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特別寄稿|音楽は止まらない|藤井郷子

音楽は止まらない
Music continues

Text by 藤井郷子(Satoko Fujii)

世界中でコロナウイルスの感染症で、全ての流れが止まったり逆流したりしている。私たちは1月下旬から2月下旬まで、今のような騒ぎがまだ武漢だけで起きていたときに、ヨーロッパからアメリカを回るツアーをしていた。ヨーロッパに日本からついた時に、冗談で「中国寄ってこなかった?」とか聞かれるくらい、ヨーロッパも全く問題なかった。フランスではパリで一人だけ中国からの旅行者が感染を確認されているだけだった。
ヨーロッパからアメリカに飛んだ時、搭乗前に何回も「中国にここ6ヶ月間で行っていませんか?」と聞かれた。東洋人だから聞かれたのではなく、搭乗者全員にしつこいくらいに確認していた。アメリカツアー中もまさか、数週間後にとんでもなく感染が増えるというのは、想像もしなかった。ツアー最終はカリフォルニア大学サンディエゴ校、そこで教える友人のマーク・ドレッサーが組んでくれた。たくさんの中国からの留学生がいる学校で、彼の生徒にも中国人が多く、親戚や知人がコロナに感染したという話は、全く対岸の火事だった。
ロサンゼルスから東京に飛んだ飛行機、搭乗前に何を聞かれるでもなく、成田の入国、検疫なんか何もやってないし、入国時も何にもチェックも質問もなく、今までで一番楽な入国と言ってもいいくらい。改めて、日本の危機意識の無さに怖いものを感じた。
実は機内に一人具合いが悪くなった乗客がいた。アテンダントはマスクとゴム手袋で、その人に何回も検温したり、「息は苦しくないか」と確認していた。たまたま、私はそれを見ていた。が、満員の乗客はなんのチェックもなく、何も知らされずに降機。
その1週間ほど後に体調を崩した私は、不安になり、保健所や成田空港検疫に電話した。その時の検疫の応対が「レポートも出ていないし、私どもは法律に決められたことしかしないので、不安だったら航空会社に問い合わせしてください」というものだった。「これは貴重な情報だし、検疫から航空会社に問い合わせした方がより詳しい情報を得られるのではないですか?」と食い下がったが、全くダメで諦めた。仕方なく航空会社に電話したら、一応全部調べてくれてコールバックしてきた。答えは「ベリーイルなお客様はその便では出ていません。レポートにもなんの記載もありません」というものだった。
私の不調は結局、膀胱炎だった。が、この体験でさらに日本の役所への不信は高まった。残念ながら、私たちは私たち自らで防衛しなくてはならないという事態だ。生まれてから60年間通常だと信じていた社会がこんなに脆いものとは、今回初めて気がついた。今回の感染症の世界的流行は、私のような人間にとっては、想像もできなかったことだが、実は多くの有識者たちはすでに予測していた。これが、何年かに一度起こる新たなウイルスや菌の感染症流行なのか、人間の環境汚染で生態系を破壊し宿主を失って行き場がなくなったウイルスが一番繁栄している人間を宿主に選んだのか、はたまた生物兵器による世界大戦なのか、正直どれであっても全く不思議ではない。

今回の感染症の性格上、私たちのような演奏会で活動している音楽家とその会場として営業しているクラブが一番打撃を受ける。私たちの職種は他の職種とはちょっとその性格が違う。当初から今の経済社会の枠の外側に存在している。つまり、お金のために働いているわけではない。もちろん、生活のためにお金はいるが、やりたい音楽があってそれを認めてくれる人から報酬を受けている。クラブも収入が多い公演を選んで行っているわけではなく、その価値を認めた公演を紹介するというスタンスだ。こういう活動をどう評価するかは、その人や社会にとって様々だ。「趣味の延長」という人や社会もあれば「民主的社会にとっても必然的な文化活動」と評価する人や社会もある。
ヨーロッパの多くの国々は、こういうものはみんなが支えなければいけないという共通の理解と認識がある。残念ながら日本には、誰も公平にしなくてはいけないから、特別にしてはいけないという考えで、経済活動と同じカテゴリーに入れられる。

長いこと、音楽家が社会の中で本当に必要なのか、困窮している人々を音楽は救えるのか、ということは私の中で大きな疑問だった。それは、私自身の社会の中での存在そのものを意味することでもあった。1994年から2年間師事したポール・ブレイは私がそのことを話した時にとても興味深いことを話してくれた。
「世界中で一番音楽を必要としている人は誰だと思う?内戦の続くユーゴスラビアの街並みで真剣にストリートミュージシャンの演奏に耳を傾ける人々を見ると、よくわかるよ。辛い厳しい思いをしている人たちこそが音楽を最も必要としているんだ」。

その話はずっと耳に残った。

2001年9月11日、私たちはちょうどニューヨークにいた。14丁目のアパートメントホテルの窓からワールドトレードセンターに2機目が衝突するのを見た。その日のニューヨークは、まさに信じられないことが起きていた。あの高層ビルが崩壊するなんて考えられなかった。当然、翌日のコンサートはキャンセルになった。
翌日、電車が動いているかもしれないと歩いてペンステーションまで行った。ボストンの友人宅に寄せてもらえれば助かる。ペンステーションには空路を断たれた多くの人が電車移動を期待して集まっていた。駅には、BGMがかかっていた。特別ではなく、スーパーにいけばかかっているような音楽。そういえば、前日の朝のテロ以降、町からもラジオからもテレビからも音楽は消えていた。駅にいる多くの人たちにその音楽が染み込むように満ちていくのを、私は一緒に体感した。普段、音楽はありあふれていて意識もしなかった。不安を感じるたくさんの人々にその音楽は深く染み入っていった。これは、私にはすごい体験だった。音楽は、他の何によってもできないことができるということにようやく気がついた。

どんなことも、いずれは終息する。今回の世界的な感染症騒ぎのあと、どんな社会に世界にしていくのか、そこが一番私たちが問われていることのように思える。

(2020/4/11記) (2020/4/15)

編集部 註)本稿は国際的に活躍するピアニスト・作曲家の藤井郷子氏に次号(5/15号)での執筆をお願いしたところ、アップしたばかりのブログ記事を転載ではいかがか、とのご提案をいただき、世界的なパンデミック体験がリアルに語られていることから、ここに掲載いたします。
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藤井郷子(Satoko Fujii)ピアノ、作曲
「藤井郷子は、優れたピアノ・インプロヴァイザーとして、個性的な作曲家として、さらには、最高の共演者たちを揃えることのできるバンド・リーダーとして、今日のジャズ界の最も独創的な存在だ。」–ジョン・フォーダム、ザ・ガーディアン(イギリス)
バークリー音楽院、ニューイングランド音楽院でポール・ブレイ、ジミー・ジュフリー、ジョージ・ラッセル、ジョー・マネリ等に学び、国内外でソロから15人編成のバンドまで主宰して演奏活動。リーダーとして90枚超のアルバムをリリース。ジャズ・ジャーナリスト協会の作曲家賞にノミネート、ダウンビート誌評論家投票(アメリカ)作曲家、作曲家新人賞、編曲家、ピアニスト、ビッグバンドの5部門で選出、ニューヨークシティー・ジャズ・レコード紙とEl Intrusoの2018年5名のアーティスト・オブ・ザ・イアーの一人に選ばれる。
究極のゴールは「誰も聴いた事がないような音楽を作る」。