邦楽展Vol.34 KOTO COLLECTION TODAY|齋藤俊夫

邦楽展Vol.34 KOTO COLLECTION TODAY 二十絃箏による神話の国への誘い

2019年5月11日 JTアートホールアフィニス
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by Jun’ichi Ishizuka

〈曲目、演奏〉
中村ありす:『Ro』二十絃箏と十七絃箏のための(委嘱初演)
  二十絃箏:坂本ゆり子、十七絃箏:丸岡映美
久田典子:『神話の国の心象風景』二面の二十絃箏、十七絃箏のための(2015~2018)
 語り:工藤あかね
 1.『月と冷たい砂(エジプト神話)』
  二十絃箏:吉村七重・下田れい子
 2.『雪の夜空に方舟の鳩をさがして(星座(旧約聖書)神話)』
  二十絃箏:吉村七重・下田れい子
 3.『サメと姫神(日本神話)』(新作初演)
  十七絃箏独奏:丸岡映美
 4.『竪琴と魔法の槍(ケルト神話)』
  二十絃箏:吉村七重・田村法子
 5.『光る森(北欧神話)』
  二十絃箏:吉村七重、田村法子
 6.『人魚のいた海(ギリシャ神話)』
  二十絃箏:吉村七重・坂本ゆり子
 7.『小さな職人と三角帽子(ハワイ神話)』
  二十絃箏:田村法子・坂本ゆり子
 8.『鰐にされたクルシア(バリ神話)』(新作初演)
  二十絃箏:吉村七重・田村法子、十七絃箏:丸岡映美

湯浅譲二:『箏歌・蕪村五句』(2008)
  歌:工藤あかね、二十絃箏:田村法子(1,2,3)・吉村七重(4,5)
 1. 鴛鴦に 美をつくしてや 冬木立
 2. 菜の花や 月は東に 日は西に
 3. 狩衣の 袖の裏はう 蛍かな
 4. 狐火の 燃えつくばかり 枯尾花
 5. 白梅に 明くる夜ばかりと なりにけり

 

1969年に創られた二十絃箏、それは現代の楽器ながら、日本の歴史・文化・伝統とほぼ完全に連続しているという稀有な存在である。その完成50周年という節目に催された今回の演奏会は、歴史・文化・伝統について、さらに世代というものについて考えさせられざるを得ないものとなった。

中村ありす『Ro』、タイトルのRoとは神経回路の「路」と、着物の「絽」のイメージを重ね合わせたものだそう。その意図はよくわからねど、反復音型の中で旋律、あるいは旋律に似た一連の音がサラサラと流れてゆくのは理屈抜きで気持ちが良い。筆者なりに比喩を考えるに、「和風SF」(*)的な音楽と言えよう。「和風」とはつまり、それは本物の日本のものではなく、あくまで「何々風」な選択肢の1つとして「日本」が選ばれているように感じたということである。

今回のメインである久田典子『神話の国の心象風景』、箏ならではのアルペジオやトレモロや「押し手」によるヴィブラート、二重奏ゆえの密度の濃い合奏、二十絃箏と十七絃箏の大きな音域と音量の使用など、この楽器の全てを使い切ってくれた感がある。この作品は「心象風景」と銘打っているものの、西洋クラシックの、例えばドビュッシーの諸作品ではなく、ベートーヴェンのピアノソナタのような抽象的で高度な構築性を感じた。

しかし、冒頭に工藤あかねによって世界の様々な神話の断片が朗読されてから曲が演奏されたのだが、筆者にはそれらの神話と曲の関係はよくわからなかった。本作品は日本伝統音階のみではなく、曲ごと・部分ごとに自由な旋法を使用していたと思われるが、筆者には「日本という自分の国の」楽器・箏で「世界の様々な神話」を奏でることに対する疑問が拭えなかったのだ。

「神話」というものにはそれを伝える人々の歴史・文化・伝統というものが土台にある。それらを踏まえ、正面から向き合った上で、『神話の国の心象風景』を描く、しかも箏という「日本の」楽器で。その難題に作曲者と作品が異国趣味、エキゾチシズム以上の回答を提示していたかというと、筆者は否と言わざるを得ない。もしタイトル抜きの絶対音楽であれば心からの拍手ができたであろうが……。

そして最後を飾った湯浅譲二『箏歌・蕪村五句』の圧倒的エネルギーの前に、これこそが「日本の伝統に則った現代音楽」という特殊性ゆえに普遍性を勝ち得た音楽だと得心した。「日本」が全く古びずに、湯浅の音楽として新しい命を得ている。俳句の切り詰められた美の世界が音楽の中で再生されている。しかも、工藤あかねのソプラノがソプラノでありながら、「こぶし」にも似た日本的歌唱法によって見事に「俳句」――と言っても、枯淡の世界などではなく、もっと力強い音楽世界――を創り出しているのである。
歴史・文化・伝統、そのようなものが本質主義やナショナリズムと結びついたときの偽りや危険性は承知しているつもりだが、この湯浅譲二の見事なまでの日本の美の世界を目の当たりにすると、歴史・文化・伝統といったものへ思いを馳せざるを得ない。

だが、中村ありすと(おそらく)同世代の筆者には、もはや「本物の伝統」ではなく、「和風SF」のような、ある種の意匠・真似事しか可能ではないのではないか、そんなことも考えてしまうのであった。

(*)はなはだ古い例で恐縮だが、筆者の経験では1990年代の「天地無用!」というアニメのメカデザインがおそらくその嚆矢である。

(2019/6/15)