パリ・東京雑感|「運命共同体」時代の官僚|松浦茂長
「運命共同体」時代の官僚
Metamorphose of Bureaucrats in the Age of Common Destiny
Text by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)
Photos by 日本記者クラブ(Japan National Press Club)
新型コロナワクチンをめぐるドタバタは、驚きを通り越して、恐怖だった。接種のやり方が自治体任せだったから、賢い区では順調に接種が進んでいるのに、隣の区では申し込みの日取りさえ分からない。菅首相は、「7 月中に高齢者接種を終わらせろ」と自治体を恫喝したかとおもうと、自衛隊を動員して大規模接種を始めた。さらに新手に出て、会社や学校に声を掛けるとまたたく間に接種の準備が整い、今度はワクチンが足りないから中止しろという。
アメリカは国が数百ページの指針を書き、戦時なみの動員で一気にワクチン接種を展開したし、イギリスも国民保険サービスの底力で素早かった。日本は非常時に対応できない国になってしまったのだろうか?なぜこんな国になってしまったのか?
日本の役人は超人的によく働く人たちなので、かれらが失敗を犯すには重大な理由があったに違いない。
日本には記者クラブという制度がある。各官庁に記者のための大きな部屋があり、記者一人一人に専用の椅子と机まである。記者は毎日役人と同じ時刻に出勤し、役所の空気を吸いながら仕事するのだ。ふつうジャーナリストの修行は記者クラブからはじまるのだが、僕は変則的に、50歳過ぎて初めて記者クラブを経験した。
毎日規則正しく会見や懇談があり、当時、質問は朝日かNHKが最初に手を上げる決まりになっていた(封建的秩序?)。フジテレビごときが真っ先に質問して恥をかかないように、親切な記者が教えてくれたのだが、どうせ僕には質問も答えも禅問答にしか聞こえず、手を上げるどころではなかった。役人の仕事はまことに精緻で、質問する側も負けずに細かな点を突っ込むから、大雑把な僕には何のことかさっぱり分からない。夜中1時2時まで働いて(深夜は仕事に脂がのる時刻らしく、大声で議論する声が廊下まで聞こえてくることもあった)よく明晰な頭脳を保てるものだと驚嘆したものだ。
あの緻密な仕事を誇る官僚はどこへ行ってしまったのだろう。折良く、日本記者クラブで、「官僚と政治」をめぐってシリーズの会見が始まり、いくぶん謎が解けてきた。元官僚4人の見解をご紹介しよう。
僕が取材していたころ(1990年代末)の官庁はさながら封建時代の藩だった。役人は自分の省のために命をかけて働くのであって、日本国というのはあまり頭にない。元通産官僚の松井孝治氏は「霞ヶ関の課長の数だけある日本国」と、戦国時代みたいなことを言うが、1980年代にVAN戦争、今で言うインターネットをめぐる縄張り争いがあり、郵政省と通産省が3年間戦った。それほど「わが省」大事だったのだ。
しかし、今はVAN戦争みたいなことは起こらない。役所と役所が戦う「省益」封建制は終わり、「国益」中央集権制に移行したのだそうだ。わたしたち国民は、役人は国のために働くものと思い込んでいるので、いまさらなんで「国益」などを持ち出す必要があるのかと首をかしげたくなるのだが、そもそも国家なるものは抽象的で、戦争やオリンピックでもないと実感がわかない。「国益」といっても、平時には口先だけのスローガンみたいなもの。フランス人などは抽象的理念のために奮い立つ変わった人たちだけれど、日本をはじめ普通の国では、人は「国」という抽象ではなく、「家」とか「部族」とか「宗派」とか「会社」とか実感をともなう身近な共同体のために働き、戦ってきた。「省益」のために発奮するのはいわば人間の自然であり、「国益」となると、何か特別の工夫をしなければ、士気を鼓舞することが出来ない。
安倍=菅政権が「国益」の名の下に企てたのは人事支配による中央集権だった。それまで各省大臣が人事権を握っていたのを取り上げ、彼らの思いのままに官僚を動かす仕組みを築いたのである。松井孝治氏によると官僚たちは菅(官房長官)の前に立つと背筋が凍ったそうだ。なんで自分が動かされるか理由が分からない不気味さか?
元文科省次官だった前川喜平氏は、菅人事によって引き立てられた例として、
① 警察庁の中村格次長。伊藤詩織さんをレイプした容疑で逮捕状が出ていたTBSの山口敬之記者の逮捕を、直前に止めた。当時、警視庁刑事部長だった中村は、山口記者が安倍首相のお友達だったのを忖度したと言われる。中村は2022年の人事で長官になる。
② 財務省の矢野康治次官。森友学園をめぐる文書書き換えについて、「菅官房長官は何も知らなかった」と証言した。当然次官になるはずの候補を押しのける形で次官になった。
③ 文科省の藤原誠次官。官房長の任期を定年の60歳以降にまで延ばし、引き続き次官(62歳定年)につける異例人事があった。さらに、次官の任期が63歳になっても延長される異例人事。官邸との太いパイプが働いた。
逆に菅氏の逆鱗に触れて左遷された例として、総務省の平嶋彰英自治税務局長が、ふるさと納税の行き過ぎに歯止めをかけようとしたため、次官コースから外された。前川氏によると、平嶋氏はまともな官僚の最後の一人だそうだ。
平嶋氏は朝日新聞のインタビューにこう語っている。
「『異例人事』は私だけではありません。だから、いまの霞が関はすっかり萎縮しています。官邸が進めようとする政策の問題点を指摘すれば、『官邸からにらまれる』『人事で飛ばされる』と多くの役人は恐怖を感じている。どの省庁も、政策の問題点や課題を官邸に上げようとしなくなっています」
安倍首相が感染を広げないため全国の学校一斉休校を思いついたとき、首相に呼び出された文科省の藤原次官(異例人事の人)は、即座に「私もやった方が良いと思います」と答えたそうだ。実は、文科省としては、給食によってかろうじて栄養が保たれている子がいることも分かっているし、長期間の休校が子供と親にどれほど深刻な打撃を与えるかが分かっているから、休校せずに感染を食い止める対策をすでにまとめていたのである。しかし、安倍=菅強権の下で生き延びるには、役人としての責任を放棄し、迎合するしかない。「頭の回路がそうなってしまった」と前川氏は言う。
大分前の話になるが、森友事件の文書書き換えを命じた佐川長官の「忖度」と、国会での堂々たる嘘にショックを受け、「いったい日本の官僚はどうなったのだ」と旧友の元官僚にメールで訊いたことがある。彼の答えはこれまたショッキングで、「彼らは、そのように行動することこそ、最も賢く、最も高級で、役人として最も正しいことだと深く信じてそうしているのです。」というもの。旧友は官僚のトップを務め、国会で罵られても節を曲げない男だったから、義憤のあまり大げさな表現をしたのだろうと思っていたが、額面通り理解した方が良さそうだ。前川氏の言う通り、頭の中に迎合・忖度回路が出来上がってしまったのである。
元厚生労働次官の村木厚子さんは、「逃げ場を失わないように」と言っていた。やりたくない仕事を押しつけられたとき辞職してもやっていける備えが大事。若い後輩には「共稼ぎにしなさい」と忠告したとか。節を守るために、職を失ったときの経済基盤を確保しなさいというのである。佐川長官にはその心がけが欠けていた?
あれほど誇り高く、自信を持って政治家を操り、目標を実現してきた官僚が、いまや官邸の言うことは何でも聞く下僕に成り下がってしまった。自分で考えるのをやめ、官邸から降りてくるのを待つ下僕。この惨状を考慮すれば、疫病対策の混乱も理解できる。むしろ新型コロナのような訳の分からない相手に対し、あの程度の失敗で済んだことを感謝すべきなのかも知れない。
それにしても、官邸の陰険な人事だけで、簡単に官僚が腐りきるものだろうか。アメリカではトランプ大統領がとんでもない人事を乱発し、気まぐれなツイッター政治をしたが、役人の多くは、自分の信じるところに従って働いた。解雇を覚悟して面従腹背、あるいは正面衝突して辞めていった。日本の官僚はなぜあんなにもろかったのだろう。
復興庁次官を務めた岡本全勝氏は、「平成に入り官僚の評価が急落し、自信喪失に陥った」と言う。そう言えば1990 年代末、通産省幹部が懇談の席で、「これまで決して崩してはいけないと思っていた壁が次々と崩れて行きます」とつぶやいていた。あれから20数年、いまや面従腹背で抵抗しようにも、腹の中に守るべき中味がなくなってしまったのかもしれない。
もう40年も昔のことだが、ロンドンのBBCワールドサービスに出向していたとき、ボランティア(今で言うNPO)紹介のシリーズ番組を作った。老人、自殺、障がい者、人権、環境、宿無し……ありとあらゆるボランティアの活躍ぶりに、感心したからだ。取材してみて、びっくりした。官と民の関係が、日本とはまるっきり違うのだ。日本でボランティアといえば、真っ先に災害時の応援が頭に浮ぶ。身体を使って人を助けるイメージ、あくまで応援である。
ところがイギリスのボランティアのリーダーは「私たちは圧力団体です」と言う。ボランティアは、彼らの日常活動を通じて寄せられた膨大な情報を蓄えていて、その情報は、いつでも質問に答えられるようパンチカードに整理してある(パソコンはまだなかった)。たとえば障がい者支援のボランティアだと、座骨神経を失った人のためにどんな補助が必要かなど、問題とその解決法の具体的な情報が蓄積されている。この情報がボランティアの武器であり、それを使って役人を動かすのだそうだ。
ぼくがよほど怪訝な顔で説明を聞いていたらしく、「なぜでしょう。日本から来た方は皆信じてくれません。でもイギリスでは役人がボランティアの後についてくるのです」とのたまった。
とはいえ日本のNPOも強くなった。生きづらさを抱え、打ち明ける相手がいない、孤独に苦しむ人のためのチャット相談「あなたの居場所」を立ち上げた大学生がいる。大空幸星さん(22歳)。1年足らずで4万2000人から相談が寄せられ、カウンセラーは800人を越えた。しかし、NPOだけでは孤独をもたらす社会を変える力はないのに気づき、大空さんは政治への展開を模索する。
イギリスは世界で初めて孤独担当大臣を設けた孤独問題の先輩なので、大空さんは英政府の孤独担当の責任者からZ oomを通じて話を聞く。そして、イギリスのNPOが昔からやってきたように、国に対する政策提言をまとめた。驚いたことに、自民党は彼の話を聞いて、孤独の勉強会をつくった。日本に孤独大臣が誕生する前のことだ。
イギリス政府が孤独問題に敏感だったのは、NPOの提案を真剣に聞く伝統があったためかもしれない。孤独は、本人を死に到るほど苦しめるだけでなく、社会をむしばむ。ハンナ・アーレントが指摘するように、孤独はファシズムを生む土壌。家族や隣人、職場などの人間関係から切り離され孤立した人が、ナチスのような大衆運動に巻きこまれやすいのだ。トランプの熱狂的支持者の多くは、家族と疎遠で親友もない人だったという。
村木厚子元厚生労働次官は、「公務員は一流でなくて良い」という。いま社会で誰が困っているか、課題の発見は、現場で働いているNPOから学べば良い。役人が専門家になろうとしても、その分野に一生を捧げた人にかなうはずがない、というのだ。東大法学部卒が支配する官僚世界にむかって「公務員は二流で良い」とはどういうことか?オカミがシモジモに耳を貸してやるような中途半端な姿勢はもう許されない。「公務員よ謙虚になれ」と悔い改めを呼びかけているように聞こえた。
21世紀の社会は、どこの国も貧困、孤独、環境など民間では解決できない沢山の課題を抱えている。とくにコロナ禍は、公共部門の脆弱な日本の姿をさらけ出してしまった。この状況に「国益」という言葉はピント外れに聞こえる。
松井孝治氏は国民と企業と行政が積極的に責任を担い合う「新しい公共」を提唱するが、「公共」という日本語はどことなく嘘くさい。日本語の「公」は「公儀」つまりオカミであり、シモジモとは敵対的ですらある。Publicの訳語として「公共」といってみても、所詮日本にはPublicの歴史がないので、上下の差別感は消えない。
新型コロナがあらためて教えてくれたのは、地球が変調をきたしていること、人類の生存が脅かされていることだ。差し迫る脅威のもと、ともに命を守り、人間らしさを保ち生き延びるための知恵と連帯をさす言葉はないだろうか?ポストコロナの人間のあり方をさすには、フランスの法学者デルマス・マルティが提示したCommunauté de Destin運命共同体という語がふさわしいのではないだろうか?Publicはあくまで人間の集まりなのに対し、「運命共同体」は生きとし生けるもの一切を包み込む。
狂い始めた自然のバランスを回復し、貧困や孤独、市場経済の歪みを正す仕事は企業には任せられない。利潤追求の外にいる官僚にしか、出来ない仕事だ。ともに命を守る「運命共同体」の神経中枢は官僚機構でなければならない。村木さんがイメージするような、悔い改めた謙虚な官僚が、NPOに付き従って働いてくれるなら、今からでも社会がカオスに落ち込むのを食い止めることが出来るかも知れない。
官僚になった友人たちは、高校時代から生徒自治など面倒な仕事を引き受け、出世しても、古い公団住宅並みの宿舎で質素に暮らし、連日深夜まで働いていた。弁護士になれば数倍の収入が得られただろうが、カネよりも「役に立つ」ことを選ぶ連中だった。こんな官僚DNAはいまも日本人の中に生き続けているはず。
「運命共同体」の神経中枢に生まれ変わった官僚は、国民に煙たがられる「公」ではなくなるし、国民の支持があるから、上を向いて忖度しなければならない弱みもなしにすむだろう。
(2021/8/15)