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勅使川原三郎・佐東利穂子『ロスト・イン・ダンス 抒情組曲』『月に憑かれたピエロ』|齋藤俊夫

勅使川原三郎・佐東利穂子『ロスト・イン・ダンス 抒情組曲』『月に憑かれたピエロ』

2018年12月1日 東京芸術劇場プレイハウス
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 小熊栄/写真提供:東京芸術劇場

〈出演、曲目〉
(二作とも出演)
演出・振付・照明・美術・ダンス:勅使川原三郎
ダンス:佐東利穂子

アルバン・ベルク『抒情組曲』
  ヴァイオリン:松岡麻衣子、甲斐史子
  ヴィオラ:般若佳子
  チェロ:山澤慧

アルノルト・シェーンベルク『月に憑かれたピエロ』
  歌:マリアンヌ・プスール
  指揮:ハイメ・ウォルフソン
  フルート:多久潤一朗
  クラリネット:岩瀬龍太
  ピアノ:田口真理子
  ヴァイオリン:松岡麻衣子、甲斐史子
  ヴィオラ:般若佳子
  チェロ:山澤慧

 

2016年11月30日東京オペラシティにおいて、伶楽舎演奏の武満徹『秋庭歌一具』で勅使川原と佐東が舞ったステージの衝撃は忘れられない。音楽がどうこう、ダンスがどうこう、ではなく、まさにそのステージ全体が作る異次元の世界に飲み込まれるような体験であった。

今回の『抒情組曲』『月に憑かれたピエロ』でもあの体験が…と期待したのだが、筆者が音楽を専門としているがゆえか、音楽的、いや、聴覚的には残念な結果となってしまったことはまず述べておかなければならない。

有り体に言って、ホールの音響が悪かったのである。演奏会用のホールではないから当然と言えば当然のことながら、手練の演奏者を連ねても、客席に届く音はまるで楽器にミュートをかけたかのように小さかった。ソプラノの歌声はマイクで集音・増幅していたためしっかりと聴こえたので、他の楽器にも同様の仕掛けをしてもらいたかった。

では視覚的には、つまりダンスはどうであったか、というと、(筆者には)「よくわからないがとにかく凄まじく、そして怖いまでに美しい」ものであった。

『ロスト・イン・ダンス 抒情組曲』、黒い舞台の暗闇の中、男(勅使川原)と女(佐東)が、交替で踊る。少し詳述すると、薄物の上着を着た者がゆっくりと登場し、その上着を脱いでダンサーに着せると、着せられた者は踊りをやめて退場し、上着を脱いだ者は激しく踊りだす。衣装も黒く、「光」に当たるものはダンサーの「手の白色」だけであり、それが空間に高速で描く「弧の軌跡の残像」が強く印象に残る。

『抒情組曲』と何の「つながり」があるのか、それが「抒情」なのか、それとももっと「肉体的」なものか、あるいは「物語」的なものがあるのか(男女が最後まで一緒になれないまま、最後には女が独り舞台奥に消えていく所など、何か考えさせられるものはあったのだ)は音楽と一体となった時におそらく感得できるものであったのだろうが、先述の通り、音量の小ささにより、そこまで至らなかったのは残念であった。

後半の『月に憑かれたピエロ』の勅使川原による「照明」「光」の使い方にはさらに「度肝を」抜かれた。

開幕、光を反射する衣装(ラメ入りジャケット?)を着た勅使川原に真っ青なスポットライトが当てられている情景の鮮烈さにまず息を呑んだ。絵画や映画では味わえない、舞台ならではの視覚的衝撃である。その後も、ステージの床に小さな、しかし強い光源が大量に散りばめられる、鏡が吊るされ、照明とダンサーの姿がそこに反映する中で踊り続ける、多方向からスポットライトが射し込まれる、など、「光」の存在に震撼した。

また、表現主義の音楽『月に憑かれたピエロ』にふさわしく、表現主義のクリムト、シーレ、ココシュカらの絵画から抜け出てきて、そしてそれが踊り続けているような勅使川原のねじれ、よじれ、痙攣の「異常さ」に恐怖した。さらにその姿勢のまま高速で移動し不連続的に静止するという、一言に「身体能力」などとは言えず、「どうしてこんなことができるのだ!?」と問いかけざるを得ない動きに、ダンス芸術の真髄を見た。

佐東のダンスは勅使川原に比して、穏やか、というか、あまり「異常」ではなかった。これは意図的なものだと思われるが、しかし、勅使川原が「歩くだけで異常な迫力がある」のに対して、佐東は異常な所はちゃんと異常なのだが、「歩く」「立つ」といった、「通常」の動作には「異常」なところが薄く、少々物足りなかったのが実感である。素人目ではあるが、腹、胸、肩、首、顔、といった、四肢ではないが「ねじることができる」部分でもっと「表現」をしてもらいたかった。

だが、賢しらに冷静に記述することが難しいほどの迫力の舞台であったことは間違いない。終演後、筆者の後ろに座った、あまりこのような舞台には精通していないと思われる初老の男性が、彼を招いたらしい若者に「よくわからんかったがなんか気持ち悪くて面白かった、ありがとう」と言っていたのが印象深かった。「表現主義芸術」というものが時代や文化といったものを超えて、人間の普遍的な「真理」を捉えているということを見事に理解し、表現した勅使川原たちを心から讃えたい。

関連評:勅使川原三郎『月に憑かれたピエロ』『ロスト・イン・ダンス―抒情組曲』|藤原聡

                             (2019/1/15)