特別寄稿|エピローグ〜パウル・ザッハー財団訪問記(6)|浅井佑太
エピローグ〜パウル・ザッハー財団訪問記(6)
An Epilogue - Report on visit to the Paul Sacher Stiftung(6)
Text & Photos by 浅井佑太(Yuta Asai)
「色々あったけど、私は元気です」
というのが、紀行文の最良の終わらせ方だと思う。
もう会わないだろうと思っていた人と案外だらだらと交流が続いたり、末永く交流がありそうだな、と思った人と結局二度と会う機会がなかったり。人生色々。まぁ、みんなきっと何処かで元気にやっていて、それぞれ何かしら問題を抱えていて苦しんだり、小さな幸せを見つけてハッピーになったり。人生ってきっとそんなものかも。
――人生ってバスみたい。乗り遅れても次のがくるから。
そう言われた時、僕は珍しく酩酊状態で、何があったかさっぱり覚えていないけれど、「そっかぁ、人生ってバスみたいだなぁ。そうだよなぁ、いつか次のバスがやってくるよなぁ」と、その言葉には妙に感動して、そのシーンだけはYoutubeに突然挿入される広告動画みたいにして時々ふと思い出すことがある。
10年近く前の話。最近、その人から「髪を緑に染めた」と連絡があった。元気そうで何より。
人生ってバスみたい。いや、案外トマト・バーガーみたいかも。そんなに安くもないし、美味しくもない。見た目もメニューに載っている写真とは比べ物にならないほど悪い。1週間くらいなら我慢できるけど、それ以上は段々吐きそうになってくる。うん、中々、的を得てるかもしれない。バス、電車、トマト・バーガー、Youtube、白髪染め、ホットケーキ(今朝食べた)、クラシック音楽、どれも人生みたい。まぁ、なんでもいいか。
そういうわけで、僕は日本で元気にやっています。
パウル・ザッハー財団の人たちとも、未だに時々メールすることがあったり、なかったり。今度会うと思っていた職員の人が退職していたり、長らく連絡が途絶えていた人から急に質問のメールが来たり。結局4、5年の間に総計で半年以上はバーゼルで暮らしていたことなるけれど、大変なことも多かったとはいえ、全体としては楽しい体験だったかな? 怒られたり失敗したりもしたし、逆にお褒めに与ったことも少しはあった気がする。
そうそう、そういえば、あれは確か、財団での調査も終わりかけの頃だったと思う。
当時、パウル・ザッハー財団のエントランスの玄関には、いつもマルチーズが繋ぎ止められていた。とある男性の職員の人が飼っている小型犬で、毎朝、散歩ついでに財団にまで連れてくるのだ。ヨーロッパってそういう自由さがあって、時々羨ましく思う。
その日、天気がよかったせいか、僕はいつになく機嫌が良かった。
偉大な発見をしたわけでも、良い便りがあったわけでもなかったが、なんとなく機嫌が良かったのだ。そういう日って時々あって、たまにそういう日があると、もう少し頑張ってみようと思える気になる。何度も繰り返して悪いが、人生ってそういうものだと思う。
ともかく昼食休憩が終わって、特に理由もなくルンルン気分で財団に帰ってきた僕は、マルチーズを見かけると適当に日本語で話しかけた。もしかすると話し相手が欲しかったのかもしれない。それから頭をちょっと撫でてやろうと手を伸ばした。白くて小さいマルチーズで、いつも健気にご主人の仕事が終わるのを待っているので、ちょっと不憫に思ったのかもしれない。何度も繰り返して申し訳ないが、特に理由もなく機嫌が良かったのだ。
結論から言うと、思いっきり噛まれた。それで、あんまりギャンギャン吠え立てるので、驚いた秘書の人が出て来て、
「どうしたんですか! 大丈夫ですか? 怪我はない?」
「大丈夫、ちょっと噛まれただけ」
僕は平生を装ったが、実は結構流血していた。
「だから私はずっと、駄目だって言ってたんです!」
秘書の方は妙に憤慨して、「これからは犬を玄関に置いておかないように言っておきます。ごめんなさいね。でも怪我がなくてよかった」
そういうわけで、その日以来、財団でその犬を見かけることはなくなった。
今にして思えば、そのマルチーズは、僕がかつて犬肉を食べたことを知っていたのかもしれない。
それは確か大学2年生の頃の京都大学の文化祭の出来事で、運動場の一角に犬肉のスープを売っている屋台があったのだ。
「これって本当の犬の肉なんですか?」
と店主に聞くと、そうだと答えた。「韓国から輸入したのだ」と彼は言った。
僕は早速、そのスープを飲ませてもらった。確か500円くらいだったと思う。中に入っている犬肉は、ささみの切れ端みたいに小さくて、実際に鶏肉に近い味がした。あるいは、昔友人たちと飲んだワニ肉入りのスープにも似ていた。そのアフリカ料理の店主は陽気な黒人の大男――記憶が正しければ、ガーナ人だったように思う――で、被っている帽子の下にアルミホイルを敷いているのを見せてくれたのを覚えている。
「こうやってると電磁波から守ってくれるんだ」
と彼は得意げに言った。「盗聴には一番効果がある」
少し奇妙な空気になったが、「そうなんですね」と僕らはすぐに話を打ち切った。人生ってそういうものだ。
ともかく犬肉入りのスープを飲んだとき、僕はそのワニ肉のことを思い出していた。結局のところゲテモノの肉は、全部鶏肉に似た味がするのかもしれない。そういえば聞いた話だが、カエルの肉も鶏肉とそっくりな味がするらしい。要するにタンパク質の味ってことなのかしらん。
それにしても、あの時飲んだスープに入っていたのは、果たして本当に犬の肉だったのだろうか?
実際には偽って鶏肉入のスープを売っていただけだったとしても驚かないし、見た目も特に変わったところはなかったはずだ。とは言え、わざわざ韓国から犬肉を輸入するなんて、いかにも「人と変わったこと」をしたがる京大生がやりそうなことではあった。少なくとも10年近く前の京大にはそういう風土があって、校庭でクジャクが散歩してたり、キャンパスの片隅でヤギの屠殺が行われていたり、正門前に不法占拠された「くびくびカフェ」なる喫茶店があったりした(あまり歓迎されてはいなかったが、僕はそこのちょっとした常連だった)。どれも懐かしい思い出ではある。色々あったけど、みんなきっと何処かで元気にやっているのだろう。
簡単に怪我した指の治療をして、小部屋で作業の続きをしていると、僕のもとにマルチーズの飼い主の男の方がやって来た。財団内の設備の点検等を主な職務にしている40過ぎくらいのダンディな男性だ。普段話す機会はないとはいえ、ほとんど毎日顔を合わせている人ではあった。
「すみません」
と僕は素直に謝った。
怪我した方が謝るのも変かな? と思わないでもなかったが、悪いことをしたな、という自覚もあった。勝手に犬に触ったのは僕だったし、そのせいで犬を連れて来られなくなったわけだから。マルチーズからすれば、いきなりよく分からないアジア人に触れられそうになったわけだから、吠え立てる気も分からないでもない。そう言えば、確か、あれは僕が10歳くらいのことだったと思うが、ほとんど会ったこともない親戚か何かのおばさんが、
「あら、可愛いぼっちゃんね」
なんて作ったような微笑みを浮かべて、頭を撫でて来た時は、子供ながらに噛み付いてやろうかと思ったものだった。そういう訳で、マルチーズにはちょっと同情するところがないでもなかった。
「いや悪かったね。でも怪我がなくてよかった」
と彼は気さくに笑って言うと、こう付け加えた。「でも、どんな風に撫でようとしたの?」
「こんな風に頭から」と、僕はジェスチャーを交えて言った。
「ああ、駄目なんだ。犬は前から撫でようとすると、噛むものなんだ」
それは初耳だな、と思ったが、少し考えて僕は答えた。
「それでも家の猫は噛んだりしないんですけどね」
ちなみにスイスの片田舎には、今も猫を食する文化が残っているらしい。にゃーん。
(おわり)
(2020/10/15)
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浅井佑太(Yuta Asai)
1988年、大阪生まれ。2011年、京都大学経済学部経済学科卒業、2017年、京都大学文学研究科博士課程、単位取得満期退学。専攻は音楽学。