのに出かけ、3時間ほどもおじゃましてしまった。誰かの家で過ごすことになったとき、どうしていればいいのかわからなくて、居心地の悪さを感じがち。だがここでは、展示を見て過ごしていればいいから気が楽である。しかもこの展示の主は、姿を隠し、放置しておいてくれたので、好きなように、映像を見たり、ファイルを見たり、部屋の中を見回したり、絵を見たり、書かれているものを読んだりしていた。「庭には出ましたか?」と突然尋ねられ、いいえと答える。縁側に立ち、網戸を開いて、そこから庭を眺めることはすでにしていた。手入れされた草木のあいまのすこし開けたところに椅子が置いてあり、それが作品だとわかった。でもそこに座るのは私ではなく、誰か他の人のように思えた。だから庭には出なかった。もう薄暗くなっていた、ということもある。主に促され、サンダルに履き替えて庭に出る。椅子に近づくと、やはりそこには人がいた。庭を巡る私の足取りはぎこちなく、それでも、自分の幼少期を思い出すような、いくつものものを端々に見つけたりした。百合だろうか、ひょろっとした茎の頂点に莢をつけたものが何本も枯れたまま立っていた。部屋に戻って、まだ見ていなかった作品を、これまでよりやや早足で辿る。絵などの作品と、それを含む空間およびそこに内包される作品ではないであろうものとが、分かち難い。ここに来てまず、テーブルの上に置かれていたファイルを読んだ。手に取るため、脇のソファに腰を下ろすことにためらいがあった。だがここに座ることはおそらく許諾されている。静かにファイルをめくった、窓から陽の差していたしずかな時間を思い出す。
帰宅して、メモした書籍と映画について調べ、主の兄が好きだったというショパンのワルツ「作品64-2」を何度も聞いた。
佐々木健「合流点」
五味家
2021年7月31日〜11月28日(追加開場日:12月4日、12月5日、12月11日、12月12日、12月18日、12月19日)
https://ken-sasaki.com
●「合流点」展示風景 copyright the artist, courtesy of Gomike, Photo by Ken Sasaki
11月13日(土)
Pictorially yours,にもう一度来た。11月10日に滞在した際は会場にひとりでいる時間が多かった。それにくらべて今日は最終日ということもあるのだろうか、人が多く、複数の話し声が混ざって、内容の聞き取れない音として会場に響く中、一点の絵の前に立ち、一点の絵の前に立ち、ということを繰り返す。描く作業に費やされたであろうさまざまなことと比較して、見るときに費やされるのはごく短い集中に過ぎない。数名の作家については、配布されていたリーフレットに記載されていた文章を読んだことで、わずかのことを知り得た上であらためて絵に接している。だがいざ目の前にすると、そこに起こっていることにことばを失い、頭の中は空白になる。どの作品にも、この展示自体にも、絵画を追求する真摯な姿勢を強く感じる。絵画の知識がなく、思考も追いつかないけれども、この現場を目撃して目が離せない。
絵の並んでいる順を追って何周かして、あの絵からそっちの絵へと渡り歩き、会場をうろうろした後、退出する。ロビーのようなところで、出品作家の方に短く感謝を伝える。宛先なく差し出されたこの「展示」になにかしら返信したい気持ちが湧く。
11月20日(土)
花が写っている。花の写っている写真、そう呼ぶことにしても、花だけが切り取られて在るわけではない。花も要素の一つである風景として写し出されている。目の前の風景の、何が撮影者の足を止め、シャッターを降ろす動作を導いたか。それは、ここに写っていない風景も含む、必ずしも注視してはいなかったものも作用していただろうか。次の写真へ、そして次へ。たとえば写真に影が写っている。影の彼方には光源があるだろう。撮影者の視野は身体前方に限られていても、環境は全方位から干渉してくる。四角く切り取られた一枚の紙に、写されないことで保存されているものの存在。特別な出来事が発生しているわけではない。静けさもざわめきも平たく封じ込められている。帰宅して、配布されていたインタビューを読む。「写真をやることで私の中の『海』が保てると思っています」(岩崎美ゆきの発言)。保つために行うという以前に、行為自体が「海」を保ってきていたのだと気づく。自分にも岩崎の言う「海」がある。ちなみに展示されている写真には海はほとんど写っていない。数日後、目を瞑り、暗い瞼の裏に記憶した写真を重ねてみようとする。その映像を思い浮かべることはできても、捉えることはできず、暗闇の中に消失していくばかりであった。
岩崎美ゆき写真展「折りたためる海」
Alt_Medium
2021年11月18日〜11月23日
https://altmedium.jp/post/660013828423188480/岩崎美ゆき個展折りたためる海
●岩崎美ゆき「折りたためる海」(2021、Alt_Medium)展覧会風景
11月24日(水)
ギャラリーの閉じられた空間に入り、その中を移動する。そして海辺で描かれた絵を見る。海を見ている。空を見ている。そこには海と空がある。遠くから近くへ。近くから遠くへ。水平線。境が生じているがそこに線はない。海には波が、空には雲がある。それらは異なる様相に見えるけれども、切り離すことができない。鳥の飛行が、作者にどれだけ影響し、絵を波立たせたか。船は、海と空をつないでいる。光を透過し反射して、立ち上がってはまたたくまに崩れていくさざなみを目前にして描くとき、ひとつの波を記憶してそれを描いているのかもしれない。同時に、海辺というひろがりの、音、匂い、空気の流れなどを身体で感じ、目の中に注ぐ光に目眩すら覚えて手を動かすのではないだろうかと、作品を見ながら想像する。広がって重なる波は意外と荒く連なって、始点から終点まで一気に描かれたというよりも、細かく細かく辿っていったような筆致。それを追うこちらの眼差しもときにちゃぷちゃぷ、ときに鋭く動く。空には雲、といってもそれが雲なのか大気の流れなのかは定かでない。彼方に見えるがそこに包まれてもいる。会場に、四角い紙から抜け出した鳥が飛んでいる。それは複数ではなく一羽であった。やがて次の鳥がやってくるだろうか。
Birds Passing 向井三郎
ART TRACE Gallery
2021年11月12日〜11月29日
https://www.gallery.arttrace.org/202111-mukai.html
●《遠く近く高く低く-1》 2021年 133×107cm 紙、木炭
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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。2010年から2011年、『せんだいノート ミュージアムって何だろう?』の編集。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、『etc.』の発行再開にむけて準備中。