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堤剛チェロ・リサイタル|能登原由美

堤剛チェロ・リサイタル
Tsuyoshi Tsutsumi Cello Recital

2020年12月20日 あいおいニッセイ同和損保 ザ・フェニックスホール
2020/12/20 The Phoenix Hall
Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)
写真提供:東京コンサーツ(12/25@東京コンサーツ・ラボでの撮影)

〈出演〉
チェロ:堤剛
ピアノ:土田英介

〈曲目〉
三善晃:C6H (1987)
細川俊夫:チェロのための線II (1986/2002)
新実徳英:チェロ独奏のための横豎 (1987)
黛敏郎:BUNRAKU (1960)

〜休憩〜

松村禎三:肖像 (2006)
一柳慧:コズミック・ハーモニー (1995)
湯浅譲二:内触覚的宇宙IV (1997)
武満徹:オリオン(1984)

〜アンコール〜
一柳慧:限りなき湧水(ピアノのための)
J. S. バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調より〈ブーレー〉

 

舞台歴70年にも及ぶ堤剛のチェロ・リサイタルは、故佐治敬三に因んだプログラム。日本を代表する作曲家8人による8作品を並べた。もっとも古いもので1960年、新しいものでは2006年と、演奏する楽曲の創作期間は半世紀近くに及ぶ。まさに、20世紀後半の日本の作曲界を俯瞰する内容だ。明治維新よりこのかた150年余り。その間、わが国では西洋音楽はどのように吸収されていったのか。その音楽に「日本的感性」なるものが見て取れるのか。その変遷はどのようなものなのか。そうした関心を抱きながら足を運んだ。

が、会が進むうちにそれらの考えが浅はかであることに気づいた。というのも、いつしか私の意識を捉えていたのは、作曲家や作品の特徴というより、奏者自身の体に長年にわたって蓄積された音楽の「気」のようなものであったのだから。それはどのような役を演じようとも、その生きた時間が自然と滲み出てくるような、老練な役者を想像させるものであった。

その「役柄」に相当するのは、ここでは個々の楽曲が作り出す姿形、その変化によって映し出される「音の像」であろう。とりわけ前半は無伴奏による独奏曲を集めたが、「一人芝居」であるがゆえに唯一の演じ手となる堤を通して、各作者が描かんとしたものが浮かび上がった。

最初の2作品では、西洋音楽の3要素の一つである「旋律」、あるいは「線」をめぐる志向性の違いを味わった。つまり、三善晃の《C6H》では、一本の旋律の生成と自律、自己増殖の様を、細川俊夫の《チェロのための線II》では、音の軌跡、とりわけ持続するA音と、耳奥に刻まれていくその音の記憶が「線」の存在を露わにする様を見た。細川の場合、素材の労作や発展といった西洋音楽の伝統的手法との違いを感じさせるものでもあった。

続く2作、新実徳英の《チェロ独奏のための横豎》と黛敏郎の《BUNRAKU》では、いずれもドラマ性が全面に出た。とはいえ、両作ともいわゆる「物語」を描いたものではなく、またそれぞれの主題や表現は全く異質のものである。けれども、その根は実は同質なのかもしれない。つまり、前者では、ポルタメントや重音、ピチカートといった音の形や色、あるいはダイナミクスの変化などを通して緊張感や高揚感が幾度となくもたらされたが、そうした「劇的展開」が同様に後者を形作っていたのである。今やリサイタルの定番とも言える黛のこの作品は、タイトル通り、文楽、すなわち人形浄瑠璃の各要素を西洋音楽の語法で表現している。その点で聴衆を魅了しやすいが、同時にうわべだけの模倣や擬態的な演奏に陥りやすくもある。だが、堤の演奏によって、新実作品であぶり出された音楽の劇的性質が本作においても核となっていることを実感した。逆にいえば、日本の伝統音楽をテーマにしたこの作品が、その本質において西洋的であることを改めて示したとも言えよう。

プログラム後半からピアノ(土田英介)が入る。当然ながら、それまでのモノローグとは異なり、もう一人の奏者、楽器の存在が、舞台上で繰り広げられる音楽の様相にも影響を及ぼす。松村禎三の《肖像》や一柳慧の《コズミック・ハーモニー》では、チェロからピアノへ、ピアノからチェロへといった音の受け渡しに、湯浅譲二の《内触覚的宇宙IV》ではむしろ、2つの楽器の並走と交錯を通じて浮き彫りにされていく両者のコントラストに興趣を覚えた。

一方、最後に演奏された武満徹の《オリオン》となると、堤の息遣いが大きく変化した。ここでは、それまでの楽曲を成り立たせていた時間的、水平的な流れとは全く異なり、空間的、垂直的な広がりが音楽を支配する。堤はその響きの層の中をたゆたうように、音を浮かばせ、置いていくのだ。

とはいえ、最初に述べたように、それぞれの作品を聴いていく中で私は、作者以上に奏者である堤自身の音楽に次第に惹きつけられるようになっていった。その音楽とは、フレージングや音色の嗜好といった表面的なものではなく、演奏に臨む気迫、構えの一徹さ、厳しさのようなものである。それはまさに、舞台に立った役者が発するオーラのようなものであり、それを含めた演技の妙味だとも言える。要するに、音楽とは必ずしも鳴り響く音ばかりではないのだ。その態度も含めて聴衆に感銘を与えるものだということを、この日の公演が改めて教えてくれたように思う。

(2021/1/15)

〈program〉
MIYOSHI Akira : C6H
HOSOKAWA Toshio : Sen II for violoncello
NIIMI Tokuhide : Ô-ju for violoncello solo
MAYUZUMI Toshiro : BUNRAKU
MATSUMURA Teizo : portrait
ICHIYANAGI Toshi : Cosmic Harmony for violoncello and piano
YUASA Joji : Cosmos Haptic IV for violoncello and piano
TAKEMITSU Toru : Orion for cello and piano

〈cast〉
Cello : TSUTSUMI Tsuyoshi
Piano : TSUCHIDA Eisuke