カデンツァ|被爆ピアノと津波ピアノ|丘山万里子

被爆ピアノと津波ピアノ〜「明子さんのピアノ」と坂本龍一「IS YOUR TIME」

text by 丘山万里子 (Mariko Okayama)
photos by 三浦興一/ 写真提供:すみだトリフォニーホール
photos by 丸尾隆一/写真提供:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]

1945年3月10日の東京大空襲で10万を超す死者と壊滅的な被害を被った墨田区に立つすみだトリフォニーホールが97年に開始した《すみだ平和祈念コンサート》、今年は開館20周年を迎え、原爆被災の地、広島から広島交響楽団を招いたオーケストラ公演のほか、映画、禁演落語などさまざまな企画を組んだ。
その一つに広島の「被爆ピアノ」のレクチャーと演奏があった(3/8)。
昨夏からこのピアノについて聞いていた私は、広響の公開リハーサルを聴いた後、回ってみたのだ。
「明子さんのピアノ」と呼ばれるこのピアノは当時19歳だった河本明子さんが愛奏していたピアノ。学徒動員の作業中に被爆、凄惨な市中を歩き、ようよう家にたどり着いたものの翌日、息をひきとった。「お母さん、赤いトマトが食べたい。」が最後の言葉で、両親は自宅庭で娘を荼毘に付したという。
ピアノは彼女が生まれたロスアンゼルス(33年広島移住)で購入されたボールドウィン社のアップライト(1926年製)。
ステージのピアノは修復・調律されているが、ところどころ剥げ、当日は下部は下前板なしの裸だった。側面には爆風で無数のガラスが突き刺さりその傷跡が残るというが、遠目には細かな線がランダムに散らばって見える。
広島生まれの萩原麻未(2010年ジュネーブ国際コンクール優勝)が弾く。
『トロイメライ』。
なんだろう、これは。不思議な音いろ。透きとおっていて、どこかで風がさやさやと吹いているような。
いつか聞いた、上海郊外の古鎮楓渓、仏塔軒下でかすかに鳴っていた小さな風鐸みたいな音だ。澄んで清らか、シャンパンの微小な泡を含んだ感じの響き、と言ったらいいか。
楽器にだって、それぞれの声質はある。けれどこんな風に、それが直接聴こえてきたのは珍しく、私はびっくりした。
不思議な感じに包まれたまま、ショパンのノクターン『1番』『2番』、それから広響のコンマス佐久間聡一と萩原のデュオでクライスラー『愛の哀しみ』、マスネ『タイスの瞑想曲』を聴いた。
やっぱり、このピアノ独特の声が、ずっと聴こえた。
下前板なしだから、弦の震えがそのまま伝わる? それでこんな響きに?
ちらとそんなことが頭をかすめたが、それは後での考え、一聴で「これはこのピアノの声」と思った、そっちを私は大事にする。
その声が何を伝えたいのか、なんてわからない。少なくとも与えられたストーリーに沿って考える気持ちにはならず、ただその音いろを心に残した。

二日後、夜半のTV《津波ピアノ~坂本龍一と東北の7年~》(3/10放映)をみる気になったのは、「明子さんのピアノ」の実演に触れたからなのは確か。
東日本大震災時、津波に襲われ海水に浸かったグランドピアノは体育館(宮城県農業高等学校)の片隅に泥だらけで置かれていた。
凹んだままのキイもあり、ピアノ線はちぎれたりもしていて。
坂本はボディを眺め回し、幾つかキイを叩き、もう死んでるね、と言った。
私はその言葉にちょっとひっかかった。死んでる? 狂った音でも、おかしな音でも、出てるじゃない。
それからしばらくして、彼は椅子に座ってポロポロと何か弾き始めた(ちゃんと音楽になっていた)。
え? 私は驚いた。明子さんのピアノと似たような音いろだ。おんなじような声に聴こえる(むろん、狂っているが)。
弾きながら、坂本は気持ちが変わったようだ。自然によって調律されたピアノ、と言った。
後日、彼がこのピアノを引き取り、設置音楽展の新作インスタレーションとして転生させたことを知り、翌日(3/11)の展示最終日に行ったのである。自分の耳で、その声を確かめたくて(『坂本龍一 with 高谷史郎|設置音楽2 IS YOUR TIME』@東京オペラシティ/ NTTインターコミュニケーション・センター [ICC] ギャラリー A)。
暗闇の会場の前方に、ピアノはあった。 彼が採集し編集したさまざまな音響による『async』(津波ピアノの音も含まれる) がスピーカーから流れ、隅に置かれたラジオはノイズを発している。そこに、眼前の津波ピアノの音が加わる仕掛け。
星雲のように漂う響き、あるいはイレギュラーに降ってくる大小の響き。
モニターが10台両端に並び、映像は音とともに変化する。あるいは点滅する。光の粒子であったり、浜の砂のようであったり、波線であったり、いろいろ。
ピアノには世界各地の地震データをもとにキイを叩く自動装置が取り付けられており、データに連動して細い金属棒がキイの上に降りてきて音を鳴らす。
ぽつん、ぽつんと叩かれる響き。稀に2音がほぼ同時に鳴らされることもある。調律はされていないし、ピアノ線はちぎれたままだから、ただの打撃音の時も。
前夜、 TVで聴いたそれとはやっぱり違う。人工的に増幅された響きの空間。
フロアの暗がりには、聴衆が思い思いに座っており(ピアノの前に立ったり、背後を眺めたり、覗きこんだりする人もいる)、私も目を閉じ壁にもたれて座り小一時間は過ごした。
語弊があることを承知で、冥い海の底に沈んでいるようだった、と告白しておく。

たまたまの流れで、二つのピアノを聴いた。
被爆ピアノには「平和の願い」が、津波ピアノには「忘れない」のメッセージがあると言う。関わった人には、それぞれの想いが、気持ちが、あるだろう。だが、それはそれ。
私の中で確かなものは、萩原が弾いたピアノと、坂本が弾いた(叩くのでなく)ピアノと、その両方の音が、とても似ていて、微風に揺れる風鐸のような清澄な響きで、それがすごく不思議な感触であったこと、ピアノの声そのものとして届いてきたこと、それだけ。
そうして、その声は、人に奏されたから届いたのだ、ということ。
「私はピアノ・・・」。
そこに、原爆の爆風とか、海水に浸かった、とかいう、このピアノたちが体験した出来事、さらにはそれを取り巻く人々の思いを察(はか)り、何か物語を創り出すのは、慎みたい。

空襲も原爆も津波も徐々に歴史のページに繰り込まれてゆく惨禍で、その惨禍の中に私は無論いなかった。
幼い頃遊んだ原っぱで見た焼夷弾の残骸、防空壕跡。小学2年だったか、編集者の父に連れられ、東京会館で金屏風前のご夫婦に花束を渡した時の、優しく握られた夫人の手の柔らかさ。丸木俊子さんの出版記念パーティーで、『原爆の図』の発表から8年。だが、私がそれと知ったのは中学生になってから。東日本大震災の時は、友人と東京郊外のホテルで1日ヴァカンスを楽しんでおり、揺れに飛び込んできた従業員の先導で非常階段を駆け下りたが、TVは一切見なかった。それが私のわずかな記憶、歴史だ。
「平和の願い」も「忘れない」も(日本で、海外で、何度この言葉に出会ったろう)、それを私自身の切実な言葉として誰かに発するなんて、私にはできない。
ただ、この二つのピアノに聴いた声のことは、心に刻んでおくし、また、できたら、できるだけたくさんの人たちに、直に、触れてもらえたら、と思う。

手元の資料を再読してみた。
アルゲリッチは被爆ピアノを弾き「独特な“声質”」があるといい、ゼルキンは「声を持っている」と言ったそうだ。
坂本は「自然の調律」になにを聴いたのだろうか。

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「明子さんのピアノ」

ICC企画展「坂本龍一 with 高谷史郎|設置音楽2 IS YOUR TIME」
https://www.youtube.com/watch?v=ySAlXvZWNHw

 (2018/4/15)