ジュリアード弦楽四重奏団 演奏会 |藤原聡

ジュリアード弦楽四重奏団 演奏会

2018年10月24日 ヤマハホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by Ayumi Kakamu/写真提供:ヤマハホール

<演奏>
ジュリアード弦楽四重奏団
アレタ・ズラ(バイオリン)
ロナルド・コープス(バイオリン)
ロジャー・タッピング(ビオラ)
アストリッド・シュウィーン(チェロ)

<曲目>
ハイドン:弦楽四重奏曲 ヘ長調『雲がゆくまで待とう』Op.77-2,Hob.Ⅲ-82
バルトーク:弦楽四重奏曲 第3番
ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲 第11番 ハ長調 Op.61,B.121
(アンコール)
ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲 第12番 ヘ長調 Op.96,B.179『アメリカ』~第2楽章

 

曲がりなりにもジュリアード弦楽四重奏団のファンを自認している筆者でも、ここ最近における同団のメンバー入れ替わりの激しさには時々訳が分からなくなる。この傾向は恐らくマン退団に伴い2ndから1stにポジションを変更したジョエル・スミルノフが退団、その1stにニコラス・イーネットが就任した2009年辺りからだろう。イーネットはわずか2年で退団(このイーネット時代の来日はなし)、2011年からはジョセフ・リンがその任に。2ndのコープスは1997年以降不動だが、vaとvcはベテランのローズが2013年に、クロスニックも2016年に退団。va後任に個人的にはまるで想定外であった元タカーチSQのタッピングが就任。そしてvcの後任には現メンバーであるアストリッド・シュウィーン。そして前述した1stのリンが2017/2018シーズンで退団したことに伴い同ポジションには今年9月にアレタ・ズラが就いた。この激しい入れ替わり、普通の団体ならとうに瓦解しているところだろう。

話は変わるが、大半のファンにとっては未だにジュリアードSQと言えばロバート・マンの印象が強烈だろう。筆者はマン退任前の最後の来日である1997年に2度実演に接しているが(カザルスホール!)、当時70歳代半ばであったマンの技巧はさすがに若干の衰えを感じさせたが、しかしその年齢としては驚異的に高いレヴェルを保持し、何よりもその気迫にはいささかの衰えも感じられなかった。表面的な美しさよりも楽譜の指定や指示を容赦なくストイックに追い詰めて行くかのようなマンの姿勢こそがジュリアードSQの特質であったことは周知であろう(例:『ラズモフスキー第3番』の終楽章)。それはマンの薫陶を受けた他メンバーに等しく受け継がれ、つまりは「ジュリアードSQ=マン」とすら表記できたのである。

vcのクロスニックが2016年に退団して、マンと一緒に演奏したメンバーが遂に誰もいなくなった。その意味で、今のジュリアードSQはかつてのジュリアードSQとは全く別の団体になったと言える。それ自体は客観的な事実を述べたに過ぎず良い・悪いの話ではない。そして、今回の来日はクロスニック退団後の、まさに「新ジュリアードSQ」(勝手にそう書いたが)としての来日である。

やたらと長い前置きになったが、そろそろ演奏について記そう。

1曲目のハイドンから、彼らの音は誠に豊穣でしなやか、そして美しい(かつてのジュリアードSQに対してはこんな形容詞は出ない)。1stのアレタ・ズラは入団後間もないにも関わらずその音色とフレージングは既に他メンバーと見事な同質性を見せ、この辺りはさすがと思わされる。ズラに代表される全体的な美麗さが時にハイドンの古典的な節度を逸脱する危機を孕みながらも、その完成度は驚異的に高い。
2曲目のバルトークですら同傾向で、この作曲家の6曲の弦楽四重奏曲中でも第4番と並んで最も前衛性の高い第3番がこう言ってよければほとんどまろやかですらある。頻出する特殊奏法ですらそこに異物性はなく、全体の流れの中で処理され、流麗な音像が連続する。とにかく4人とも上手い。恐らく彼らにとってもはやバルトークは完全に「古典」であり、技術的に格闘するまでもなく弾けてしまうのではないか。技術的な危うさとソリッドな音色による求心的なアンサンブルが楽曲の険しさを表出していたような昔のジュリアードSQの演奏とは別物である。まあそれを言うなら現在の腕の立つ団体によるバルトーク演奏はえてして洗練されているのだけれど、ジュリアードSQがこういう演奏をするという事自体にある種の感慨がある。
あまり演奏されないドヴォルザークの第11番は名曲だが、この日の1番の収穫はプログラム最後に演奏されたこの曲だろう。ここでは特にタッピングの雄弁で、それでいて引くところではスッと引く絶妙のバランス構築に思わず耳が吸い寄せられる。コープスの2ndもまた表情豊かだ。この磐石の内声があるからこそ、1stのズラがどれだけ大きく歌わせてもそれがやり過ぎとは聴こえない。vcのシュウィーンは音色と歌い回しにわずかな「癖」があるのが気にならないでもないが、それもアクセントと捉えればまた楽し。この曲では今のジュリアードSQの芸風の良いところが完全にプラスに働いていたと見る。アンコールは同じドヴォルザークの『アメリカ』から第2楽章。ここでの情感豊かな演奏もかつての彼らとは別物の感。

冒頭にも記したように、マン時代のジュリアードSQの印象が未だに強いのでどうしてもそれと比べてしまう自分がいるのだが、それは必ずしも褒められた聴き方ではなかろう。とにかく、今のジュリアードSQは依然世界最高レヴェルの実力を有している。これで十分だ。

                               (2018/11/15)