特別寄稿|私のフランス、私の音|『私が出会った作曲家と子孫達』その3~ ミヨー、グロス、忘れられた傑作の発掘|金子陽子
『私が出会った作曲家と子孫達』その3
ダリウス・ミヨー、 ヨハン・ベンヤミン・グロス、そして忘れられた傑作の発掘と紹介
Darius Milhaud, Johann-Benjamin Gross, à la découverte des œuvres oubliées
Text by 金子陽子(Yoko Kaneko)
1, 武蔵野市民文化会館の企画力
「珍しい作品、知られていない作品を弾いてください」と、耳を疑う様な嬉しい依頼を受けて、1月号で触れたレイナルド・アーンやダリウス・ミヨー (Darius Milhaud,1892-1974) のピアノ四重奏曲を東京の武蔵野市民文化会館で演奏したことがある。しかも会場は満席。何故無名の作品かというと、武蔵野は海外から招聘される団体やソリストによる非常に質の高い演奏会を破格で提供していたためだ。招聘アーティストが目玉公演を行う都心の著名ホールでのコンサートは、ホール代、美しいポスターなど経費がかさみチケットが大変高額になるのが常である。しかし、同じアーティストが武蔵野では超格安で聴けるとなると、都心公演の売れ行きに弊害が出る。それなら、プログラム内容をマイナーな物に、ということになったのだ。武蔵野市の職員として企画担当されていたのは舞台芸術を心から愛する驚きのエキスパート栗原氏、後任は音大出身ということで演奏者の苦労を隅々まで熟知された山根氏だった。パリでのガブリエル・カルテットデビュー公演のライヴ録音の質を栗原氏に認められ、私達がフランスからの若手招聘団体としてシリーズに登場した時のチケット価格はなんと500円。チラシもガリ版印刷で宣伝は最低限な反面、廉価で、アーティストが有名無名に関わらず一流の演奏を徒歩かバスで行かれる地元で聴ける、ということから即完売だった。武蔵野の素晴らしい企画力のお陰で会員は激増、来日を繰り返しガブリエル・カルテットのコンサートのチケットがその後1000円、1500円、と上昇(つまり出演料も上昇したということ)しても、チケットはいつも発売24時間で完売、カルテット解散後、フォルテピアノ奏者としても1日でベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲マラソン・コンサート等、演奏の機会を頂き、2018年春の、クリスト・コワン氏との幻の楽器『アルペジョーネ』を使っての『シューベルト・プログラム』コンサートでは、発売開始後『何分』かのうちに全席完売(チケット代3000円)となり一同仰天した。
チケットを購入できなかった方々には本当に申し訳なかったが、当日はNHKが入ってコンサートを録画、昨年までの3年間でNHKBSテレビとFMで何度も再放送いただいたことで、全国の方々にお聴きいただけることとなった。
日本ではお金の話はタブーと言われるが、知られていない作品を紹介する等アイデアに満ちた武蔵野市の企画の成功の秘密をここで紐解いてご紹介してみた。
2, 2002年 ダリウス・ミヨー夫人
さて、ミヨーのピアノ4重奏曲は作品番号が418、というから氏の筆の早さと才能豊かさが想像されるし、事実なかなかユニークな作品だ。そしてなんと、当時まだお元気だったミヨーの未亡人にお会いする機会をいただいたのは、パリ9区にあるロッシーニホールというところで開かれていた現代曲のコンサートシリーズだった。パリで活躍するソプラノの戸田昭子さんとの共演で、当時お元気だった作曲家ジャック・カステレード(Jacques Castérède, 1926-2014) やフォーレ (Gabriel Fauré, 1845-1924) の歌曲を演奏した2002年3月22日の集いには、他の演奏者によってミヨーの歌曲も演奏され、なんと100歳の誕生日というマダム・マドレーヌ・ミヨー (Madeleine Milhaud,1902-2008) が参列された。元女優というマダムは、100歳という、私にはとうてい到達できそうにもない年齢から想像していた姿とは正反対の、驚く程明るくお元気な様子で、スタスタとほぼ普通に歩かれていたし、完璧なシルエット、エレガントな面影を備えられ、会場を埋めた聴衆達から感嘆の声が漏れた。
3, クリストフ・コワン氏との忘れられた作曲家の作品の演奏
演奏家が世に出るには、国際コンクール挑戦からデビューコンサート開催やCDのリリースとその宣伝など、家族や関係者の大きなサポートや協力が必要不可欠だが、ショーソンやアーンなど、私自身が作曲家やその子孫と交流を持つにつれ、作曲家も演奏家と同じような立場にあることに気がついた。作品がオペラ座などの音楽監督、演奏会主催者によって承認され取り上げられる背景には様々な歴史的、政治的、時には経済的事情や『偶然』もからんでいるということが一目瞭然となった今、世界の主要ホールで演奏され続けている作品が、必ずしも絶対的な『優越性』を持つ訳ではない、と自覚するようになる。幸い、このように、一度紹介されても忘れられたり、演奏される運にもめぐまれなかった『傑作』を掘り起こそうという動きが近年一部の演奏家と主催者の協力で活発となり、私の音楽活動の大切な要素ともなった。
ヨハン・ベンヤミン・グロス
2008年、チェロの巨匠クリストフ・コワン氏が、ヨハン・ベンヤミン・グロス (Johann Benjamin Groß, 1809-1848) という1809生まれの作曲家、チェリストの作品をドイツ各地の図書館から発掘, 演奏、当時コワン氏が音楽監督をしていたラボリー・レーベル (Laborie) とリモージュのヨーロッパ音楽財団によるプロデュースで、氏と、モザイク・カルテット、若きバリトン、ミカエル・ダ–メン氏と珠曲を集めたCD録音に参加させていただいた。グロスはシューマン夫妻と親交が深く、自作のチェロとピアノのための作品を、クララ・シューマンのピアノで初演したという。世紀の大女流ピアニストが弾かれた同じピアノパートをこの私がコワン氏と共演させていただくということだけでも光栄だった。(グロスのチェロソナタ全楽章がYoutubeで紹介されている)CDのリリースと前後して、図書館以外では入手が不可能だった楽譜も再出版されたお陰で、チェロソナタも含めた譜面の入手が可能となっている。グロスの作品が今後世界のあちこちで響き渡る日が来ることを願っている。
録音に先立ってベルリン・フィルハーモニーの並びにある楽器博物館で開催したデュオ・リサイタルではコワン氏とメンデルスゾーンのチェロソナタと変奏曲、無言歌と共にグロスのソナタとセレナード、バラードを演奏した。本番にはなんとグロスの末裔にあたるご家族が聴きにいらした。会社員のお父さん、そして、音楽大学で偶然にも作曲家グロスと同じチェロを学ぶお嬢さんで、彼らにとってもグロス作品は初耳ということでその思わぬ美しさに感激されていた。氏はその後、グロスのチェロ協奏曲の紹介に尽力したり、近日では更に新しい歌曲の譜面を発見したと耳にしている。
(グロス作品集の世界初録音のCDのジャケット裏と表、偶然同じ名前のウイーン製の
グロスという7オクターブのフォルテピアノを使用した)
ヴェルフル、リース、プレイエル、フンメル
クリストフ・コワン氏とはベートーヴェンのライバルとして当時人気があった作曲家ヴェルフル (Josef Wölfl, 1773-1812)、弟子だったリース (Ferdinand Ries, 1784-1838) のチェロとピアノの作品も幾つか発掘して演奏会で取り上げた。哀愁を帯びたテーマからは想像できない非常にエキサイティングな終わり方をするリースの『ロシアの3つの唄による変奏曲』は2018年の日本公演で横浜と西宮、スイスのローザンヌでも演奏、マリア・テクラ夫人(悲しい事に2020年3月に急逝された)とのトリオでは、プレイエル (Ignaz Josef Pleyel, 1757-1831)、フンメル (Johann Nepomuk Hummel, 1778-1837) と共に、ウイーンの図書館から届いたヴエルフルの沢山の楽譜のコピーの中から厳選したフルートトリオを武蔵野で2016年に、横浜と名古屋で2018年に演奏し好評を頂いた。
『有名でない作曲家』の作品の数々から『傑作を厳選』してプログラムに取り入れることは、実際にはかなりの苦労と交渉力を要する。コンサート主催者達からはだいたい決まったように「有名な作曲家の作品を弾いてくれないとお客が入らない(つまり採算が取れない)」「『名曲』を必ずプログラムに入れ、マイナー作曲家の作品は最低限(現代曲はだいたい問題外!)にするように」と、私達演奏家にとっては『残念な』注文が付いて来る。これまで何度もプログラム案に入れた、感動的なヴエルフルのチェロソナタも、そのような理由でいつもベートーヴェンの作品に寄り切られてしまい、イギリスとフランスでは何度も演奏しているのだが日本では未発表のままだ。
しかしながらいざ本番で弾いてみると、未知の作品はいつも聴衆(と批評家)の暖かい反響を頂き、努力が瞬時にして報われ、主催者は胸を撫で下ろすのだった。
モシェレス
コワン氏とは昨年秋(2020年10月)にモシェレス(Ignaz Moscheles,1794-1870) と”有名作曲家 ” ベートーヴェンのチェロとピアノのためのデュオソナタを、(コロナ禍の為、小規模のプライベ−トコンサートとして)フランスで演奏、今年秋にスイスでも演奏予定だ。ピアノの超絶技巧を要する書法からも想像できるように、モシェレスは一世を風靡した名ピアニストだったという。大変な練習を必要とする作品だが、とりわけ6オクターブの軽やかかで透明感のあるフォルテピアノ(フリッツのオリジナル楽器を使用)を使用すると、エレガンス、センス、色彩共に素晴らしい世界が繰り広げられ、コワン氏共々この先更に弾き込んで行きたい名作だと納得している。演奏に先だって、モシェレス作品の数々をパリやウイーンの図書館、インターネットのImslp (International Music Score Library Project) の無料ダウンロードサイトから、しかも各国の異なった版を比較、検討する等、作品の発掘においても正に『エキスパート』であるコワン氏が膨大な時間を惜しみなく割いて奔走していたことに私は脱帽した。
演奏家と作曲家と作品
このような『聴衆が知らない作品』を演奏会や録音で取り上げるとき、私達演奏家は、初心に戻って新鮮な心持ちになり、それぞれの曲の真髄や価値を最善を尽くして伝えたい、と強い使命感に燃える。そこには、「気に入られよう、良い点をもらおう、成功しよう」などという意識は皆無で、演奏という行為が、神か自分に与えられた任務、という意識が芽生える。それは書かれたばかりの新曲の初演時とほぼ同じ状況なのである。
桐朋学園にて素晴らしい作曲の先生方から音楽理論、和声、室内楽も学び、作曲家でピアニストでもあるジョルジュ・クルタークとジャン・ユボー (Jean Hubeau, 1917-1992、2020年2月号で取り上げたパリでの私の室内楽の恩師)という偉大な方々から室内楽の教えを受けたことで、音楽に対してのゆるぎない価値観が私の中に植え付けられたと自覚しているが、12月号以来書いてきた作曲家とその家族との出会いを通じて、人間は、社会は、音楽に一体何を求めているのか、作品が後世に残る基準とは一体何なのか?それは本当に芸術的価値と一致しているのだろうか?と考えさせられ、歴史の不条理さをも自覚するようになる。
バッハは『毎週』新しいカンタータを作曲し、写譜し、リハーサルをして日曜の礼拝で新曲初演をしていた。ハイドンもエステルハージ宮で、作曲から楽器の手配、オーケストラや合唱団員の採用まですべてをこなして自作の初演を続けたし、モーツアルト、ベートーヴェンにしても、ほぼすべてのコンサートが書かれたばかりの『現代音楽の初演、自作自演』であり、貴族、聴衆達は、出来立てのホヤホヤな譜面から初めて音となって奏でられる音楽に驚嘆しながら聴き入っていたわけだ。
作曲家と演奏家が分化した現代ではどうだろう?多くの聴衆は、プログラムに知り尽くした曲が入っていることに安堵し、CDを前もって聴いて準備をし、知らない曲があると来場尻込みしてしまう、という話も耳にする。でも一体どうして?
主催者と聴衆
1月号の先輩諸氏のコラムで『敷居が高いクラシック音楽』という表現が眼に止まった。『ブランド化された』クラシック音楽の中で、更に、一流、二流、現代音楽、とカテゴリー化され、一流であるベートーヴェン氏の作品全曲演奏会が(どこを切っても同じ絵が出てくる金太郎飴のように)毎年のように世界中でオファーされ、その他の同世代の作品が聴衆と主催者の無関心の犠牲となって埋もれている事に対して、ベートーヴェンを心より尊敬する私でも大きな不条理を感じる。
ベートーヴェンの偉大さは言うまでもないが、コワン氏自身も知られていない名曲の普及に努めるべく、理解のない主催者達と交渉するなど、この不条理と今も戦い続けている、というのがつい先日の本人の弁であった。
危険を冒して芸術の大きな集いの場をクリエートする主催者、そして音楽と音楽家への愛情と憧れを持って音楽界を支える聴衆の方々、にわとりと卵の関係かもしれないが、双方が、コンサートを、『未知の音楽を発見する喜びを享受する場』として、前面に出していって欲しいと私達は切に願う。
その為には(武蔵野の場合のように)財源が前もって確保され、主催者が採算を気にせずに済むシステム(例えば会員制)、更に、聴衆との信頼関係が確立されている演奏家が革新的なプログラムをオファーしていくという可能性も考えられる。更には極端かもしれないが、20世紀、21世紀の作品、更には録音などが存在しない埋もれた作品をプログラムの一部に取り入れることを様々な方法で奨励、さらには義務化するというシステムも想像できるかもしれない。
いずれにしても、ブランド化されたエリートの社交場としてのクラシック音楽は(歴史がないという意味でも)聴衆にとっても演奏家にとってもこれからの日本では存在し得ないと私は感じている。そして聴衆は決して消費者という認識ではなく、私自身が武蔵野でお目にかかった熱気のある好奇心旺盛な聴衆の皆様のような、積極的に未来の音楽界を担う大切な参加者であって欲しいと希望している。
(2021/2/15)