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Pick Up (2021/9/15) |オペラ「スーパーエンジェル」|丘山万里子

子どもたちとアンドロイドが創る新しいオペラ「Super Angels スーパーエンジェル」
New Opera with Children and an Android, “Super Angels”

Text by 丘山万里子 (Mariko Okayama)
Photos by 鹿摩隆司/写真提供:新国立劇場

「子どもたちとアンドロイドが創る新しいオペラ」「大人も子供も誰もが楽しめるオペラ」だそうなので、島田雅彦原作も読まず、初音ミクも見たことないけど、ぜんぜんOKだろうと出かけたわけだ。
まず、観客がほぼ落合陽一系(見た目の感じ、パンフレットにも彼の一文があった)なのになるほど、と思うが、子連れは少ない(初日観劇)。前週に子どものためのオペラ『ゴールド!』を楽しみ、感心したばかりの筆者は、あれ?と見回すが、舞台幕開けで理解した。
白い衣装の子供たちがずらりと並び(最前列ホワイトハンドコーラスNipponが手歌ダンス、後列ジュニアコーラス)清澄な声で歌う。子供たちとアンドロイドが創る、とは、そういうことか、と。そして、重心はこちらで、「子供も」はべつだん子供向けではないですよ、という意と了解する。
ゴーレム3(オルタ3)のむき出しの体躯は銀色に輝き、顔の部分だけ人っぽいが、例えば「能面」の持つ豊かな表情は、当たり前だが無い。
全6場、あらすじをパンフレットに沿い、私見とともに述べておこう。

1. 学園:アキラとゴーレム3の回想から。「なぜ僕らを助けてくれた?」「君たちの方が“進化しそうだったから”」の会話。この“進化”はキーワードだろう、とまず筆者は考えた。
学園卒業式で。5人の天使の合唱、中央には世界の統治者たるマザーが君臨、「統治」「守護」「知識」「奉仕」「異端」の選別がなされ、アキラは「異端」とされ注射、チップを埋め込まれ(ワクチン接種を思わせる)、開拓地へ送られる。
アキラと学園仲間エリカは別れに竹笛と土偶を贈り合う。

2. 開拓地:アキラは異端の教育係ゴーレム3(以下3)のメンテナンスを担当。3はアキラがエリカに恋をしているのを知り、意識と無意識以外に「第3の心」カオス・マシーンを作ろうとする。アキラの中性的な美声と3 ののっぺらロボット声は、対比というより3 を含む人工的音響や照明・映像の中に埋没、似たような音調に終始する。
3. 量子カデンツァ:3の意識の流れ、マザーの変容、バレエ、合唱、映像と、このオペラに注ぎ込まれた各分野の粋と技が展開され、見せ場といえば見せ場か。
管理を逃れ自由を欲するようになったアキラをマザーは服従させようとするが、アキラは反抗「進化なんていらない、滅びたっていい!」。チップを取り出し池に身を投げる。

4. 開拓地:異端の反乱は狂った3のせい、とマザーはカオス・マシーンの破壊と開拓地の制圧を命じる。派遣されてきたのがドクターエリカ。兵士たちはいかにもな軍服姿で異端たちを取り囲む。ふと、時代がどんなに「進化」しようと、この構図(支配と抑圧)は変わらないのだな、と思う。
5. 森:暗い森で、死んだアキラとエリカは再会、3と開拓地を守るようアキラは頼む。抒情的シーンではあるが、さほど盛り上がるわけではない。というか、筆者のような古典的因襲的耳(ノイズ系現代音楽も含む)の持ち主にはどれもさらさらさらさら流れっぱなしで立ち止まったり引き込まれたりがないのである。
音楽全般に凹凸奥行きが感じられないのは、むしろそれこそがこの世界を描くのに適切ということと理解する。AIに「ここ、こういうシーンだから」とデータ入力して出てきた音楽をそのまま流すとこんな風かも、と思う。まさに未来図的か。
6. 開拓地:アキラの言葉を受け、開拓地と3を守ろうとするエリカだが失敗、と思ったところでアキラが再会を願って彼女に贈った「土偶」が出現、マザー支配は消失、ハッピーエンド。開幕シーンの晴明コーラスが回帰、さらに異端5を表象するらしい少女ヴァイオリニスト(要所で登場)がソロを弾き、幕。

さて筆者、あくまで当日の公演からのみ、考えてみる。
このオペラ、キーワードは「進化」だと述べた。
「君たちの方が進化しそうだったから」というゴーレム3の言葉と、第3場でのアキラの「進化なんていらない!」というマザー支配世界への反逆と死は照応するものに違いなかろうが、何を意味するのか。
そして筆者の脳裏に残ったのは、何より、最後のシーンだ。
エリカは3を抱擁しよう(たぶん)と近寄り、ためらい、を繰り返し、最後、手を彼(3をここではそう呼びたい)に伸ばし、腕に触れようとしたその寸前に、彼はガクッと首を折るのである(筆者にはそう見えた)。
その間、二人の傍では少女ヴァイオリニストがソロを奏でていた。

この、ゴーレム3の死(?)の瞬間、筆者の中ではAIが人間化され、「彼」として立ち現れた、と言って良い。
このシーンが確かなものかどうかは不明だから、年末の配信で確かめるほかない。
けれど、「筆者にはそう見えた」という個的体験のみ(「誰もが」の「誰も」のうちの代替不能な独りの観客として)からの以降の話であることを、先にお断りしておく。

筆者は観劇の間、しばしばカズオ・イシグロ『わたしを離さないで』と近刊『クララとお日さま』を思い出した。前者はクローン同士の愛と哀しみであり、後者は人工親友AFクララの末路だ。少女ジョジーに選ばれたクララは、「お日さま」の力を信じジョジーの病回復に成功、彼女の巣立ちを見送り、廃品置場の隅にそっと身を置く。
いずれも「人造物」の人間への自己犠牲物語であり、この「首、ガクッ」もまたそこに重なる。
ゆえ、「進化」の象徴たるマザー世界の瓦解といういかにもな結末に(そこに死んだアキラのエリカとのお約束品が出てくるのはなんとも陳腐なメルヘンだ)、ゴーレム3を道連れにするのは何たる人間の傲慢か、という感情が咄嗟に、強烈に湧き上がったのだ。
筆者は劇中、ゴーレム3 の音声にも表情にも(能面、と前述したが、能面は人間の所作と音楽によっていかようにも変化する)、なんらのシンパシーも感興も持たなかった。それはひとえに、音楽がそのように書かれていたからだ(あるいはそのようにしか書かなかった、おそらく、多様な表情・情緒を引き出し得る音楽は可能だったと筆者は思う、 A Iであれ、いや、AIだからこそ、にもかかわらず、だ)。
では、最後の、筆者にとっては決定的なシーンで、音楽はどうだったか?記憶にない。
ただ天上的な讃歌が全てを包摂していた。少女ヴァイオリニスト、あれは一体何だったのだろう?異端としての「芸術」?
とすると、全てがAI化される未来世界に、人間が唯一生き残り得る領域としての想像・創造たる「芸術」礼賛などという、いかにも甘い幻想の片割れか?
自らの人造物に乗っ取られ支配されるかもしれない未来世界だけど(きっとそこにも支配抑圧、ヒエラルキーはある)、僕(と君)の幼い無垢な愛、人間とAIの異種愛(アキラと3)、何より至高の「芸術」が、そんなものは吹っ飛ばす、そうだ、君たちの未来は明るい!みんな手をつなごう、信じよう、愛し合おう!ヒューマン万歳!
そういうことか?

筆者は未だ、混迷にある。
進化の未来世界をマザー支配に設定は、いわば近代の牽引力たるキリスト教世界「ゴッドファーザー」の書き換え、竹笛土偶を出して母権の復活復古版。
手歌ダンス、大人子供混ぜこぜ合唱、ときに聖歌風コラールで耳をくすぐってのみんなで手つなぎオリンピックパラリンピック多様性そよ風版(と、つい思ってしまうのは2021年夏という時節柄いたしかたなかろう)。
人声、人工声、オーケストラ、ヴァイオリンあれこれ音響ミックスは何気に流れ、デュオにもユニゾンにも対比対立協和がない違和感なし平明並列流麗版(相似音調が同調、協調はたまた共生とでも?)。
筆者が唯一、最終シーンで初めてハッとしたゴーレム3 の存在感は、何と言っても先端テクノロジーぴかぴかSF版。
そこにダンス、何ら変哲のない衣装、ファンタジーっぽい抽象幾何学模様的映像が加わりこれらを彩るのだが、タイトルでもある「スーパーエンジェル」、5人の天使は、筆者にはどういう絡みなのか理解できず、謎のまま終わる。
と、そんな困惑の波間から、何が浮かび上がったか?
最後に突如、筆者がゴーレム3に感情移入した、そこが肝か?
おそらく個人的文脈として筆者には、『クララとお日さま』のAFクララの残像があった。少女ジョジー、その家族や周囲の人々との触れ合いの中で学んだ「感情」、 AIの中でも飛び抜けて高い理解力・共感力を持つクララの迎える終末。
けれどもイシグロの作品には、クララの、人間への了解が記されている。それは「人」という生身の存在は、完全複製・引き継ぎ可能なものではなく、周囲のすべての愛、関係性の中にこそある、ということだ。その了解のぬくもりを、イシグロはクララに残した。
だがゴーレム 3はエリカの抱擁寸前に壊れるのだ。
であれば、このオペラは「進化」を「敵」あるいは「悪」に見立てる粗暴な単純化から逃れられずにいる。進化世界にマザー君臨が端的にそれを示している。
筆者の最終シーンへのこだわりは、そこにある。
そうした旧来の人間サイドの思考パターンに揺さぶりをかけてこそ、未来が見えるのではないのか。

と、ここまでで筆者は今回、筆を措く。
わからないことが多いからだ。
書き終えて、新国立劇場のHPで動画やSPECIAL TALK SESSION(大野和士×島田雅彦×渋谷慶一郎×藤木大地)などを見た。そこで大野が語る「あなたの頭脳を私の心へ 私の心(アキラの心)をあなたの頭脳へ」というアキラの言葉が、新しい人間像、未来の可能性を象徴、それがこのオペラのテーマの一つ、という解説に接した。
確かにそういうシーンはあった、と思い出しつつ、けれども筆者は自分の受け取ったものを変更はできなかった。そもそも心と頭脳を分ける発想自体がクローンを可能にするのだし、そこにどんな新しい人間像が、未来の可能性が描けるのか。例えばクララの「人間」理解が、「周囲との関係性」にこそあるとする認識と、それは対極をなすものではないか。

誰もが、たった一度の経験の中を生きている。
それを私たちはコロナでしたたかに思い知ったはずだ。
本稿脱稿のち、原作(台本付き)も読んだが、改変しようとは思わない。
けれど年末に予定されている無料配信はしっかり見ようと思う。
そして読者の皆さんにお願いしたい。
本公演をご覧になった方、ぜひ、自分はこう見た、というご意見をお寄せください。
配信を視聴予定の方、ぜひ、ご意見をお寄せください。
できたら、特集のような誌面を組めればと考えます。
筆者はこのオペラ、それだけの意味のある作品、論議が必要な作品だと思う。
ご意見は以下にお寄せください。
office@mercuredesarts.com
お待ちいたしております。

関連評:子どもたちとアンドロイドが創る新しいオペラ 「スーパーエンジェル」 |田中里奈

                             (2021/9/15)

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子どもたちとアンドロイドが創る新しいオペラ「Super Angels スーパーエンジェル」
2021年8月21日@新国立劇場 オペラパレス

<スタッフ>
芸術監督:大野和士(オペラ)、吉田都(舞踊)、小川絵梨子(演劇)
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

総合プロデュース・指揮:大野和士
台本:島田雅彦
作曲:渋谷慶一郎
演出監修:小川絵梨子
総合舞台美術(装置・衣裳・照明・映像監督):針生 康
映像:WEiRDCORE
振付:貝川鐵夫
舞踊監修:大原永子
オルタ3プログラミング:今井慎太郎
合唱指揮:河原哲也
舞台監督:髙橋尚史

世田谷ジュニア合唱団
ホワイトハンドコーラスNIPPON
新国立劇場合唱団
新国立劇場バレエ団

<キャスト>
ゴーレム3:オルタ3 (Supported by mixi, Inc.)
アキラ:藤木大地
エリカ:三宅理恵
ジョージ:成田博之
ルイジ/異端1:小泉詠子
異端2:込山由貴子
異端3:北村典子
異端4:上野裕之
異端5(ヴァイオリンソロ):長野礼奈