カルテット・アマービレ|丘山万里子

transit vol. 9 カルテット・アマービレ

2019年3月23日 王子ホール
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)
Photos by 横田敦史/写真提供:王子ホール

<演奏>
カルテット・アマービレ
  篠原悠那(第1ヴァイオリン)
  北田千尋(第2ヴァイオリン)
  中 恵菜(ヴィオラ)
  笹沼 樹(チェロ)

<曲目>
モーツァルト:弦楽四重奏曲 第14番 ト長調 K387 「春」
ウェーベルン:弦楽四重奏のための5つの楽章
〜〜〜〜
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第8番 ホ短調 Op.59-2 ラズモフスキー第2番

(アンコール)
ピアソラ:山中淳史 編:「ブエノスアイレスの四季」より <春>

 

カルテット・アマービレは2015年桐朋音大在籍中の4人で結成、翌16年ミュンヘン国際音楽コンクール弦楽四重奏部門第3位を獲得した若手精鋭カルテットである。
ひと昔前の音大生はソリスト志向ばかりで(教師も)、ピアノも弦もアンサンブルに親しむ機会は多くなかったが、最近は若手の裾野が広がり、自ら楽しむ機運があるのは喜ばしい。
中でもアマービレはその大きな牽引力となっているのではないか。

いつぞや、ある雑誌で今日のカルテットを、無闇に強大な音響の現代楽器による機械的な精密さで精神性や気品・香りがない、とする批判を読んだが、例えば筆者も、昨年の草津でカルテット・エクセルシオの後にパノハが出てきて、その響きのあまりの相違に唸ったことは確か。「鳴らす」と「響かせる」とは違うわけで、といって、「昔は良かった」的懐古に浸るばかりもどんなものか。
筆者もやたらデカい音のごり押しは苦手な方だが、デジタル・ゲーム世代の耳が喜ぶ響きや音楽が彼らの演奏に反映されないわけはなし(無意識だろうと)、ただ眉をひそめるだけでなく、自分の耳も常に開拓し続けたい、とは思っている。

で、アマービレ。
モーツァルトは強弱対比やシンコペーションの扱い、半音階の響かせ方などに彼らの若さが映じており鋭角的。とりわけ第2楽章のメヌエットなど、いささか不自然なくらいのアクセントでしっくりこなかったのは趣味の違いとしよう。そんなに力まず軽やかに、とつい思ってしまったのは事実。
が、ウェーベルンは素晴らしい。筆者は思う、日本人にはウェーベルンがよく似合う。彼の音楽の持つ静謐と鋭利の交錯、時空間の造形・凝縮がぴったりなのだ。ミクロでありながら広大な世界観が宿り、モノクロの中に微細な色彩感が広がり、そういう独特が的を外すことなく生み出される。第2楽章のかそけきしじまは弱音器であれば、というようなことでなく、4奏者の内奥の初々しい敏感をすりあわせるような繊細がある。第4楽章の刻みもヴィヴィッドかつどこか無機質なリズムがあり、それが実に効果的だ。
要するに、ウェーベルンの冷えたほてりと「間」(呼吸)を私たちは、分析分割統合の厳格な西欧的時空感覚でなくしなやかな直感で捉えることができるのかも、と改めて思った次第。

後半のベートーヴェン、冒頭の一撃からして、来たか、と思う。モーツァルトよりいっそう作りが歌舞伎の隈取くらいに「濃い」、のだが、聴き進むうち、それが大いなる魅力になってくるではないか。内省的と言われる作だが、彼らのベクトルは相当外向放出的。音がまとまった時の、チェロを土台に塗り重ねられるそれぞれの響きの厚ぼったさ(油絵具的)、その複雑な色合いが生み出す立体感がいかにも覇気に富む。第2楽章のモルト・アダージョの声部間の受け渡しと流れの創出も太筆描き。1vnとvcの間が音程以上に幅広く思えるほどのゆったり底深いスケール感。さらに第3楽章に入るとなんといっても弾みっぷりが爽快だ。草原を野生カモシカが飛び跳ねるみたい。中間部のロシア民謡も景気良く闊達。ここらで筆者、完全に彼らの演奏にずいっと身を乗り出してしまい、終楽章に至っては、そのギャロップに腰を浮かすのであった。ディナミークの増減も思いっ切り山あり谷ありで、手綱も自在に鞭入れバシバシ騎馬気分。なんてワイルドベートーヴェン!コーダの追い込み、各騎手一丸、怒涛のゴールに雪崩れこんだのである。いや、すごかった。

だが彼らはここで終わらない。
アンコールのピアソラがその興奮のさらに上ゆくこれまた大竜巻。ボディを叩くわ、弦を軋ませずり上げずり下げ、泣くわ笑うわ叫ぶわ歌うわ、どこからこんな音?と目が点になるくらい雑多な音が飛び出し噴出、加えてこちらの胸を掻きむしるような情熱動線が奔放に豪快に渦巻いて、ほとんどロックのノリ(アレンジ秀逸!)。王子ホールのお行儀よき聴衆でなければ総立ち指笛が鳴ったことだろう。
ミーハーな筆者は「すげえぜ、若者よ!」と思わず拳を突き上げたくなる衝動をぐっとこらえたのであった。

つまり、筆者はアマービレ、十分楽しんだ。
このカルテット、チェロの笹沼のどっしり重量に女性3人が個性的に絡み、そのあんばいが非常な魅力であるとも実感した。
勢いで弾く粗さはあるが、まだ若い面々、それで良いのではないか。
同時に、「モーツァルトかくあるべし」といった基準を私たち、どこで刷り込まれるのだろう、と振り返りもしたのだ。

 (2019/4/15)