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五線紙のパンセ|ケンハモと現代音楽と私(3)|野村誠

ケンハモと現代音楽と私(3)

Text & Photos by 野村誠(Makoto Nomura)

 7 ケンハモ野外楽

ケンハモ携え、町に出よう。そもそも、ケンハモを始めたきっかけは、狭い「アート」の外に出て行くためだった。ぼくは、文字通り外に出るべく、連日、路上演奏を続けた。ヨーク、アテネ、フランクフルト、ケルン、ベルリンと旅先で演奏した後、山手線全駅の駅前など都内各所で演奏した。場所ごとの人の反応の違いを楽しんだ。アテネの人はお金を入れなくても、のんびり聴いていくが、ドイツでは足早にお金を入れて通過する人が多かった。場所が同じでも、ジャンルの違う音楽を演奏すると反応も全然違った。《サザエさん》を弾んだリズムで演奏すると通行人が踊り出すが、ベートーヴェンの《テンペスト》第3楽章を演奏すると、静かに立ち止まって最後まで聴き拍手が起こる。武満徹の《遮られない休息Ⅰ》を下北沢駅前で演奏したら、雑踏の中、ほとんどの通行人が気にも留めずに通過する中、オーストラリア人とスコットランド人が興奮してやって来て、「ピエール・ブーレーズみたいな音楽をストリートでやるなんて」と語り、投げ銭をはずんでくれた上に飲み物もご馳走してくれた。路上でも武満は西洋人に受ける。
路上演奏はハプニングの連続だった。リクエストをされたり、握手を求められたり、仕事の依頼が来たり、警察に注意されたり、悩みを相談されたり、犬が立ち止まって聴き入ったり。通常のコンサートでは起こりえないことが次々に起こった。通行人との双方向のコミュニケーションを目的に始めた自覚はなかったが、だんだん、そちらに興味が移った。路上演奏で学んだことは、通行人が話しかける隙を敢えて作って演奏すること。演奏しながら通行人の行動を観察すること。何かが起こりそうな気配がある時には、それに追随すること。すると、毎回、面白い出来事が起こる。そうした出来事をその日のうちに日記にまとめて記録した。路上でのご縁で、1999年にペヨトル工房が『路上日記』を出版してくれた。路上演奏で知り合った作曲家たかの舞俐さんがケンハモ6重奏《Song of the Pig-Mary》(2000)を書いてくれた。
それにしても、路上演奏で度々、犬が立ち止まって聴いて行くのは不思議だ。犬の好きな周波数の音がしているのだろうか?犬との音楽、さらには様々な動物との音楽をやってみたいと思った。2004年、バーミンガム(イギリス)のIkon Galleryの招聘でパフォーマンス週間に参加した時には、ペットを連れてきてよいコンサート《Music with Pets》を行った。その時には、ぼくが息を吹き込むケンハモの鍵盤を犬が押してくれた。2005年、横浜トリエンナーレで発表した《ズーラシアの音楽》は、映像作家の野村幸弘との共作で、動物園に宿泊して動物たちに向かってケンハモを演奏した。アリクイがケンハモに興味を示し、あの長い鼻なんだか口なんだか分からない先端で、鍵盤を演奏した。アリクイでなければ出せない独特な発音だった。鍵盤はアリクイのよだれでベタベタになった。
よだれでベトベトは初体験だったが、水浸しはよくやった。ウォーターゴングならぬウォーターケンハモ。初めて試したのは1993年に武満徹の図形楽譜の作品《コロナ》を演奏した時だったような記憶があるが、記憶違いかもしれない。「福岡アジア美術トリエンナーレ2009」で発表した《お湯の音楽会》では、銭湯の湯船の中にケンハモを入れたし、「あいちトリエンナーレ2010」で発表した《プールの音楽会》では、《バタ足クインテット》でバタ足の合奏を楽しんだ以外に、リコーダー、トンガトン、ケンハモをプールの水中で演奏した。

 8 鍵ハモトリオ・コレクション

P-ブロッを結成して以降、ケンハモ8重奏を何曲も委嘱したが、大編成の曲は何度も再演するのが難しい。せっかくポータブルな楽器なので、小編成の小品をたくさん集めるプロジェクト「鍵ハモトリオ・コレクション」を始めた。「百人一首」のイメージだ。3分のトリオなので、作曲家の作品を一挙に紹介する機会を作ることもできる。2003年に受賞したアサヒビール芸術賞の賞金を活用し、次々に小品の委嘱を始めたのが2006年。〆切は設けず、いつでもいいという条件にしたら、譜面がすぐ来る人もいたし、忘れた頃に譜面が届く人もいたし、永遠に来ない人もいた(まだ来ないと断定はできないが‥)。5年間で16曲のケンハモトリオの世界初演をした。列挙すると、鶴見幸代《おほほ》、近藤浩平《鍵盤ハーモニカ3重奏のための小品集》、田中吉史《うろおぼえの旋律とコラール》、近藤浩平《ふがいない戦士達》、寺内大輔《林道》、David Kotlowy《KUMO NO MOYO》、野村誠《ベルハモまつり》、加藤千晴《金魚町のどくだみ》、牛島安希子《Uninterrupted Rests again》、松本祐一《Abraham Variations 3rd Variation》、Andrew Melvin《TORIO》、橋本裕樹《SuperSonic》、Carl Bergstroem-Nielsen《Versnaperingen》、橋本知久《新しい人のためのファンファーレ》、朴守賢《カジュアル火曜日》、Soe Tjen Marching《MELON》。国籍も作風も様々な16曲だ。
2013年には、日本現代音楽協会の主催で、現代の音楽展「野村誠鍵ハモトリオ『鍵盤ハーモニカのために』」が実現した。新たに13曲の新曲が書き下ろされ、鈴木潤さん、片岡祐介さんと一挙に13曲の世界初演をした。こちらも列挙すると、池田真沙子《もつれたリチェルカーレ》、大慈弥恵麻《Nasobema 2》、Gardika Gigih Pradipta《Melodi di Kampung》、木山光《曽根崎心中》、近藤浩平《南の島の3人の男》、高橋哲男《五連鐘楼のアナグラム》、田口雅英《3分間の夢想》、中村典子《雛翠 baby green》、平木悟《音楽は◎る》、福井ともこ《ascending and descending》、三沢治美《ブルーダンス》、南川弥生《ムーンレインボウ》、諸橋玲子《おとなひII》、というバラエティに富んだプログラムとなった。

 9 ケンハモの未来へ

作曲家たちに委嘱するだけでなく、音楽以外のジャンルでのケンハモの探求もある。2007年にダンサー・振付家の白井剛さんと発表した《フィジカル・メロディカ》は、ケンハモデュオの音楽でありダンスである。ケンハモの鍵盤には触れずに、ホースを口にくわえ重心をコントロールすると、床に接触する鍵盤の数や圧力が変化し、ダンスであり音楽になる。ケンハモを相手の体に擦りつけながら、エロティックに絡み合うようなシーンも生まれた。2009年には、こうしたケンハモの身体性を、小学生と探求してダンス作品を作った。小学生はいい意味で想像を裏切り、鍵盤ハーモニカのホースだけを深めていった。ホースでリコーダーを演奏したり、風船とホースを連結してサックスのような音を生み出し《Wind Septet》というパフォーマンス作品になった。ケンハモと身体性は、今後も追求していくテーマだ。
国際交流も大きなテーマ。2008年には、かつてのP-ブロッメンバーの小瀬泉さんが繋いでくれて、ベルリンでMelodica Summitが実現した。2009年7月にロンドンの国際交流基金でケンハモの講義が実現。50名程度の会場に130名もの人が詰めかけ、エアコンのない国が、文字通り凄い熱気となった。その時に用意したレジュメをウェブサイトに掲載して以降は、時々、世界のあちこちからケンハモに関する問い合わせメールが来るようになった。2009年9月にドイツの作曲家Daniel Wolfがオンライン上のケンハモ作品集の呼びかけをし、ぼくを含めた13人の作曲家が楽譜を掲載した。2011年、インドネシアのジョグジャカルタ滞在中に、作曲家の樅山智子さんの作品上演を聴きに行ったところ、ジョグジャカルタで(おそらく)唯一の若きケンハモ奏者Gardika Gigih Pradiptaが出演していた。インドネシア国立芸術大学で作曲を専攻し、飛び級で20歳で卒業してしまったギギーは、ケンハモに魅せられて取り組み始めたが、仲間達に子どもの楽器と笑われたそうだ。ぼくは、半年間のインドネシア滞在中に、自分のケンハモの知識を全てギギーに伝授しようと思い、毎週のように彼と会い、濃密に語り合い、セッションをした。海外交流では、様々なトラブルもつきものだった。最もショックだったのは、2017年。イギリスでスーツケースが盗難にあい、鈴木楽器製作所がプロ用の楽器を試行錯誤していた頃の試作品(非売品)を紛失した。レアな楽器を失ったショックは大きかったが、旅の先々で音楽家仲間がケンハモを貸してくれて、演奏やワークショップを乗り切ることができた。少しずつネットワークが形成されてきているので、いつか世界各地のケンハモ奏者が一堂に会する機会を作るのが夢だ。
ケンハモのための作品を書く作曲家も増えてきた。2011年、ぼくが第6回JFC作曲賞の審査員を務めた際の受賞作もケンハモの作品だった。三輪眞弘さん、中川俊郎さんとの熱い審査会の末に選ばれた宮内康乃《mimesis ~複数の鍵盤ハーモニカのために》は、10人近いケンハモ奏者で観客を取り囲む音響的な音楽だった。最近では、中村匡寿《雲雀殺し》(2020)というケンハモとヴィオラの作品など、新しいケンハモの世界を切り開く作品が増えてきていて嬉しい。
ケンハモ人口も増え、新しい世代のケンハモ奏者も増え、演奏技術も向上している。アンプ内蔵型ケンハモや木製ケンハモなど、楽器のバラエティも増え、楽器の調整方法も進化している。ケンハモ音楽は確かに発展していて、それは大変嬉しいことだ。と同時に、狭い意味の「アート」の枠から外に飛び出すために手にしたケンハモが、30年の歴史を経て狭い「アート」になりかけていることも確かで、洗練されると同時に型にはまってきているとも言える。3回に渡って連載してみて、30年間構築してきた自分のケンハモの考え方を整理した今だからこそ思う。自分のスタイルを脱却し、新しい世界を切り開く気概があるのか。ケンハモは歴史も浅く発展途上だからこそ、未開拓の面白みがたくさんある。新しい世代のケンハモ奏者に触発され、想像もつかないようなケンハモ音楽を書いていくのが作曲家としての自分の使命である。などと意気込んでもよし。意気込まなくてもいいけど、とにかく創造していくことは楽しい。未知の領域に飛び込もう。外に出よう。自分の殻を破ろう。ケンハモも自分の作曲スタイルも、バラバラに解体していこう。とりあえず、楽器を分解してみよう。

関連評:野村誠の動態展示 音楽で絵を描く|チコーニャ・クリスチアン

(2021/6/15)

お知らせ

本文中のDaniel Wolf編のケンハモ作品アンソロジー
http://renewablemusic.blogspot.com/2009/09/melodica.html

予定

2021年6月27日 低音デュオにより新曲《どすこい!シュトックハウゼン》が関西初演。
https://rohmtheatrekyoto.jp/event/63263/

野村誠x日本センチュリー交響楽団post-workshop作品集《ミワモキホアプポグンカマネ》
https://syueki4.bunka.go.jp/video/50

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野村誠プロフィール
作曲作品に、ピアノと管弦楽のための《だるまさん作曲中》(2001)、三味線弾き語りの《狸囃子》(2015)、ヴァイオリンとバリガムランのための四重奏《ルー・ハリソンへのオマージュ》(2017)などがある。著書に「音楽の未来を作曲する」(晶文社)ほか。日本相撲聞芸術作曲家協議会(JACSHA)理事。日本センチュリー交響楽団コミュニティプログラムディレクター。びわ湖・アーティスツ・みんぐる2021「ガチャ・コン音楽祭」プロジェクトディレクター