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子どもたちとアンドロイドが創る新しいオペラ 「スーパーエンジェル」 |田中里奈

子どもたちとアンドロイドが創る新しいオペラ「Super Angels スーパーエンジェル」
全1幕
日本語上演/日本語及び英語字幕付

New Opera with Children and an Android, “Super Angels”
Opera in 1 Act
Sung in Japanese with English and Japanese surtitles

新国立劇場 オペラパレス、2021年8月21日 14:00 / 22日 14:00
(鑑賞回:2021年8月21日14:00)
2021/8/21, Opera Palace, the New National Theatre, Tokyo
Reviewed by 田中 里奈 (Rina Tanaka)
Photos by 鹿摩隆司/写真提供:新国立劇場

<スタッフ、キャスト>        →foreign language
主催:文化庁、(独)日本芸術文化振興会、(公財)新国立劇場運営財団
制作:新国立劇場

総合プロデュース・指揮 :大野和士
台本 :島田雅彦
作曲 :渋谷慶一郎

演出監修 :小川絵梨子
総合舞台美術(装置・衣裳・照明・映像監督):針生 康
映像 :WEiRDCORE

振付:貝川鐵夫
舞踊監修 :大原永子

演出補:澤田康子
オルタ3プログラミング:今井慎太郎
照明補 :立田雄士

合唱指揮 :河原哲也
児童合唱指導 :掛江みどり(世田谷ジュニア合唱団)
児童合唱指導 :コロンえりか(ホワイトハンドコーラスNIPPON)
児童合唱手歌監修:井崎哲也

舞台監督:髙橋尚史

ゴーレム3:オルタ3
アキラ:藤木大地
エリカ:三宅理恵
ジョージ :成田博之
ルイジ/異端1:小泉詠子
異端2:込山由貴子
異端3:北村典子
異端4:上野裕之
異端5(ヴァイオリンソロ):長野礼奈

世田谷ジュニア合唱団
ホワイトハンドコーラスNIPPON

新国立劇場合唱団

新国立劇場バレエ団:渡邊峻郁 、木村優里、渡辺与布、中島瑞生、渡邊拓朗

助演
異端5(黙役):松林けい子
柏木銀次、鈴木暢彬、浜野基彦、前田竜治、松田祐司、川越美結、木村寿美、望月さほ、森香菜子

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

新国立劇場三部門 連携企画
芸術監督:大野和士(オペラ)、吉田都(舞踊)、小川絵梨子 (演劇)

 

「子どもたちとアンドロイドが創る新しいオペラ」
2020年8月初演を予定していたが、コロナ禍による延期を経て、ちょうど1年ぶりにお披露目となった作品だ。「世界初演」「新国立劇場三部門連携企画」「令和3年度日本博主催・共催型プロジェクト」。仰々しい文言に反して、タイトルと副題のわかりやすさがまず目を引く。「オペラ劇場へ足を運んだことがないという方にこそ楽しんで欲しい」1という大野和士の言葉からは、『スーパーエンジェル』が幅広い観客層に向けられて発信されたことがわかる。

関わったスタッフの多様さには、本作が意図していた協働性が表れている。音楽、台本、演出、舞台美術、映像、振付、そしてロボットを異なる分野の専門家がそれぞれ担当している。出演者には、オペラとバレエ、双方の分野からアーティストのほか、世田谷ジュニア合唱団とホワイトハンドコーラスNIPPON(手歌ダンス合唱隊)が加わった。舞台上の多種多様な要素を演奏で包み込む東京フィルハーモニー交響楽団の存在も忘れてはならない(本評冒頭のスタッフ&キャスト一覧も併せてご参照頂きたい)。

日本博のホームページには、本作が目指していた内容がわかりやすく説明されている。

大人も子どもも誰もが楽しめる特別企画。アンドロイド「オルタ3」が出演し、多様な子どもたちの合唱と関わり合いながら歌い、演じる、新しいオペラが誕生します。アンドロイドと子供たち、オペラ歌手と合唱団、バレエダンサーにオーケストラ、そして映像やデザインも一体となったオペラが、科学技術や共生をテーマにした世界へと誘います。最先端の技術を融合させ、未来への共生のメッセージを込めた新しいオペラの誕生です。新国立劇場が舞台芸術の可能性を世界へ発信する機会に、どうぞご注目ください2

では、上記の文章の中に出てくる3つの重要なキーワードーー「大人も子どもも誰もが楽しめる」「アンドロイドと子供たち、オペラ歌手と合唱団、バレエダンサーにオーケストラ、そして映像やデザインも一体となったオペラ」、そして、「科学技術や共生をテーマにした世界」ーーは、実際の上演でどのように現出したのか。言い換えると、舞台上と客席の多様性、そして作品内部におけるユートピア的世界観はどのように表れ出ていただろうか。

『スーパーエンジェル』では、「マザー」と呼ばれるAIによって人類が管理されている世界が描かれる。1時間45分(全1幕6場)の上演は、人間の少年・アキラ(藤木大地、カウンターテナー)とヒューマノイドAI・ゴーレム3(アンドロイド「オルタ3」)、2人の回想から始まる。

15歳の適性検査の結果、「異端」として開拓地に送られることになったアキラは、彼の恋い慕うエリカに土偶を贈り、再会を誓う(第1場)。開拓地で、アキラは「異端」たちの教育係を務めるゴーレム3と出会う。ゴーレム3は、人間をマザーから解放して進化させるべく、アキラとの心の交流を通じて、人間の無意識にある夢見る力から「カオス・マシーン」を作ろうとしていた(第2場)。だがアキラは、ゴーレム3との交流を通じてマザーの管理から逃れようと、自らのこめかみに埋め込まれたチップを摘出し、身投げしてしまう(第3場)。開拓地で起こっている反乱の兆しを制圧すべく、マザーは国家安全省のジョージと兵士たち、そして、AIドクターとなったエリカを開拓地に派遣する。エリカは、「異端」のひとりであるルイジから死んだはずのアキラと交信する方法を聞き、眠りにつく(第4場)。森の中で、エリカはアキラから「異端」とゴーレム3を守るように頼まれる(第5場)。現実に戻ったエリカがゴーレム3と「カオス・マシーン」の破壊の阻止に失敗した瞬間、土偶が現れ、人々にかかっていたマザーの支配を解く。皆がマザーからの自由と世界の変革を歌い上げる(第6場)。

音楽におけるディスコミュニケーション
不安と焦燥感、希望や憧憬といった感情の機微は、時に大編成での合唱やオーケストラの演奏に載せて、時にヒューマノイドAI・ゴーレム3(アンドロイド「オルタ3」)と人間の少年・アキラ(藤木大地、カウンターテナー)との間のダイアローグを介して表現しようと試みられている。

カウンターテナーの超人的な歌声や「人ならざる」アンドロイドの変幻自在な歌声は不気味の谷のゆらぎをもたらし、物語の中で語られる人間とロボットの境目のあいまいさを体現したのかもしれない。おそらく、音楽における親しさと気味の悪さの同居は、本来のところ、近未来ディストピアの中のユートピア世界を描写し、それと同時に、この作品の中心に据えられた、異なる者同士の対話と協働の結果としての共生を体現するはずだったのだろう。

だが、歌詞がほとんど聞き取れないオルタ3の歌声で理性的な対話が進みようもなく(アンドロイド音声が演じるAIマザーが人類の脳内に直接語りかける場面がしばしば登場するが、テレパシーでもこんなに活舌が悪いのに、いったいマザーはどうやって人類に情報を伝達しているのだろう?)、情緒的な対話を推進したかもしれない音楽的コミュニケーションもまた、快く流れて行ってしまう音楽のために機能不全に陥っていたようにみえる。

カオスパートの上記の問題に加えて、上演の最初と最後を華々しく彩っている合唱の場面も作品の未消化を促していた。コロナ禍でなかなか見かけなくなった、大人と子どもの混合による大合唱隊が舞台上を埋め尽くすさまを、素直に壮麗だと思うことはできない。今日、感染拡大の危険を冒してもなお、その演出をあえて採用しなければならなかった理由が、私にはどうしてもわからなかった。カオスに振り切れてこそ対話が促され、そうすることで初めて、調和のパートが皮肉としても希望としても機能したのではないか。

設定のあいまいなSF
それにしても、当日の配布資料にあらすじは載っているものの、『スーパーエンジェル』の世界観に関する情報が上演中にほとんど判明しない。例えば、第1場の卒業式の場面——そうであることは、ゴーレム3とアキラの会話からすぐにわかる——に出てくる子どもたちはいったい誰なのか? 大人たち(役名は「卒業生たち」)が4つのグループ(「統治」「守護」「知識」「奉仕」)とグループ外(「異端」)に振り分けられたのだと、どうやってわかるだろうか? 第6場で現れた謎のダンサーズが「5人の天使」だと、舞台上の要素から類推することは本当に可能だっただろうか?

もちろん、ある場面(または作中)で明らかにされない情報があるのはごく自然なことだ。それに、「ナノチップを頭に埋め込まれ」て「AIマザーの支配下に置かれる」ことは、SF好きならばピンとくる——というよりも、むしろ使い古された印象すら覚える——かもしれない。

渋谷慶一郎が過去に手掛けた作品に関心を寄せていた人なら、その連想は容易だろう(オペラ『THE END』を「主演」したボーカロイドの初音ミクを使って、インターネット上で多種多様なオリジナル楽曲が発表されているが、その中には、『こちら、幸福安心委員会です。』などのディストピアものが複数含まれる)。また、現実と夢(無意識)の世界を行ったり来たりする仕掛けからは、映画『マトリックス』(1999)や『インセプション』(2010)が思い出されるし、AIの無意識という切り口から広げれば、ゲーム『NieR:Automta』(2017)も視野に収まるだろう。ここに挙げたいくつかの作品には、科学技術の発展した社会や、AIとの共生が描かれている。

だが、『スーパーエンジェル』の物語の展開を追えば追うほど、こうした連想もSFの文脈も裏切られる。最後に残るのは、キャッチーで耳に快い主題歌「五人の天使」となんとなく感動的なハッピーエンドだ。果たして、「大人も子どもも誰もが楽しめるオペラ」の「誰も」は、最後は展開に置いて行かれる(親子連れがSFを解さないわけではないことは、劇団四季ミュージカル『エルリック・コスモスの239時間』を思い出せばいい)。上演内で語られなかった内容は小説版を読めばある程度わかるので、上演を観てよくわからなかった人は小説を買って読んで欲しいということだろうか。

島田雅彦『スーパーエンジェル』(講談社、2021年)

だが、小説版も正直なところ、舞台版が端折った部分の補完になっていない。小説版では、「人の無意識を学習するAI」のモチーフが無批判に用いられ、「異端」の烙印を押された「アスペルガー」のアキラの多感な心をAIが学習するという物語が繰り広げられる。差別や社会階層の問題を十分な掘り下げもなく扱っている時点で大きな問題がある。

小説における「異端」は、脳性麻痺や全盲、足の欠損といった「何らかの障害を抱えてい」て3、自給自足しながら「平均寿命に達する前にひっそりと死んでゆくことだけが求められていた」4、と説明される。ゴーレム3も、「バグが多い」ことから「アスペルガーのヒューマノイド」と言われている。他方、オペラの中での「異端」たちはむしろ芸術家集団のようであり、それが社会的な落伍者と見なされる、というギミックが働いているようにもみえた。

「異端」の存在を未解決にしたままで、この物語の中核となるゴーレム3とアキラの関係を紐解くことは不可能だろう。小説にせよ、オペラにせよ、これらの作品世界からは、科学技術に対する不信と人間賛歌という安易な結論に近いものを感じる。たしかにユング心理学的な側面が明らかに見えはするものの、これを神話的な物語と読み解くには、いささか無理がありすぎる。

演出家不在の舞台
限られた上演時間の中で、言葉によって説明できる範囲に限りがあるとすれば、異なる複数の要素間の掛け算が必要だっただろう。果たして、『スーパーエンジェル』の上演要素は「一体になった」というよりも、各要素が独立した状態で舞台上に並置されていた。言い換えると、歌手、映像、ダンサーの要素はひとつの場面をまったく別個にそれぞれ表現していたように見えた。

ただし、セクション間での協働を阻害する要因が制作時にあったことは想像に難くない。新型コロナウイルス感染症拡大の波が繰り返し押し寄せる中で、「それぞれのセクションで準備が進められ」5、全体での稽古も最小限に留めることは避けようがなかっただろう。だが、セクションごとに準備を進めなければならなくても、全体を俯瞰する存在がいたのならば、セクション間での連携は辛うじて保たれたはずだ。

そこでどうしても気になったのが、『スーパーエンジェル』に「演出」担当者が二重の意味で不在だという点だ。筆者が観劇した初日には、スケジュール上の問題で当日出席できなかった同館演劇部門芸術監督の小川絵梨子からのメッセージが配布された。だが実のところ、この作品には「演出監修」「演出補」こそあれ、また、大野和士が「総合プロデュース」と「指揮」を兼ねてはいるものの、「演出」とクレジットされている人はいない。つい最近、東京2020オリンピック競技大会の開閉会式が、度重なるスキャンダルの末に演出家不在のまま実施され、その結果、テレビ中継の実況による解説が無ければ意味不明の、全体像を欠いた大規模パフォーマンスを目の当たりにしただけに、あまり良い連想は浮かばない。

ここで少しばかり、「演出」という概念について確認したい。ヨーロッパの舞台芸術における「演出」概念は新しく、マイニンゲン宮廷劇場で舞台美術や衣装から演技に至るまでを総合的にプロデュースする役割が生まれた19世紀後半、ようやく注目されるに至った。舞台芸術が技術革新と共に急速に複雑になり、ますます分業化していくと、全体に目を配ってまとめ上げる役割がいっそう求められるようになり、それとともに、原作となるテキストに忠実であるかどうかよりも、上演それ自体の意義が見出されていった。一人の人間によって担われるのか、それともコレクティヴで担われるのかは違えど、上演全体を外から客観的に見据える視点の必要から「演出」が生じていることに変わりはない6

より重要なのは、演出の結果は記号的にのみ還元されるべきものではないということだ。むしろ、演出の意図を超えて、パフォーマンスが自らの意味を能動的に再定義していくパフォーマティヴなものとして現れることを促し、その創造的な破綻をも作品の一部として取り込むために、演出家が必要だと言い換えてもいいのかもしれない。オペラ『スーパーエンジェル』には、「子どもたちとアンドロイドとの協働」や「三部門のコラボレーション」といったキーワードを記号的に示す場面が随所に配置されてはいる。だが、演じ手たちの表現の間に十分な対話が見て取れないとすれば、そこで生み出されているのは見せかけの調和でしかない。

東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の開催を契機とした日本博の一事業に名を連ねていた『スーパーエンジェル』における多様性と調和も、一度顧みられる必要があったのではないだろうか。あるいは、テレビカメラで撮影することを念頭に置いて作られたかのようなオリンピックの開閉会式と同様、年末に配信が予定されている公演記録映像を見たら、また違った印象を抱くことになるかもしれない。

  1. ステージナタリー「新国立劇場「スーパーエンジェル」開幕に大野和士「本当に新しいオペラ」と自信」2021年8月21日。
  2. 日本博 事業一覧「子どもたちとアンドロイドが創る新しいオペラ「Super Angels スーパーエンジェル」」
  3. 島田雅彦(2021)『スーパーエンジェル』講談社、20頁。
  4. 同上、33頁。
  5. 新国立劇場「子どもたちとアンドロイドが創る新しいオペラ『Super Angels スーパーエンジェル』リハーサル開始!」2021年8月6日。
  6. もちろん、日本における「演出家」の役割がヨーロッパのそれと若干――能や歌舞伎のようなジャンルにおいては大幅に――異なることも忘れてはならない。だが、ヨーロッパの公共劇場と同様、オペラ・バレエ・演劇の三部門制を取っている新国立劇場で、しかも部門間での協働を謳った『スーパーエンジェル』において、演劇部門の果たした役割は他の部門と比べて明らかに少ないように見える。

関連記事:Pick Up (2021/9/15) |オペラ「スーパーエンジェル」|丘山万里子

(2021/9/15)

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Presented by Agency for Cultural Affairs, Japan Arts Council, New National Theatre Foundation
Produced by New National Theatre, Tokyo

General Producer / Conductor:ONO Kazushi
Libretto:SHIMADA Masahiko
Music:SHIBUYA Keiichiro

Supervisor of Stage Direction:OGAWA Eriko
Creative Art Direction (Set, Costume, Lighting Design and Video Direction):HARIU Shizuka
Video:WEiRDCORE

Choreographer:KAIKAWA Tetsuo
Choreographic Advisor:OHARA Noriko

Associate Stage Director:SAWADA Yasuko
Alter3 Programming: IMAI Shintaro
Associate Lighting Design:TATSUYA Yuji

Chorus Master:KAWAHARA Tetsuya
Children Chorus Master:KAKEE Midori (Setagaya Junior Chorus)
Children Chorus Master:COLON Erika (The White Hands Chorus NIPPON)
Sign language Supervisor:IZAKI Tetsuya

Stage Manage:TAKAHASHI Naohito

Golem3:Alter3 (Supported by mixi, Inc.)
Akira:FUJIKI Daichi
Erika:MIYAKE Rie
George:NARITA Hiroyuki
Luisi/Nobody 1:KOIZUMI Eiko
Nobody2:KOMIYAMA Yukiko
Nobody3:KITAMURA Noriko
Nobody4:UENO Hiroyuki
Nobody5 (Violin Solo):NAGANO Rena

Setagaya Junior Chorus
The White Hands Chorus NIPPON

New National Theatre Chorus

WATANABE Takafumi, KIMURA Yuri, WATANABE Atau, NAKAJIMA Mizuki, WATANABE Takuro(The National Ballet of Japan)

Supporting Cast (No credit of Supporting Cast in English on the playbill)
異端5(黙役):松林けい子
柏木銀次、鈴木暢彬、浜野基彦、前田竜治、松田祐司、川越美結、木村寿美、望月さほ、森香菜子

Orchestra:Tokyo Philharmonic Orchestra

A collaborative project of Opera, Ballet & Dance and Drama divisions of the NNTT
Artistic Directors of New National Theatre, Tokyo:ONO Kazushi(Opera)YOSHIDA Miyako(Ballet & Dance)、OGAWA Eriko(Drama)