佐藤俊介とオランダ・バッハ協会管弦楽団|西村紗知

佐藤俊介とオランダ・バッハ協会管弦楽団
Shunske Sato and the Netherlands Bach Society

2019年10月5日 彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール
2019/10/5 Saitama Arts Theater / Concert Hall
Reviewed by 西村紗知 (Sachi Nishimura)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>        →foreign language
佐藤俊介(ヴァイオリン/音楽監督)

オランダ・バッハ協会管弦楽団
  ヴァイオリン:アンネケ・ファンハーフテン / ピーテル・アフルティト
  ヴィオラ:フェムケ・ハウジンガ
  チェロ:ルシア・スヴァルツ
  コントラバス:ヘン・ゴールドソーベル
  チェンバロ:ディエゴ・アレス
  バスーン:ベニー・アガッシ
  フルート:マルテン・ロート
  オーボエ:エマ・ブラック / ヨンチョン・シン

<曲目>
J. S. バッハ: 管弦楽組曲第1番 ハ長調 BWV 1066
ピゼンデル: ダンスの性格の模倣
J. S. バッハ: ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲 ハ短調 BWV 1060R
J. S. バッハ: ヴァイオリン協奏曲第2番 ホ長調 BWV 1042
ビュファルダン: 《5声の協奏曲 ホ短調》より 第2楽章
J. S. バッハ: ブランデンブルク協奏曲第5番 ニ長調 BWV 1050

【アンコール曲】
J. S. バッハ:管弦楽組曲第2番 より 7. バディネリ
      管弦楽組曲第3番 より 2. エア

 

長らく自分の人生のなかで、古楽を敬遠してきた。理由はいくつかあるが、古楽の音楽性そのものが問題なのではない。古楽を取り巻く人々の熱意が眩しくて、何の熱意もないままで古楽にコミットするのはいけないような気がしてしまい、後回しになっていたのである。きまぐれにアーノンクールの著作を開いてみても、やはりその行間からも溢れんばかりの熱意に圧倒され、ますます気後れしてしまう。古楽のあるべき姿を巡る論争なんてものは、できれば遠巻きにして見守っていたい。
なぜ、あれほどまでに人は古楽に魅了されるのであろう。はじめから古楽器をやっていた演奏家などという存在はほとんど考えられないので、魅了というより転向と言った方が適切な気もする。そういえば、筆者の大学時代の先輩は、いつの間にかチェンバロ奏者になっていたような。人が古楽をやろうと決断するとき、何が起こっているのだろうか。
古楽への嗜好のうちでありがちな関心事となると、使用されている楽器、舞台上の楽器の配置といったところになるのだろうか。なるほど、違いがわかるということに由来する快は、その界隈を支える原動力にもなろう。しかしそこには、演奏家の古楽への転向の動機に通ずるものは見当たらないように思えてしまう。思うに古楽は、どことなく演奏家に反省を迫るところがあるのではないか。クラシック音楽を真に体得する者は、その歴史に埋もれてしまった作品、楽器、奏法をも含めて体得した者ではないのか、というようにして。

そんなことが心中を去来するなか、話題の佐藤俊介とオランダ・バッハ協会管弦楽団の演奏会に出向いたのであった。最初に結論を言ってしまうと、上記のような辛気臭い所感を吹き飛ばすくらい、快活な演奏であったのだ。

始まった瞬間からはっとさせられる。実に聞きやすい。デュナーミクがしっかり設けられていて、テラス式の強弱法は鳴りをひそめている。なにより演奏者の身振りの大きさが目に留まる。どういうアンサンブルになっているのかが、その都度佐藤が立ち位置を微妙に変えることにより、視覚的にもわかるようになっているのだ。

最初は管弦楽組曲第1番。全体の合奏の華やぎはもちろんのこと、オーボエ2本とファゴット、3本の木管のアンサンブルが非常に愛らしいのが印象的。木管の古楽器は、やはりこれくらい広いホールとなるとあんまりシャープに鳴り響かないので、口々に喋っている感じのニュアンスとなる。こうした音色の素朴な風合いのせいで、表現したいニュアンスはそれなりに制限されてしまうように思えるが、それをテンポの揺れが補っていた。例えば「6.ブーレー」において特徴的な、3つの音からなる上行音型が順に下っていくところのテンポの揺れ。ここでは激情の表現ともいうべきものが志向されているのだろうが、実際に古楽器の音色だけでは、あまり強い表現に届かないのであるから、テンポの揺れがその表現を助けていたのである。

次のピゼンデルの「ダンスの性格の模倣」は、旋律の存在感が強く、曲調の切り替えもずいぶん大胆。リズムやテンポの異なる舞曲がメドレーのようにつながったつくりとなっている。音の線が複雑に絡み合って一つの構築物をつくるようではない。おおよそ音楽の縦の線が揃っていて、コード進行もシンプル。バッハの作品の合間だと余計にその単純さが際立つ。しかしこの単純さにはときとして迫力が伴う。ユニゾンで同じ旋律を反復するところがそうであるが、実にこのとき楽団は躍るようであった。

続くオーボエ協奏曲。バッハの作品の中でも人気が高いものであろうが、実際に古楽で聞いてみると、オーボエがずいぶん控えめな印象。繰り返しになるが、あまり鳴らないのである。オーボエ単体では音響的に少し心細いので、やはり背景に他の弦楽器などがサポートに回っている。それでも、「2.アダージョ」のヴァイオリンとオーボエの掛け合いは、楽器が一対一で向き合っていて、そのお喋りは本当にきれい。

ここまで聞いて気になり出したのは、微妙なアンサンブルのばらつきである。音程、音色があまりきっちり揃わない。それがむしろとても心地よいのだけれど、ヴァイオリン協奏曲第2番の冒頭主題の同音連打のところなど、少しかさばる感じ。誰か一人の奏者が率先して弾いて、後の楽器が適当に添え物のようになっているくらいの方が聞きやすい。それぞれの奏者の主体性をぶつけあうことができるほどには、古楽の音響は発達していなかったということだろうか。

ビュファルダンの作品はフルート協奏曲。弦楽器のピチカートを背景に、フルートはぼふぼふ喋っている。かわいい旋律。時折暗い色調の和声が出てくることもあるけれど、平和な音楽。

最後のブランデンブルク協奏曲は、チェンバロが主役だったと言っても過言ではないだろう。「1.アレグロ」のソロは、華やかでありつつ、透明感に満ちている。なにぶん音の減衰時間が短いのでテンポを縮めるなどして音の間隔を狭くするのかと思いきや、そこは音の消えるがままにしている。その透明感の上でヴァイオリンとフルートが加わると、妙なる響きと言わざるを得ない。だから「2.アフェットゥオーソ」はいつまでも聞いていられる。この3人のアンサンブルが、この日のうちで一番美しい瞬間だった。「3.アレグロ」はCMソングに採用されるくらい本当にポピュラーだが、実際に演奏を聞くと、その複雑なリズムの組み合わせと古楽器の繊細で朴訥とした音色とに心ひかれ、この音楽に対する印象がまるっきり別物となった。高度な構築と愛らしさとを両立させる、バッハはやはり稀代の作曲家なのだ。

古楽を敬遠する気持ちをかなり軽減させる演奏会だった。バッハの人気の高い作品をプログラムに取り入れていることからもわかるように、古楽に馴染みがない聴衆にも広く門戸を開いた演奏会だったと言えよう。次は何を聞こうかと考えながら、会場を後にした。

(2019/11/15)

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<Artist>
Shunske Sato (Violin / concertmaster)

Netherlands Bach Society
  Violin: Anneke van Haaften / Pieter Affourtit
  Viola: Femke Huizinga
  Cello: Lucia Swarts
  Contrabass: Hen Goldsobel
  Cembalo: Diego Ares
  Bassoon: Benny Aghassi
  Flute: Marten Root
  Oboe: Emma Black / Yongcheon Shin

<Program>
J.S. Bach: Orchestral Suite No. 1 in C major, BWV 1066
Pisendel: Imitation des caractères de la danse
J.S. Bach: Concerto for Oboe and Violin in C minor, BWV 1060R
J.S. Bach: Violin Concerto in E major, BWV 1042
Buffardin: Concerto in E minor for Flute (second movement)
J.S. Bach: Brandenburg Concerto No. 5 in D major, BWV 1050

<Encore>
J.S. Bach: Orchestral Suite No. 2, VII. Badinerie
     Orchestral Suite No. 3, II. Air