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Pick Up(20/1/15)|“讃”平和を讃えて〜広島交響楽団すみだトリフォニー記者会見|丘山万里子

“讃”平和を讃えて〜広島交響楽団すみだトリフォニー記者会見
Hiroshima Symphony Orchestra Press Conference in Sumida Triphony Hall

Text & Photos by 丘山万里子(Mariko Okayama)
撮影:2019年3月8日@すみだトリフォニー/2019年6月20日@広島平和記念資料館

明子さんのピアノ

広島交響楽団が被爆75年/ベートーヴェン生誕250年記念「〜“讃”平和を讃えて」とする2020年度ラインナップ発表をすみだトリフォニーで行った。昨年に続き「すみだ平和祈念音楽祭2020」への出演で2公演、一つは広島平和音楽大使のアルゲリッチとベートーヴェンの『トリプル・コンツェルト』(&『ベートーヴェン第9』3/12)、もう一つは藤倉大への委嘱新作『ピアノ協奏曲第4番』(8/5,6@広島)のカデンツァ部分の試奏(3/13@すみだ)と『第9』、とのことで藤倉も出席の会見であった。この委嘱作、本番8月では被爆した「明子さんのピアノ」を使用する。筆者は昨年の「平和祈念2019」で広響と「明子さんのピアノ」を聴いており、藤倉がどのようにこの楽器と向き合うのか知りたく、出かけたのであった。
このピアノについては本誌ですでにご紹介しているので、そちらをご覧いただきたい。
カデンツァ|被爆ピアノと津波ピアノ|丘山万里子
注目の1枚| MUSIC FOR PEACE|丘山万里子

以下、藤倉の話をざっとまとめておく。
明子さんのピアノを僕は知りませんでした。作曲はだいたい編成で考えるけれど、これは被爆ピアノ、単にピアノとオケの曲ではない。リサーチしたら明子さん本人の日記から写真から、膨大な資料がある。それを読み込むことから始めた。
たまたま名古屋に用事で行ったついでに(ロンドン在住)、広島まで足を運んだ。3泊4日いて、ピアノがある工房(辺鄙な、夜になると真っ暗けの、タクシーもない不便なところ)に通い、修復した調律師さん(できるだけ原型を残し)からピアノにまつわる話を聞き、あとは独り一日中ピアノと一緒にいて3,4分くらいのカデンツァを書き上げた。
意識したのはこのピアノの音の特性。
アメリカ製のボルドウィンはスタインウェイなんかと違って「ぼんやり」した音。
低音はゴング、鐘みたいに響く。高音はキイがカタカタ鳴るみたいな感じ。
カデンツァができてから他の部分に取りかかったが、オケとピアノのバランスがうまく行かず悩んだ。ピアノの持つストーリーに沿うような安易な曲にはしたくない。
友人のサジェストから、明子さんが元気だった頃のこと、生きていたらどんなことを考えただろうという視点を得て、暗くネガティブなものにならないよう、すごく気をつけて書いた。
明子さんは被爆した後、家へ帰る。家に向かって行くその時の「生きたいという欲求」というか、どこかに向かって歩いて行く、そういう感覚、ある種の明るさみたいなものを書きたいと思った。
「明子さんのピアノ」のための曲だが、今後、各地で演奏機会があれば、その地にも明子さんのような人はたくさんいると思うから、そういうエピソードを持つピアノが使用されたら嬉しい。

いわゆる描写音楽にならぬよう前向きあるいは明るさを、と語った藤倉だが、この委嘱によりこれまで「知らなかったこと」を知り感じ考えたように(平和記念資料館にも行ったとのこと)、世界各地でこの作品が鳴り響き、何ごとかを伝え、考えさせるものであってほしいと願う。
短い質疑応答に、瀧廉太郎の『憾』と絡んでの問いがあったが、彼は瀧もその曲も知らない、調べます、と言った。1901年日本人で3人目のヨーロッパ留学生としてライプツィヒ音楽院に入学したものの5ヶ月後に肺結核で帰国、1903年23歳で没した瀧の遺作がピアノ曲『憾』だ。質問者は『憾』を「心残り」といったようなもので、今回の作品もそんな感じか、と問うたが、藤倉はもっと抽象的でぼんやりしたものだ、と応じた。上述、どこかに向かって歩いて行く、という発言はその答えとして出たもの。
瀧の夢と挫折からおよそ120年。広島被爆から75年。
何を記憶し、何が残り、何が新たに生まれるか。その間に流れるもの、通される糸があるのかないのか。15歳で渡英、華々しく活躍するコスモポリタン作曲家が、今、歴史と空間のどこに立ち、何を生むのか。8月の音を待ちたい。

被爆直後10~11月のドーム付近

藤倉退出後、下野竜也音楽総監督、東谷法文理事長、井形健児事務局長から2020年度公演についての説明があった。
注目は下野が力を入れる「ディスカバリー・シリーズ」での細川俊夫とベートーヴェンの組み合わせ、定期を含めプログラミングの妙(ピアノ協奏曲第0番など、ベートーヴェンをどう聴かせるかの工夫)、さらに8月アルゲリッチ&藤倉の協奏曲(カデンツァ部分に明子さんのピアノ)と定番『第9』による「平和の夕べ」。地域貢献としての活動で、山間地閉校となる学校を音楽訪問などのエピソードも心温まるものであった。
もう一つ、昨年のワルシャワ公演、団員の3分の1(21名)しか行けなかったので今度は全員を、との抱負とともに、聴衆からスタンディングオベーションだったとのこと。昨年聞いた話に、日本の某楽団のウィーン公演、完璧演奏(大成功)にもかかわらず客席が今ひとつ温まらず楽団員うちしおれていたとか。
その反応の違いはどこにあるのか?
瀧の時代の「海外」と今日のそれ、私たちはどう変わり、また変わらないのか。
演奏も作品も時代と場(聴衆)によって育成されてゆくものであれば、ここでしか育たぬもの、ここだけでは育たぬもの、その両方を常に慮りながらの道であろう。
加えて「変えてはならぬもの」の見極めの困難も思う。
淘汰・忘却の波に洗われ、それでも残るものとは。

2020年ラインアップ:
http://hirokyo.or.jp/hirokyowp/wp-content/uploads/2019/12/2020hirokyo-lineup.pdf

(2020/1/15)