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パリ・東京雑感|アメリカのルネッサンス 疫病の破壊力がもたらすもの|松浦茂長

アメリカのルネッサンス 疫病の破壊力がもたらすもの
Has The American Renaissance Begun?

Text by松浦茂長(Shigenaga Matsuura)

オリンピックの結果、ワクチンも歯が立たない強毒性「五輪株」が生まれ、日本は世界の厄介者になりはしないかと、息を呑んで待ち受けているような今の空気だが、海外には、ポスト・コロナの気分にひたる気の早い国もある。フランスでは、屋外にかぎりマスクなしでも罰されなくなった日、『ルモンド』電子版はトップに「『生き返った』:マスクを捨て、フランスは取り戻した自由を心ゆくまで味わう」と詩的なタイトルを付け、河辺で食事とお喋りを楽しむパリっ子らの表情を伝えていた。
『ニューヨークタイムズ』には「アメリカのルネッサンスが始まった」と壮大なタイトルのコラムが載った。筆者は重鎮デイビッド・ブルックスだ。
ドキッとする書き出しで、第二次大戦後、廃墟となった日本とドイツが、奇跡的な経済成長をとげ、逆に、戦争に勝ち、産業を温存できたイギリスが停滞したのはなぜか?と、ブルックスは歴史の「パラドックス」を持ち出す。私たち日本人にとっては、パラドックスどころか自明の歴史的真理に見えるけれど、一応おさらいしておこう。

厚木に到着したマッカーサー(右から二人目)

毛沢東の赤軍が、不在地主の土地を農民に分け与えたように、マッカーサーの進駐軍が農地改革を実行させた。また日清、日露戦争以来、政府、政党と結んで軍国主義を支えてきた財閥が解体された。こうして敗戦と占領により、硬直した社会の枠組みが取り払われ、自由な発想・イノベーションのための地ならしが出来たのだ。たしかに、あの徹底した破壊がなければ、日本の高度成長はあり得なかったのかもしれない。
75年前日本とドイツで起こった破壊と再生の奇跡。ブルックスはいまアメリカで同じ奇跡が起こりつつあるという。多くの日本人が家を焼かれ、親を失い、飢えに苦しんだあの頃と新型コロナの破壊力を同列に置くのは無茶です、と言いたくなるが、アメリカはコロナで60万人の命を失った(第二次大戦の死者は29万人)。最悪の時期には、墓が足りず、巨大な穴を掘って死体を並べ集団埋葬するという悪夢のような状況になったのだから、戦争並みの破壊力と感じたのも分からないではない。
破壊の大きさの方はともかくとして、ルネッサンスの兆候は数字にもはっきり現れているようだ。ここ数十年、起業家精神の力強さが見えにくかったのに、去年は意外なことに440万の新企業が誕生し、近年の記録を大きく更新した。就職・転職あっせんのラサール・ネットワーク、トム・ギンメル社長は「25年来、求人市場がこんなに良いのは初めてです。コロナ前に比べ、就職口が50パーセント増えました。」と言う。投資家はベンチャー企業に惜しみなくカネを出し、今年の第1四半期にスタートアップは690億ドルを集めた。この数字は、近年で一番多かった2018年に比べ41パーセント増である。

しかし、このブームはコロナ禍で1年以上も禁欲を強いられた反動に過ぎない、という見方も出来るだろう。旅行も外食も出来なかったから、おカネはたっぷり貯まった。ローンなどアメリカ人の借金は1980年以来の少なさ。やっと使えるときが到来し、大量におカネが吐き出されるというわけだ。もし節約の反動だけだとするとブームは長く続かない。ルネッサンスと呼ぶほどの大変革ではないことになる。
本当にアメリカが深いところで大きく変わりつつあるとすると、それは、投資と雇用といった表に現れた数字よりも、心の中の変化。心のルネッサンスだ。
疫病に脅かされ、毎日知人や有名人が死んでゆく日々、誰しも「人生は短い」という真理を思い知らされる。(僕も毎晩、夕食のテーブルにつくと、「今日も生き延びました。乾杯」とつぶやいてワインを飲む習慣だった。)我々凡人も、道元禅師の説く「無常迅速なり。生死事大なり」の自覚に幾分近づいた。言い換えれば、今まで大事だと思い込んでいたものが、実は自分の人生にとってどうでも良いものだったと気づく、そんな目覚めのチャンスが与えられた。精神的・社会的ルネッサンスが起こるのに好適な条件ではある。

アメリカでは、日本とは比較にならない厳しいロックダウンが続いたのだし、疫病の経済社会的打撃は、ブルックスが戦争の破壊力に比べるほど深刻だったに違いない。とりわけ、母親が苦しんだ。子供を保育園に預ければ感染の危険にさらすことになる。子供を守ろうとすれば仕事に行けない。正しい選択がどこにあるか分からないまま格闘し、<燃え尽き>た母親たち。疲れ果て、なにもかも空しく、孤独な女性たち。こうした患者たちを診たポージャ・ラクシュミン博士は、母親たちが<燃え尽き>たのは、家庭の営みに対し思いやりある経済社会を作らなかったアメリカの政策の責任であり、社会の<裏切り>だと言う。

働く母親のメンタルヘルスがめちゃめちゃに痛めつけられたのは、社会の<裏切り>がいかにひどいかの反映である。それは<燃え尽き>ではない。私たちの社会は、いかなる犠牲を払ってでも利益を追求することを選んだ。この社会の選択が、母親に不可能な選択を強いたのだ。
<燃え尽き>は、働く母親が柔軟性を欠いていたと言う風に、原因を患者個人に求める見方だが、<裏切り>は患者を取り巻く社会構造の欠陥を問題にする。

ところで、ラクシュミン博士は利益至上主義社会の罪を問うが、女性たちの側にも、その罠にはまりやすい弱みがあったのではないか?
米国の女性たちは、自分たちの解放を成し遂げるために<野心>を持たなければならないと教えられてきた。男が独占してきた仕事を奪い取るためには、女性にも同じ仕事が出来ることを実力で証明しなければならない。だから、重い仕事をするチャンスに出会ったとき、ためらってはならない。諸手を挙げてその仕事を歓迎しなければならない。こうして、女性の地位向上をめざすフェミニズム主流文化のなかに、キャリア主義が組み込まれてしまった。だが、キャリア主義は諸刃の剣。コロナ禍が<野心>のあやうさを明るみに出したのである。作家ケリー・コルドゥキによると

個人の業績達成を何よりも高く評価する社会では、<野心>が、ハードワークや粘り強さと同様に美徳とされ、誰もそれに疑問を感じない。誰よりも実力を発揮できるポスト、影響力のあるポストにつきたいと、私たちは懸命に努力し、それを良いことと信じてきたのだが、裏を返せばこの<野心>追求は、能力主義社会(エリート支配)という利益至上主義神話への信仰表明にほかならない。ところが、この能力主義社会こそコロナ禍の米国女性を裏切り、私たち数百万の女性を幻滅と絶望に追いやった元凶なのだ。

この状況にどう立ち向かうか?利益最優先にノーを突きつけ、自分の正気を守る一つのモデルを示したのが大坂なおみだった。僕はテニスに疎いので、記者会見を断っただけでなぜ165万円の罰金をとられるのか、なぜこんな非常識が罷り通るのかさっぱり分からなかった。ある解説は、テニスのトップクラスの選手は数億円の賞金をもらうのだから、記者会見の義務があって当然と書いていた。裏返して言えば、賞金を払う側は、記者会見の放映権で稼ぐ正当な権利があるというわけだ。
スポーツの世界では、利益追求が人間性を押し殺し、グロテスクに肥大化してしまったようだ(オリンピック!)。ふたたびケリー・コルドゥキを引用しよう。

大坂は人々のあいだでフツフツと高まり、はっきり表明される時を待っていた<反逆>のこころを、公然と白日の下にさらした。多くの女性たち同様、この天才テニス選手も、彼女の労働から収益をあげる者たちが押しつけてくる際限ない要求より、自分自身の健康と正気を優先する権利があることに気づいたのだ。

<野心><業績><キャリア>実現の頂点に立つ女性が、試合を放棄したのだから、そのメッセージは強い。でも、コロナ前だったら、彼女の必死の訴えも共感を呼ばなかっただろう。「プロ精神の欠如」で片付けられたかもしれない。疫病がアメリカ人の心を変えたのだ。
アメリカでは有名スポーツ選手にオピニオンリーダーの役割が期待されていると聞く。その役割を正しく果たそうとする大坂なおみの姿は、テニス音痴の僕にも頼もしく見える。

さて、能力主義神話のメッキがはがれるとしたら、そのあと、社会はどんな表情を見せるのだろう?
コロナ禍のなかで、多くのアメリカ人は家庭的なゆったりとした時間を過ごした。女性にとってはプレッシャーに耐えなければならない時だったが、それでもテレワークした数百万人は、通勤に時間とエネルギーを奪われることなく、毎晩子供たちと食事する生活を楽しんだ。経済学者ニコラス・ブルームによると、疫病が去った後も家で仕事する割合は全体の20パーセントを占める見通しとか。
モノを生産するには人が大勢集まって働く工場の形が能率的だが、現代の仕事の多くは、自宅の落ち着いた環境でする方が能率が上がる(オフィスワークより13パーセント能率向上という調査もある)。もちろん大多数の仕事はテレワーク出来ないことを忘れてはいけないが、先端的な分野では、産業革命以来の集団作業のスタイルは、とっくに時代遅れなのかも知れない。
疫病の1年半、<人生は短い>を日々思い知らされ、社会の<裏切り>に目覚め、家でも仕事できることを悟ったアメリカ人。彼らは、まず仕事と家庭生活をどうバランスさせるか考え直すに違いない。そして、より自分に正直な生き方をするため、何が自分にとって一番大切なのか再点検に取り組む人も多いだろう。そうした変化の行きつく先、いったい社会はどうなるのか?明日の予言は、最初に登場したデイビッド・ブルックスにまかせよう。

人々は、現代に生きる人間みなに共通する課題――孤独と共同体喪失――に取り組むため、人生を軌道修正している。この全国民的発見の旅がどこにたどり着くのかは誰も知らない。ともかく、旅は始まったのだ。

ブルックスは文章の最後にポロッと「孤独」を持ち出した。そうだ。現代人が孤独に苦しむのは、利益至上主義=能力主義=エリート主義=神話が、人々の横のつながり(共同体)を腐食、分解させたためなのだから。

(2021/7/15)