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ハープデュオ・ファルファーレ リサイタル|齋藤俊夫

ハープデュオ・ファルファーレ リサイタル
Harp Duo Farfalle Recital

2019年9月23日 トーキョーコンサーツ・ラボ
2019/9/23 Tokyo Concerts Lab.
Reviewed by齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 辺見康孝(Yasutaka Hemmi)/写真提供:辺見康孝

<演奏>        →foreign language
ハープデュオ・ファルファーレ(松村多嘉代・松村衣里)
ヴァイオリン:辺見康孝(*)

<曲目>
ベルナール・アンドレス:『孔雀の庭』(1993)
渡辺俊哉:『重ね塗り』(2013)
南川弥生:『波紋のゆくえ』(2019)
細川俊夫:『ゲジーネ』(2009)(松村多嘉代ソロ)
伊左治直:『ポルボロン』(委嘱新作 2019)
木下正道:『海の手IX』(委嘱新作 2019)(松村衣里ソロ)
辺見康孝:『ゼフィルス』(2019)(*)
川上統:『アオスソビキアゲハ』(委嘱新作 2019)
(アンコール)カルロス・サルゼド:『夜の歌』

 

ファルファーレとはイタリア語で「蝶」とのことである。なるほど、伝統的なハープの音は蝶のあのひらひらと軽やかな飛翔を思わせるし、ハープデュオを正面から見ると確かに蝶の羽根のように見える。しかし、今回の演奏会は蝶とも蛾ともモスラともあるいはもっと異質な何かとの出会いとも言えるスリリングな驚きに満ちたものであった。

アンドレス『孔雀の庭』は印象派風の東洋・異国趣味(そもそも孔雀はインドの鳥だ)が全開の作品。全音音階や、非和声音を含んだ和音によって孔雀があのきらびやかな羽根を広げ、舞い踊り、飛び、最後は左右のハープが同音で翼を閉じて終える。理屈抜きに美しいリサイタルの出だしであった。

「理屈抜きに美しい出だし」の後の渡辺俊哉『重ね塗り』は「実に考えさせる厳しい音」に満ちた作品であった。2人の音1つ1つが、響き、にじみ、震え、軋み、弾け、溶け、消える。時間の感覚が狂い、複数の音が耳に一度に入ってきて干渉したかと思えば、なにもかもがただの1音によって止められてしまう。ハープとはこんなにも「強い」楽器であったか。

南川弥生『波紋のゆくえ』、半音階的もしくは旋法的な音型と旋律の反復が、伊福部昭の叙情的な側面に似たものすら感じさせる。だが、弦の張力を変えての微分音による二重奏などに至ると「人ならぬ美女」という矛盾した何かに誘惑されているような心地に陥ってしまう。妖精というより、妖魔的な不気味に美しいハープ音楽。

細川俊夫『ゲジーネ』はハープ(竪琴)ではなく、「ビィン!」「ボォォン!」「バチン!」といった硬く重い音、また力強く太い低音を余韻までじっくりと聴かせたりするのは日本の琵琶や三味線を思わせ、高音域の速いトレモロは箏のよう。だが、「日本的」といった言葉がややもすれば纏う「なよなよ」したところが全く無い。渡辺作品は触れなば音が壊れん音楽であったが、細川作品は触れなばこちらの手が切り落とされん音楽。どちらにも通じるのは、音と沈黙が互いに触れ合い高め合っていることである。

細川作品でぐっと神経が引き締まった所で休憩。そして伊左治直『ポルボロン』はスペイン・アンダルシア地方の、口に入れると「ポルボロン」と崩れてしまう柔らかいお菓子の名前(ポルボとはスペイン語で「塵」のこと)。左右の楽器で1つの旋律を奏でる出だしから、様々な奏法による多彩な音色が散りばめられる。全体的に、まさに「ポルボロン」とした、日本語ならば「ほろほろ」とした軽やかな音楽。

木下作品『海の手IX』、これまた1音1音が強い。高・中・低の3音を延々と反復したり、反対に「ハープらしい」アルペジオやグリッサンドが現れたりと、絵巻物的に音が時間と共に移ろい、西洋的な「構造」は持っていないように聴こえるのだが、その力強くも繊細な音にじっと集中させられる。ある音の次にまたある音が来て、さらにまた他の音が来る、そんな当たり前のことが木下の感性によって奇跡的に音楽として成就する。静寂に満ちつつ、華やかでもあり、血も肉も骨もある作品。

作曲者の辺見康孝もヴァイオリンでオブリガートとして参加した『ゼフィルス』は今回の中では「一般的な」蝶のイメージに一番近い音楽であった。アルペジオ、単音、2人の間の半音のズレ、どれもが鱗粉のようにキラキラと光る。ディミヌエンドしてどこかへ2羽の蝶が飛び去るまで夢心地であった。

振り返ると「軽-重-軽-重-軽-重-軽」と音楽の重さが交互に現れる構成のプログラム、最後の川上統『アオスソビキアゲハ』は前の『ゼフィルス』と同じく蝶のはずなのだが、そこは川上、人間の目から見た蝶のイメージではなく、蝶の目から見た蝶=自分と世界の運動をハープで描く。変拍子、特殊奏法、特殊な和声によって感じられる、人間とは進化の樹形図が遠い生物にとっての「美」、それは鮮やかなようで、実は捕食や毒のためのものなのかもしれない。木下作品は絵巻物を順繰りに見つめる音楽だったが、川上は音の運動に巻き込まれる音楽。重い、というのではないが、軽い、とも言えない。なにしろ昆虫の感性であり昆虫にとっての重力や浮力による音楽なのだから。

アンコールのサルゼド『夜の歌』はギターのように爪で弾いたり、ボレロのリズムで木の部分を叩いたりする、夜、遠方から誰のものとも知れず聴こえてくる歌のよう。手を裏返しての爪でのグリッサンドで軽やかに演奏会を終えた。

未来もしくは異界から来た蝶(ファルファーレ)との出会いによってもたらされた、ハープとはこんなに自由な楽器だったのか、という驚きは、現代音楽にはまだまだこんなに自由の余地があったのか、という歓びに満ちていた。

(2019/10/15)


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<players>
Harp Duo:Farfalle Takayo Matsumura/Eri Matsumura
Violin:Yasutaka Hemmi(*)

<pieces>
Bernard Andrès:Le Jardin des Paons
Toshiya Watanabe:Overglaze
Mio Minamikawa:Destination des ondulations pour deux harpes
Toshio Hosokawa:Gesine for harp (Harp soloist:Takayo Matsumura)
Sunao Isaji:Polvorón
Masamichi Kinoshita:Les Mains de la mer IX for harp solo(Harp soloist:Eri Matsumura)
Yasutaka Hemmi:Zephyrus for 2 harps(*)
Osamu Kawakami:Green Dragontail
(encore)Carlos Salzedo: Chanson dans la nuit