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特別寄稿|初夏のドイツへの旅より──ベルリンとブラウンシュヴァイクで接した公演を心に刻む|柿木伸之

初夏のドイツへの旅より──ベルリンとブラウンシュヴァイクで接した公演を心に刻む
Aus der Reise nach Deutschland im Frühsommer – Einprägung der Aufführungen in Berlin und Braunschweig

text & photos by 柿木伸之(Nobuyuki Kakigi)

【ピレシュのピアノとの思いがけない再会】
Unerwartetes Wiedersehen – Maria Joaõ Pires spielte in der Philharmonie Berlin

もうこのピアノの響きに触れることはできない……。そんな感慨を抱きながら、大阪でマリア・ジョアン・ピレシュが奏でるベートーヴェンの最後のハ短調のピアノ・ソナタに耳を澄ましていたのは、一年と少し前のことだった。公の場での演奏からの引退を表明した彼女のリサイタルを聴くために、昨年(2018年)の4月14日にザ・シンフォニーホールへ赴いたのだった。
ベートーヴェンが最後に書いたソナタの第二楽章は、長大な変奏曲であるが、「優美に」と指示された主題が、諦念さえも含んだ思いを込めて深沈と奏でられたのに続いて、歌のなかから歌が湧き出るように、連綿と変奏が続いていった。そして、ついにはピアノの存在すら忘れるほど、音楽だけがおのずと展開していき、充実しきった後、静寂のなかに最後の音が消え入った。
それまでピレシュが演奏する機会には、1990年代から都合のつくかぎり足を運んできた。楽器を忘れさせるまでに研ぎ澄まされた音によって紡がれる歌が、自然な息遣いと、作品の内的な生命にもとづく緊密さとを兼ね備えていることに魅力を感じてきたのだ。彼女については、現在でもモーツァルト弾きのイメージが強いが、個人的にはむしろシューベルトの演奏のほうが印象に残っている。
最近のピレシュは、ベートーヴェンの作品を取り上げることが多くなっていた。その前に聴いたのは、東京でのチェリストのアントニオ・メネゼスとのデュオ・リサイタル(2015年11月7日、すみだトリフォニーホール)だったが、このときも、最後のピアノ・ソナタを含むベートーヴェンの作品が演奏された。そして、彼のソナタのみによる昨年の大阪でのリサイタルは、ピレシュの芸術の到達点を示すものと言えよう。
それに接した後、もうピレシュのピアノを実演で聴くことはないはずだった。
しかし、思いがけず今年の6月に、ベルリンで彼女の演奏を再び聴くことができた。6月6日から8日までの三夜、彼女はフィルハーモニーの舞台に立っていた。ダニエル・バレンボイムが指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会に出演する予定だったラドゥ・ルプーがキャンセルしたため、ピレシュが代わりに登場したのである。
今回彼女が弾いたのは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番ト長調。ルプーが弾くはずだったのと同じ曲である。ピレシュはこれを、昨年の春に日本を訪れた際にも、ヘルベルト・ブロムシュテットが指揮するNHK交響楽団と共演している(4月20/21日、NHKホール)。ダニエル・ハーディング指揮のスウェーデン放送交響楽団とのレコーディング(Onyx: ONYX4125)もあるので、ト長調の協奏曲は、以前から得意にしていたレパートリーだったにちがいない。
ベートーヴェンの五曲のピアノ協奏曲のなかで最も抒情性に富んだ第4番は、たしかにピレシュがそのピアニズムを発揮させるのに向いた作品であろう。どのような歌が彼女の手から紡ぎ出されるのかを期待して、6月8日の演奏に臨んだ。しかし、ピアノの独奏から始まるこの曲の冒頭に響いたのは、むしろ簡素とも言えるような響きだった。何も構えることなく、問わず語りに話し始めるように最初の主題が響いた。
その後も、かつてピレシュがモーツァルトのソナタの演奏などで示していた、天衣無縫とも言える闊達さは影を潜めていた。ベートーヴェンの音楽と、どちらかと言うと訥々と対話する姿のほうが際立つ。それゆえ以前の彼女を知る者からすれば、たどたどしく思えるところもあっただろう。ピレシュも、自分にもどかしさを感じていたかもしれない。今回、以前の演奏よりもミス・タッチが多く聞かれたのは確かである。
しかし、一つひとつの音を慈しむかのように奏でるピレシュのピアノが、バレンボイムが指揮するベルリン・フィルハーモニーの濃密な演奏と共鳴したとき、これまで耳にしたことのない垂直的な深さが響きに加わっていた。それぞれの主題には、熱い期待が心の奥底から静かに湧き出てくるのを響かせるような、彫りの深さがあった。そこからは、近年のピレシュがベートーヴェンに取り組んできた必然性も感じられた。
ベートーヴェンのト長調の協奏曲の最初の楽章を貫くのは、憧れにも似た期待であり、そのことが音楽の抒情性とも結びついていると考えられる。この日もピレシュは、彼方を憧れるような経過句の澄みきった美しさを聴かせてくれた。ただし、今回の彼女の演奏は、憧憬の源を垣間見せるものでもあった。そして、そのことなしにベートーヴェンの音楽が響くことはない。
たしかに、第一楽章のカデンツァやフィナーレの楽章では、若々しいとも思える情熱がほとばしっていた。しかし、この日のピレシュの演奏を聴いてあらためて思ったのは、かつて直感的に触れていたその源を、今彼女がベートーヴェンと対話しながら確かめていることである。そのことが、個々のパッセージを言葉にしている。今回のト長調の協奏曲の演奏を貫いていたのは、語りかける歌だった。
それが最も美しく響いたのは、やはり緩徐楽章においてであった。その冒頭から瞠目させられた。交響曲第9番の最終楽章を予感させるレチタティーヴォのような一節が、岩塊のように屹立したのである。そのような響きを今ベルリン・フィルハーモニーから引き出せるのは、バレンボイムだけだろう。その響きが残るなか、ピレシュのピアノが少し慄くように、しかし静かな意志を含みながら、密やかに歌い始めた。最後には、弦楽が奏でる付点リズムの動機が遠くへ去っていくなか、噛みしめるようなピアノの響きが漂っていた。
今回、ピレシュとバレンボイムの共演が実現した背景には、いくつかの巡り合わせが重なったこともさることながら、両者とも教育活動に力を注いでいることがあったかもしれない。ピレシュは、1999年にポルトガルのベルガイシュに芸術センターを設立したのを端緒に、音楽をその環境から育むことに力を注いでいる。バレンボイムも、次代の音楽家の育成の拠点として、バレンボイム゠サイード・アカデミーをベルリンに設立した。幸いにも2016年12月8日に行なわれたその開学のセレモニーに立ち会うことができたが、その際に彼が、他者との対話の回路を開く哲学を教育の軸に据えたいと述べていたのが印象に残っている。
6月8日の演奏会では、ベートーヴェンの協奏曲の演奏への喝采が鳴り止まないなか、ピレシュはバレンボイムに促されてピアノの前に座り、シューマンの《森の情景》から「予言者としての鳥」を弾いてくれた。その演奏は、研ぎ澄まされた音の粒が静かにたゆたうような歌を形づくる、ピレシュのピアノの美質を凝縮させたものだった。そのさらなる深まりを、彼女は今後、次の世代に伝えてくれるにちがいない。その姿を見ることができる日が遠からず訪れることを願ってやまない。

【ブラウンシュヴァイクでのヴァインベルクのオペラ《女船客》の上演に接して】
Zur Aufführung der Oper »Die Passagierin« von Mieczysław Weinberg im Staatstheater Braunschweig

クロード・ランズマンの映画『SHOAH』(1985年/日本語版1995年)は、ほぼ証言映像だけでショアー/ホロコーストとは何かに迫ろうとした作品であるが、9時間半に及ぶその映像に登場するのは、収容所の極限状況をかろうじて生き延びたユダヤ人ばかりではない。ユダヤ人をはじめとする囚人を監視し、虐待し、虐殺したナチスの親衛隊員も登場する。その一人は、顔を隠したまま他愛のない質問にも答えない。

ベルリンのマイネッケ通りの《躓きの石》

こうした否認の身ぶりは、自分が行なった他者の生の破壊が、それによって起きたことが、彼のなかに消しがたく刻まれていることを示している。だからこそ加害者は、日常に身を埋めて過去を忘れようとする。しかし、抑圧された記憶は容赦なく回帰する。このことを収容所の元女性看守と元囚人の思いがけない再会から抉り出したのが、ゾフィア・ポスムィシュの小説『女船客〔パサジェルカ〕』(1962年)である。
ポスムィシュ自身、アウシュヴィッツをはじめとする収容所を体験している。彼女がそれに先立って、占領下のクラクフの地下教室でドイツ語を学んでいたことや、その知識をラーヴェンスブリュックの収容所で、厨房の帳簿係として生かす機会を得たことは、彼女の身を助けただけでなく、『女船客』を書くことも可能にしたにちがいない。ラジオ・ドラマのための戯曲としても書かれていたこの作品は、映画化が進められていたが、監督のアンジェイ・ムンクが事故死したため、映画は未完成に終わった。
早くからポスムィシュの『女船客』に注目していた作曲家ミェチスワフ・ヴァインベルクは、1968年には同名のオペラを完成させていたが、ボリショイ劇場で計画されていたその初演は中止となり、結局ソヴィエト・ロシアでは、このオペラは日の目を見なかった。ヴァインベルクは、《女船客》の舞台を見ないまま、1996年に世を去る。その後ようやく2006年に、モスクワで演奏会形式で初演され、2010年のブレゲンツ音楽祭では、デイヴィッド・パウントニーの演出による舞台上演が実現している。
2019年がヴァインベルクの生誕100年に当たることから、最近オペラ《女船客》の上演機会が増えている。2018/19年のシーズンに限っても、モスクワ、エカテリンブルク、テル・アヴィヴ、ゲラ、ブラウンシュヴァイクの各劇場で取り上げられている。

ブラウンシュヴァイク州立劇場外観

ハノーファーへの出張の期間に、隣町のブラウンシュヴァイクの州立劇場でのシーズン最後の公演(2019年6月5日)に接することができた。ちなみに公演初日には、今年96歳になるポスムィシュが駆けつけたという。劇場には、彼女の生涯と作品に関する展示があった。
ヴァインベルクの『女船客』というオペラにおいて最も特徴的なのは、舞台上で複数の時間が折り重なることである。アウシュヴィッツの元看守リーザと、その監視下にあった元囚人マルタがブラジル行きの船上で再会する現在において、二人は収容所の過去へ否応なく連れ戻される。このことが八つの場面の推移を形づくるわけだが、それをいかに緊密に表現するかが舞台演出の鍵であろう。
ディルク・シュメーディングの演出では、舞台中央に据えられた木製の床面が、まずリーザがマルタの姿を認める船の甲板として用いられる。そこでは船客のダンス・パーティーも繰り広げられるが、それは親衛隊員の乱痴気騒ぎの伏線となる。動揺のなかでリーザの記憶が甦ると、やがて収容所の女性囚人が姿を現わす。彼女たちが甲板をなしていた板の一部を取り外していくと、そこに収容所のバラックが現出する。そのなかに囚人が身を横たえる様子は、魂の奥底から生き残りを見据える記憶の姿とも重なって見える。そのように舞台中央の大道具を、客船と収容所の両方に用いていたことは、ドラマに求心力を与えていた。
収容所の場面で特筆されるべきは、複数言語的な遣り取りのなかに、囚人の一人ひとりの顔が浮かび上がることであろう。そこには、背景を異にし、それぞれの苦悩を抱えた者たちの連帯の兆しも見える。フランスから来た若い囚人は、他の囚人にフランス語を教える。マルタの誕生日に囚人は、それぞれの言葉でお祝いを言う。そして、マルタに乞われたロシア人の囚人カーチャは、故郷の民謡を歌う。生への思いが凝縮されたこの歌は、アカペラで始まる。そこにはこのオペラで最も美しい旋律と響きがあるが、これもやがて親衛隊員の喧騒に呑み込まれてしまう。このことは、マルタ以外の囚人の死を暗示しているようにも聞こえる。
ところで、リーザとマルタの再会とともにドラマの縦糸をなしているのが、マルタとヴァイオリン弾きのタデウシュの悲恋である。二人の愛を利用して、看守リーザは支配を強めようとするが、タデウシュは彼女の手引きでマルタに会うことを拒む。そこに示される矜恃は、彼を死に追いやることになる。親衛隊員の逸楽の場に引き出された彼は、収容所長お気に入りのワルツを弾くことを命じられるが、弾き始めたのは、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌだった。タデウシュは、すぐに死地へ連れ去られる。
タデウシュが奏でるシャコンヌの旋律は、徐々に音量を増し、やがてヴァイオリンの総奏で響く。それは、リーザの心のなかに鳴り響いているのだ。シュメーディングの演出は、過去を忘れようとする船上の馬鹿騒ぎのただなかに、収容所の乱痴気の記憶が回帰することを明確に示していた。それとともに、シャコンヌが聞こえてくるのだ。リーザは、タデウシュが連行された後に残ったヴァイオリンを叩き壊し、踏みつぶすが、その響きを消すことだけはできない。
こうしてひたすら記憶を抑圧しようとするリーザと対照的なのがマルタである。収容所の友を、そしてタデウシュのことをけっして忘れないと約束する最後の簡素なモノローグが胸を打つのは、それに先立ち、囚人一人ひとりの顔が浮き彫りにされていたからである。マルタは、死者の記憶とともに生きることを選ぶ。
そのようなマルタを演じたエカテリーナ・クドリャヴツェヴァの声は、大編成の管弦楽の響きを貫く強さと、繊細さを兼ね備えていた。リーザ役のドロテーア・シュピルガーの演技力も、特筆に値しよう。両者が対峙する二重唱の緊迫感は凄まじかった。カーチャを演じたイーヴィ・カルネツィの温かい声も印象に残る。来シーズンから音楽監督に就任するというクリストファー・リヒテンシュタインは、ジャズを含めたいくつもの様式のあいだを行き来するヴァインベルクの音楽を貫くものに迫る、力強い音楽を聴かせてくれた。
ブラウンシュヴァイクで求心力の高い上演に接したことによって、ヴァインベルクの《女船客》への関心はさらに深まった。たしかにこのオペラの音楽には、真新しい要素は乏しいかもしれない。ダンス・パーティーのワルツは、彼と深い親交で結ばれたショスタコーヴィチが書いたようにすら聞こえる。しかし、二十世紀の途方もない破局に巻き込まれた人間が引き裂かれながら生きる時間を、さらにはその錯綜を、舞台空間に鳴り響く音楽の上に表現しえたという点において、《女船客》は、オペラの概念を刷新する画期的な作品と言える。このようなオペラの可能性を掘り下げる上演が、近くアジアでも試みられることを願っている。

※人名の日本語表記とオペラの訳題に関して、文学研究者の西成彦氏から教示を得ました。記して感謝申し上げます。

( 2019/7/15)

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柿木伸之(かきぎ・のぶゆき/Nobuyuki Kakigi)
鹿児島市生まれ。現在、広島市立大学国際学部教授。専門は哲学と美学。20世紀のドイツ語圏を中心に言語や歴史などについての思想を研究する傍ら、記憶とその表現をめぐる問題にも関心を寄せつつ著述を行なう。著書に『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社)、『パット剝ギトッテシマッタ後の世界へ──ヒロシマを想起する思考』(インパクト出版会)などがある。訳書に『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』(アルテスパブリッシング)がある。音楽や美術に関する著述もある。
個人ウェブサイト:https://nobuyukikakigi.wordpress.com