モンテヴェルディ《ポッペアの戴冠》|三島郁

いずみホール「古楽最前線!- 2018」
<中世・ルネサンスを経ての開花―初期バロックまで>シリーズ
躍動するバロックVol.5 オペラ《ポッペアの戴冠》
〔演出:髙岸未朝〕

2019年1月19日 いずみホール(大阪)
Reviewed by 三島郁(Kaoru Mishima)
Photos by 樋川智昭/写真提供:いずみホール

<曲目>
モンテヴェルディ:《ポッペアの戴冠》(原語上演・字幕付)
〔演出:髙岸未朝〕

<キャスト>
石橋栄実(フォルトゥーナ/ダミジェッラ)鈴木美登里(ヴィルトゥ)
守谷由香(アモーレ)
望月哲也(ネローネ)、阿部雅子(ポッペア)、加納悦子(オッターヴィア)、
藤木大地(オットーネ)、岩森美里(アルナルタ)、櫻田 亮(ヌトリーチェ)、
山口清子(ドゥルジッラ)、斉木健詞(セネカ)、小堀勇介(ルカーノ)
田中 純(リクトール/護民官) 「急病のため護民官の代役:松森治」、
向野由美子(ヴァレット) 、
村松稔之(セネカの友人)福島康晴(兵士/リベルト/執政官)
中嶋克彦(兵士/セネカの友人/執政官)、小笠原美敬(セネカの友人/護民官)[田中純が急病のためリクトールを兼役]

<演奏>
リコーダー:太田光子、江崎浩司 コルネット:上野訓子、笠原雅仁
ヴァイオリン: 伊左治道生、渡邊慶子、宮崎容子、丸山 韶
ヴィオラ:宮崎桃子 ヴィオローネ:西澤誠治
チェロ: 懸田貴嗣、山本 徹
チェンバロ/オルガン:渡邊 孝
リュート・テオルボ: 坂本龍右、金子 浩
指揮・チェンバロ: 渡邊順生

ホールに入ると、舞台の真ん中やや左寄りに占める器楽奏者群の一円が目に入る。ステージにそびえ立つパイプオルガンは古代ローマ式の建築を想起させ、オケ後方に設えられた黒い段とともに舞台装置の一部として君臨する。常に視界に入るオケは役柄の一つであるはずだ。そのような舞台を前に、満席の会場では大阪での《ポッペア》の「オール・ジャパン」上演とあって、開演前から皆の期待がまさに熱気となって感じられるほどであった。

いずみホールの、ルネサンスから初期バロックを中心とした2018年度のシリーズ「古楽最前線!」の第5回目にして最終回が、この「躍動するバロックVol.5 オペラ《ポッペアの戴冠》」公演である。本シリーズは昨年急逝されたホールディレクター礒山雅氏の企画・監修であった。オペラの字幕も礒山氏がすでに担当されており、プログラム・ノート執筆者でもある津上智美氏が補訳している。昨秋の同シリーズ第3回目の「スペイン再発見」公演においても、現在内外の関心を集めている新しい世代の音楽家たちが、即興たっぷりのコンソートで聴衆をおおいに楽しませてくれた。
こうした新しく、また気取らない楽しみかたを提供してくれる古楽シリーズの最後を飾るのは、モンテヴェルディ作のオペラであった。この日の公演は、結果としてその期待に応え、17世紀半ばのヴェネツィア発オペラの味わいをおおいに堪能させてくれた。半音階進行の官能的な音程感、不協和音・協和音の相互のかけひき、レチタール・カンタンドの流れ、そしてチャッコーナも含むダンスなどのリズム感、その機微に会場は酔いしれた。

《ポッペアの戴冠》(1642年初演)は、モンテヴェルディのオペラの中で、古代ギリシアの神話である《オルフェオ》(1607年初演)と、同じく叙事詩である《ウリッセの帰還》(1641年初演)とともに手稿譜が残っている三作品のうちの一つであり、その最後のものである。《ポッペア》は、タキトゥスの『年代記』を元にしたG. F. ブセネッロの台本による史実がストーリーであり、そのことが前二作品とは大きく異なる。古代ローマ共和国の皇帝ネロと、その後彼の二番目の妻となったポッパエアの二人が主人公の物語である。このオペラには教訓はほとんどなく、全編を通して欺瞞と裏切りが渦巻いている。
史実を元にしながらも、個々の役柄に個性の生々しさはなく、むしろ類型的なキャラクターと普遍的な心情、愛のやりとりが見どころである。
阿部雅子はポッペア役のはまり役だった。その声の透明感、凛としながらも王妃の座への欲が見え隠れするポッペアを強く美しく演じた。ただポッペアがネローネの寵愛を受けた後、少女のようにはしゃぐ場面が少し気になった。ポッペアにはあどけなさや恥じらいなどよりも、強さや欲深さが前面にあるはずではないだろうか。そして元来はカストラートの役であったネローネは今回はテノール。色男を気取りながらポッペアにはメロメロで少々間抜けでさえあり、しかし一方で威厳も放つ皇帝ネローネを望月哲也が好演。厳格なセネカや、嘆きと嫉妬が交錯するポッペアの夫オットーネの演技もよい。けれども加納悦子演じる狂わんばかりの激しさをもつネローネの妃オッターヴィア、そのおぞましいほどの凄みには舌を巻いた。当初オッターヴィアの強いヴィブラートが少し気になったが、それは一種のドラマトゥルギーとしてキャラクターの一助となっていた。
また初期のシリアスな《オルフェオ》にはみられないコミカルな役や場面が物語を明るくする。とりわけ岩森美里演じる、ポッペアの乳母アルナルタは劇中でもっとも印象に残る。ブッファ的存在として、その強欲さをしつこく強調しながらコミカルに役を演じ、観客をリラックスさせてくれた。演出の高岸未朝の手腕は、シンプルな舞台を背景に、このような各々のキャラクターの人物そのものに注目させ、舞台づくりについても同様に、現代の聴衆にわかりやすく見せてくれたところにあるのは間違いない。その意味では、愛に関係する場面に常に登場してくるアモーレの存在については、その過剰さに賛否が分かれるところであろう。

皆の期待が最も高まるのが、オペラの終曲である、戴冠を受けたポッペアとネローネのデュエット〈ずっとあなたをみて あなたと楽しみPur ti miro, pur ti godo〉である。そこで二人の愛は成就したかに見える。しかし長調の下降進行のバス上で歌われるこの曲は皮肉でもある。伝えられる史実では、ポッパエアはネロに腹を蹴られ、それが原因でその後亡くなることになる。この擬似的ハッピーエンドの終曲が次の悲劇の始まりであることがかすかに予感されて終わるのである。この日も二度を重ねる不協和音はあまりにも美しく、会場もその余韻の中にしばし浸った。

渡邊順生指揮のオケは秀逸だった。在関西の奏者も含まれたいずみホール・メンバーである。《ポッペア》にはヴェネツィア稿とナポリ稿と呼ばれる、二つの、それぞれ互いに異なる稿が残されており、またそれを元に現在さまざまな版が作られている。器楽パートは、通奏低音と歌パート以外には通常高音の弦楽器二声もしくは三声であり、上演によってその楽器の種類や数はその都度異なる。今回は旋律楽器にはヴァイオリンとヴィオラ以外に、リコーダーとコルネットが、そして通奏低音にはチェロ、コントラバス、テオルボ、チェンバロ、そしてオルガンが用いられた。プログラム・ノートによると、オリジナルの稿を元にしながら複数の現代版を使用し、本上演用にオリジナルにアレンジしたヴァージョンでの演奏であった。17世紀のオペラを、ただそれを自然に美しいありかたで楽しむことができるようになったことを実感した。《ウリッセ》や他のイタリア・オペラの上演が早くも待ち望まれる。

(2019/2/15)

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三島郁(Kaoru Mishima)
京都市立芸術大学、同志社女子大学、甲南女子大学、各非常勤講師。専門は西洋バロック期から19世紀までの鍵盤楽器音楽の作曲論、演奏論、記譜論。共著に『音楽を考える人のための基本文献34』(アルテスパブリッシング)など。