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パーヴォ・ヤルヴィ指揮 エストニア・フェスティバル管弦楽団|能登原由美

パーヴォ・ヤルヴィ指揮 エストニア・フェスティバル管弦楽団

2019年4月27日 愛知県芸術劇場コンサートホール
Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)

<演奏>
指揮 :パーヴォ・ヤルヴィ
独奏 :五嶋みどり(ヴァイオリン)
管弦楽:エストニア・フェスティバル管弦楽団

<曲目>
シベリウス:交響詩「フィンランディア」作品26
ペルト:ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌
プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調作品19
(アンコール)
J. S. バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番より「サラバンド」
〜〜〜〜〜〜
チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調作品64
(アンコール)
シベリウス:悲しいワルツ

 

21世紀の音楽。そのように形容できる演奏があるとは考えたこともなかったが、公演直後に頭に浮かんだのがこの言葉だ。時代とともに常に新しさが求められる創作界ほどではないにせよ、演奏界でも変化や刷新はもちろん見られる。けれども、それはほぼ伝統的な枠組みの中に留まるものであり、時にそれを壊すほどの大胆な解釈が取り入れられようとも、あくまで壊す対象を想定してのこと。結局、奏者においても聴者においても、程度の違いこそあれ、この伝統の枠から完全に逃れることはない。

けれども、そうした枷から放たれた、別の世界の扉が開かれつつあるのではないかと感じられる演奏に出くわした。その新たな世界を垣間見せてくれたのが今日の奏者、パーヴォ・ヤルヴィと五嶋みどり。ヤルヴィが母国エストニアに創設したエストニア・フェスティバル管弦楽団を率いての公演である。

最初の2曲、つまり、シベリウスとペルトいう2人の北欧作曲家作品については、少なくとも通常の演奏会での体験を大きく超えないものであった。けれども、続く3曲目のプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲に入った途端、私はこれまでに感じたことのない異次元の世界に引き込まれたのである。私にとってはまさに未知の経験であった。

そのヴァイオリン協奏曲。第1楽章の冒頭こそ、木々の葉を揺らす風音や小さな生き物たちの微かなうごめきといったような、まるで描写音楽を聞くかのような興奮を覚えた。だが、その直後から全く異質の世界が始まる。これは何かを描写しているわけではない。とは言え、単なる旋律美やリズムの面白さを追求しているわけでもない。一体何を表現しようとしているのだろうか。

第2楽章になると、様々な音の色が明滅、あるいは小さな飛翔体が宙を舞うかのごとく断片的な音の矢が走っては消えた。これらの音の軌跡を辿ることでかろうじて空間性が意識されるが、その動きや方向には何の規則性も感じられない。第3楽章でその感覚は一層進み、もはや無重力状態。旋律の上下降や長短といった動きは聞こえてくるのだが、方角も時間の流れもない宇宙の中にたゆたうようだ。要するに、軌道のようなもの、さらにいえば、それを生成するのに必要な中心軸が感じられないのだ。そのため、時空から完全に切り離され、漂流しているかのような感覚になるのである。

一体、何がこの音楽の拠りどころとなっているのだろうか。残念ながら、今の私に説明することはできない。けれども、情動や情景など、何らかの対象を表現しているのとは明らかに違う。だからと言って、調性構造や、音の高低・長短などによって形成される音と音相互の関係性に意識が及んでいるようにも見えない。つまり、旋律もリズムもハーモニーも、特定の軸に向かうエネルギーのもとで形作られているわけでもない。ただ、そうした従来の音楽的要素のすっかり捨象された、どこにも縛られない無重力の世界なのである。

一方、後半のチャイコフスキーでは一転して無重力とは正反対、地底の軸にがっしりと根ざしているような、あるいは強烈な磁場の上に構築されていくかのような音楽に遭遇した。ヤルヴィは、一度もタクトを置くことなく全楽章を一つのまとまりであるかのように捉え、かつその細部の解釈には様々なこだわりが見られたが、何よりもその時間の独特の操り方が鮮烈だった。とりわけ第2楽章。ゆったりとした流れの中に、時にはじっと滞留するかのような部分を作るかと思えば、一挙に押し流す部分をも作る。そこにダイナミクスの揺れが重なり、音の波は一挙に増幅。上下左右へと巨大なうねりを広げていく。時間も空間も感じられなくなった先のプロコフィエフの世界とは対照的に、ここでは時空に対峙し、かつそれらを自在に動かしていったのである。前半と後半でこれほど両極端に感覚が揺さぶられたことはこれまであっただろうか。

それにしても、音楽は何を表現するのだろう。この音楽の根本課題についての問いは、常に心のどこかにあるが、今日の演奏ではそれを真正面から改めて考えさせられることになった。あるいは、私の聴取の仕方が知らない間に一面的になっていただけなのかもしれない。何よりも、それを気づかせてくれる演奏と奏者に出合えたことは、非常に大きな収穫であった。

追記:公演前にプレイベントが開催されていたが、私はそのことに気づかず、ホールに入った時にはまさに終わりを迎えていた。そのイベントとは出演者による演奏。五嶋と楽団員から一人ずつの組み合わせで2曲のデュオを披露したのである。名古屋公演では、下記の曲が演奏されたとのこと。プレイベントからソリストと楽団員との共演とは、なんとも贅沢な公演であった。

・プロコフィエフ:2つのヴァイオリンのためのソナタハ長調作品56第2楽章
  Mina Jarvi(Vn I)、五嶋みどり(Vn II)
・モーツァルト:デュオ変ロ長調K424第1楽章
  五嶋みどり(Vn)、安達真理(Va)

(2019/5/15)