勅使川原三郎『月に憑かれたピエロ』『ロスト・イン・ダンス―抒情組曲』|藤原聡

勅使川原三郎『月に憑かれたピエロ』『ロスト・イン・ダンス―抒情組曲』

2018年12月4日 東京芸術劇場プレイハウス
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 小熊栄/写真提供:東京芸術劇場

〈出演〉
ダンス:勅使川原三郎/佐東利穂子
歌:マリアンヌ・プスール
指揮:ハイメ・ウォルフソン
フルート:多久潤一郎
クラリネット:岩瀬龍太
ピアノ:田口真理子
ヴァイオリン:松岡麻衣子/甲斐史子
ヴィオラ:般若佳子
チェロ:山澤慧

 

勅使川原三郎はそのブログの中で、今回の2作品を「対をなすもの」と書く。第1部の『ロスト・イン・ダンス』は「佐東利穂子が踊る‘ダンスギリギリのダンス’と言えるまでダンスし、個性というものを失うほどで、私が彼女のダンスに捧げた作品です」。この言葉の通り、『ロスト・イン・ダンス』での主役はあくまで佐東、そして鮮烈なライティングであったろう。真っ暗な中に鮮烈な丸い光の円がステージ上におもむろに照らし出されるその効果。これが消えると今度は四角か。佐東のダンスの最中、そのうち勅使川原がステージ脇からいつの間にかステージに出現し、2人は互いにコートを回転させながら身にくるむように交代して身に付けあるいは脱ぐ。単純ながら魔法のようなそれはどことなくエロティックでもある。勅使川原はまるで影・黒子のようでもあり、ドッペルゲンガーの如く佐東の分身のようでもある。その実体は確かに目の前に確認できるにも関わらず、その存在はどこか謎めいていて掴みどころがない。ステージ上に存在するのはこの2名あるのみ、しかし先に記した絶妙のライティングの効果も相まって約30分間のダンスに飽きる瞬間はまるでない。
これらは何らかのストーリー性や意味性に還元できる類のものではなく、まさに勅使川原の言う「ロスト・イン・ダンス」=「ダンスギリギリのダンス」であり、そこにいわゆる個性というものはないのだ。あるのは純粋な身体の躍動と名状し難い情念のみ、観客はただそれを息を飲みながらひたすら眺めていればよい。勅使川原の演出は恐らく佐東の欲動におおまかな「運動のかたち」を与えただけ。筆者はベルク作品から言うならば第3楽章のアレグロ・ミステリオーソで佐東が見せた箍(たが)の外れたような痙攣的に細かいニューロティックなダンスそれ自体の迫力で「鳥肌が立った」(巷間よく使われる「感動」と言う意味ではなく、文字通りの不気味さから来るあのぞわぞわする感覚と取って欲しい)。このダンスの最後には冒頭の円が再度現れるが、そこで2人は合一し、そして別れ取り残される(佐東)。
牽強付会の謗りを承知で記せば、これを『抒情組曲』に秘められたベルクとハンナ・フックスの愛に結び付けて解釈することが出来なくもない(あれ、「ひたすら眺めていればよい」と書いたことと矛盾しているかい?)。いや、これは「ダンスに憑かれた」(勅使川原)佐東が取り残された彼岸の表現なのだろう。ピーター・ブルックではないが、「何もない舞台」へのイマジネーションは無限に拡がる(尚、音楽演奏面で気になることを書いておきたいのだが、演奏がいささか微温的であったこと、そしてPAを用いなかったために元来音楽ホールではないプレイハウスではその音響的効果が十分ではなくステージ周囲で音楽がちんまりとまとまってしまったことが少し残念)。

後半の『月に憑かれたピエロ』では勅使川原の「対をなすもの」との言葉通り、『ロスト~』と異なりある種のストーリー性がある。なるほど楽曲は歌詞があり、シュールレアリスティックとは言え具体的な情景=心象風景がそこはかとなく浮かんで来るだろう。ステージには銀色の膜が敷き詰められ、背後に垂れ幕。照明は蒼白に近い青そして鮮烈な赤-月と血。膜と照明の乱反射で金や青。この色彩効果が超絶的で、これもまた前半と対照的。
勅使川原=ピエロのダンスはマイム的な意味性と象徴性を孕み、怪人的でありそしてどことなくユーモラス。痙攣的な動きになぜかチャップリンを連想したり。佐東=月、女あるいは花?も同様。ここでそのダンスは歌詞のイメージを比較的忠実に(?)トレースして行く。「月光のあお白い花びらを さかせることができたなら」でまるで開花するかの如く体を開く佐東。<盗み>では「赤い高貴なルビー」を思わせる赤い照明が上から吊るされて降りてくるが、それに続く<赤いミサ>において文字通り赤色に満ちたステージの中で2人によってそれらが揺らされる(詩では「そうろくの光の揺れる中で祭壇へと近づいていく―ピエロ!」エトセトラエトセトラ)。
恐らく取っ付き易いのは『月に憑かれたピエロ』だろう。しかし、筆者は前半の『ロスト・イン・ダンス』の極度の禁欲性がそのまま豊穣さへと転化するようなステージにより魅力的なものを感じた。こう言うと語弊があるかも知れぬが、前者は「分かり易過ぎる」のかも知れない。こうも言えるか、『月に憑かれたピエロ』は詩とその解釈をめぐってのダンス、『ロスト・イン・ダンス』は音楽の律動・運動性の純粋表現。どうも筆者は純化された表現を好む傾向があるようだ。
ここでも演奏について言及すれば、『月に~』 でのマリアンヌ・プスールはヘレヴェッヘ指揮による同曲の録音でもかなり表情豊かなシュプレッヒ・シュティンメを披露していたが、それはここにおいてより強化されそれがダンスと見事な相乗効果を上げていたように思う(PA使用も大正解)。器楽部も大健闘していた。
素晴らしいダンスのステージ、全ての演者に感謝。

関連評:勅使川原三郎・佐東利穂子『ロスト・イン・ダンス 抒情組曲』『月に憑かれたピエロ』|齋藤俊夫

(2019/1/15)