Menu

五線紙のパンセ|古典はアイデアの宝庫〜ベルリオーズ『幻想交響曲』|横島浩

古典はアイデアの宝庫〜ベルリオーズ『幻想交響曲』

Text & Photos by 横島浩(Hiroshi Yokoshima)

第1回目はベルリオーズの幻想交響曲。
「このコーナーは、人、音、社会、時代など、常日頃お考えになっていることを何でも自由に」書いてもよいということなので、上記の作品を取り上げる。名だたる先鋭的批評家たちが寄稿する「音楽の創造・享受の新たな軌道を翔る批評誌」に、幻想交響曲の何を書こうというのか、いぶかしがる向きもあろうが、お付き合いいただきたくお願いする。
私は作曲を主にしているが、現代音楽ばかり聴いているわけではなく、いつの時代の音楽も分け隔てなく聴いているといってよい。そのため、「いつも普通の音楽を聴いているのに変な曲ばかり作るのはなんで?」と真顔で尋ねられることもしばしばある。一般の聞き手にとっての「変な曲」とは前衛的な音と無関係で、耳なれない音楽全般を指していると想像できるが、私の曲の「変さ」の程度が理解できる者にしてみれば、私が過去の音楽に興味を持つ背景も理解できるものと思う。作曲スタイルのスタンスの置き方は様々だろうし、段階的でもあり、個人内で段階を設定するのも現代の作曲家では当たり前であろう。
しかし、ベートーヴェン以降の作曲家は、他人では作りえない・発想し得ない作品を作ろうと(ビーダーマイヤー等アマチュア向きの作曲家は除く)、個人主義を掲げる。19世紀終わりに至ると、バロックのみならずルネッサンスにまで創作アイデアを求めるようになる。話題になることはほぼ無いが、フォーレの和声にしてもニーデルメイヤー校で習得した「グレゴリオ聖歌伴奏法」からの直接的な影響が見出せそうであり、シェーンベルクやストラヴィンスキー等、当時前衛的と目された作曲家たちが「過去の音楽」であるバッハ作品をアレンジし、バルトークだってフレスコバルディやロッシの作品をアレンジし、過去をアイデアとして自己に取り込んでいた。これら、作曲家としての取り込み方はさまざまであろうが、作曲の拠り所の認識が古い音楽に向かっていたことは確かである。
新しいことを生み出そうとするとかつて作られた作品を紐解き、私の知らなかった技術や思想からアイデアを導き出そうと考えるに至る。おおかたの前衛的と自認する作曲家たちも同じ志向であろう、新しい手法を生み出すすべを放棄したと見なすべきでなく、メシアンが開発した移調の限定された旋法のように、異文化からアイデアを得るための広がりだって見せるのが好例だが、新しさへと我々(前衛的作曲家)は常に向き合うために過去や異文化の作品を好むのだと、しておこう。引用素材として、あるいはセリー的素材として、または具体的作曲法のアイデアの根源として(中世ルネサンスには、計り知れないほどの技法が詰まっている)。

ベルリオーズの幻想交響曲のCD解説では、おおかた作曲年を1830年としており、ベートーヴェン死後3年後(ベートーヴェン・ショックをヨーロッパで覆いつくしていた時期といえる)の偉業をたたえるが、その後1831年に改訂、1844年には第2楽章にコルネットを追加、1855年には最終改訂が行われるといった長期間に渡っての改訂を経た楽譜の演奏を、我々は聴いているということは知られていないのではないだろうか。今回、初期版と最終版との比較をしようというのではない(ずいぶんと違うのであるが)。
フランス国立図書館が所蔵する最初期の自筆譜ファクシミリが2017年に出版された。この楽譜についてはベルリオーズが自伝で書いているように初演後「以後幾年もかかって私の能力の限り、細心の注意をこめて楽譜を修正した」とあり、第3楽章を友人の忠告に従って全て書き直したとか、第2楽章にコーダを付け加えたなどの記述がある。
修正とは、どんな風に行われたのであろうか。ベルリオーズという作曲家が自筆譜に施した修正の刻印を見てみると、とても興味深いことが見えてくる。
このファクシミリの特徴は、修正のために楽譜の上に貼られた修正後の五線紙を剥がし、下に書かれていた楽譜が見られるようになっていることである。つまり、修正前の楽譜を閲覧できる仕様になっている。その他にも注目すべき修正の方法が多種にわたっており、それはなにを意味するのかを考えてみる。

ベルリオーズが一度書いた音符を消す方法・修正する方法が一様ではないことがファクシミリからうかがえる。この音符は、のちのアイデアとして残して置きたいか、永遠に消し去りたいのか、それぞれの修正が様々な段階での修正選択であろうと、作曲家目線で観察してみた。
1.五線紙の上に五線紙を糊付けしての修正。しかし糊付けは全面糊付けではなく、剝がすことは可能。
2.バツ印による網掛けをしての削除。粗い斜線で消しているため、もともと書かれた楽譜は問題なく読める。
3.細かい斜線による塗りつぶし。ほぼもともとの音符を読めないようにしているが、読めなくはない。消した上下に新たな楽譜を記入している場合もあり。
4.真っ黒な塗りつぶし。もともとの音符の判読は不可能。発想記号に多く、また、音符を消した場合には新たな音を五線紙の隙間に書き加えている。
5.音符をナイフで削り消す。この場合は新たな音符が書かれている。
これらの修正がはなはだしいのは第1、5楽章で、第4楽章はもともと未完成歌劇「宗教裁判官」の一部のスコアを切り取って貼り付けただけなので、修正は一部のオーケストレーションと最後部に恋人のイデーフィクスを組み込むために修正をしている跡のみである。
私がこれらの自筆譜修正で感じるのは、作曲者が一度得たアイデアをどこまで大切にするのかという思いである。
これら修正方法を幾種類も用意していたことから、ベルリオーズがのちの改訂を見越し、自分が書いた音符をアイデアとして残しておく価値があるのか、廃棄すべきかなどの自己判断をしていたことが直接的に表れているといえるのではないだろうか。
2.のバツ印はスケスケに元の楽譜が見えて、あーーもともとこのような部分をここに挟み込みたかったのだなあと考え、これを挟み込んだら幻想交響曲はどのように聞こえるのだろう・・とか、1.では、「これは不必要である、しかし残して置きたい」という無念さすら私は感じるのだ。たとえば、第1主題を第1ヴァイオリンとフルートで提示、第2ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロはトレモロで和音を刻んでいるというのはオーソドックスな作りではあるが、それをのちに外し第1主題を浮遊した状態で提示させた実験性には、実はベルリオーズ自身も勇気が要ったのではないだろうか。3.も面白いところがある。第1楽章主題動機をむりやり組み込んだためせせっこましくなるところを三連符に修正した(第1楽章134小節~138小節)り、第5楽章のフーガ「魔女のロンド」開始、現行では3重フーガだがここに第1ヴァイオリンが4重フーガを形成しようかという勢いで1小節前からスケールで食い込んでいる。この箇所は4.と近いが、パソコンの画像イジリで音が判読できた。5.は彼自身が汚点と思ったのだろう、移調楽器音符の誤りの修正である。
ベルリオーズという作曲家が書いた個々の音への想いが、段階的に示されていると読めたのは面白かったことであった。
私個人の作曲法は、システムによって書き、一度書いたものに信頼を置いているため、基本的に修正はない。しかし、書き落としが多数見つかりあたふたとするのが常だ。
なお、この初期版ファクシミリから掘り起こした超初期版(消された音の復活と加えられた音の消去)作成を私が4年前に行い、スコアも完成している。私が勤務する福島大学管弦楽団で演奏したいと願っているが、毎年無理ですとの返答で、まあ私が死ぬまでにはどこかで演奏して欲しいものだ。

(2021/7/15)

————————————
横島 浩 (Hiroshi Yokoshima)
1961年生まれ。長野県出身。
才能教育研究会にて片岡ハル子氏ほかにピアノを師事。
武蔵野音楽大学大学院(作曲)修了。作曲を池本武、竹内邦光、田辺恒弥の各氏に師事。ピアノを木嶋瑠美子氏に師事。
1988年、第5回日本現代音楽協会新人賞入選。
1989年、第58回日本音楽コンクールに入選。
1990年、第7回日本現代音 楽協会新人賞入選。
1990年、作曲家グループ「TEMPUS NOVUM」創立に加わり創作活動を行う。
2005年、第74回日本音楽コンクール作曲部門第1位、併せて明治安田賞を受賞。
現在、福島大学人間発達文化学類教授