パリ・東京雑感|アントワープの印象 ベルギーの不思議 |松浦茂長
アントワープの印象 ベルギーの不思議
text & photos by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)
夏が近づくと友人も隣人も、まるで挨拶のように「どこに旅行するの?」と聞くし、秋になると「旅はどうだった」と尋ねられる。夏のパリは人も車も少ないし、汗をかく日は数えるほどだし、美術館や名所を見るには絶好の季節。フランス人が大渋滞をものともせず猛暑の南仏に大移動する気持ちが分からない。パリの方が快適なのに。それでもどこか一カ所くらい行っておかないと、隣人への挨拶がスムースに始まらないから、今年はベルギーのアントワープに行ってみた。
ベルギーは謎めいた国だ。ファン・アイクの絵は人も物も本物より本物っぽく、虫眼鏡で覗いても限りなく細部が正確に見えてくるのに、どこか非現実の気味悪さがある。そんなファン・アイクやブリューゲルの先入観があるせいだろうか、ベルギーの町を散歩していると、ふっと異次元の空間に迷い込んでしまったような錯覚にとらわれることがある。
それに、ベルギーに行くと必ずおなかをこわした。1980年ごろブリュージュに2泊して、明日はヘントに行く予定の晩、腹痛と熱。諦めてまっすぐロンドンに帰った。1995年ごろジャーナリストのEU視察に参加し、ブリュッセルに3泊した。このときも最後の晩に高熱と腹痛。2回とも翌日はけろっと元気になったし、食中毒とは様子が違った。こってり油を使った料理を、あんまりおいしいので、毎日貪欲に食べたせいかもしれないが、ベルギー滞在の最後の晩の災難は<気味が悪い国>の印象を決定的にしてしまった。
道路が混むのは地中海に向かう南方面で、夏の間、北のベルギー・オランダ方面行きはガラガラだ。アントワープ周辺までは順調に来たが、環状道路から町に入れない。町中央への出口が分からないのだ。フランスだったら、初めて行く町でも、「センター」とか「カテドラル」と表示した出口があって、町に入ってからも表示をたどれば、間違いなく旧市街に着いた。ところが、僕の選んだ環状道路が間違っていたのか、「町の北」「町の南」出口はあっても、「町中央」がない。行き当たりばったり環状道路を出て、道順を聞き出し、今来た道を逆戻りして市内に入るまでに1時間15分。町に入ってからはもっと大変だった。聞く相手によって、カテドラルに行く道順が全然違う。正反対の方向を指す男もいた。(彼は「カテドラルのそばに住んでいるのだから間違いない」と厳かに断言までしたのに。)市の清掃車のおじさんは、「俺についてこい」と先導してくれたが、見当違いの場所だった。どの人もこの上なく親切で、丁寧に相手してくれたから、恨みはしないが、たっぷり1時間45分アントワープの町を東西南北に走らされた。
ヘントに行ったときも、道を教えてくれた人が親切だったのと、内容がでたらめだったのがそっくりだ。中には、「すぐそこの地下駐車場に車を入れて歩いて行け」と忠告してくれたのもいた。土地の人にとっても難しい町なのだろうか。
フランスは「明晰判明」を唱えたデカルトの国だけあって、道路も地下鉄も分かりやすく表示が出ている。町自体が明快な構造なのかも知れない。ベルギーは迷路の国だ。
カテドラルにたどり着いたのは閉門30分前。ともかくもお目当てルーベンスの「キリスト降下」を見られたのだから、文句は言うまい。「フランダースの犬」の主人公の少年は、憧れのこの絵を一目見て死んだのだし。
最近のベルギー料理はパリよりさっぱりして香りが繊細。もう腹痛・発熱のリスクはなさそうだ。レストランの窓から通りの向かいのカフェがよく見えた。体格の良い女性2人が編み物をしながら、おしゃべりしている。僕らがレストランに入った7時半には、彼女たちが腰を据えてからかなり時間がたった様子。9時頃レストランを出たとき、編み物を片付け始めた。会話のリズムも、時の流れもパリとは違う。フランス人の会話は、相手が黙らないうちから早口で自説を述べ立てる。2人3人が同時にしゃべることさえ珍しくない。そんな国からベルギーに来て、編み物しながらぽつりぽつりおしゃべりするのを見ていると、肩の力がすっと抜けるような快さを感じた。
翌朝もゆったりしたおしゃべりに出会った。ベギンホフと呼ばれる中世以来の女性修道院の跡を見に行くと、手入れの行き届いた中庭の片隅で3人の男女がおしゃべりしている。しっとりした建物に囲まれた中庭には落ち着いた時間が流れて行く。3人は会話のテーマにこだわるより、ゆったりした時の流れに浸るのを楽しんでいるように見えた。1人はフランス文学の先生、1人はオルガニスト。僕がクイケン、ヘレヴェッヘ、ルネ・ヤ-コプスと好きなベルギー人演奏家を挙げると、「一番偉大なのはトン・コープマン」と言う。あれ、オランダ人じゃないか!
この国の人たちは「ベルギーは偉大な国です」などというやっかいな虚栄心とは無縁のようだ。(フランス語圏とフラマン語圏の憎悪は激しいが)。ベルギーに来ると気持ちが楽になるのはそのせいかもしれない。フランス人は、フランスこそ世界に人権と文明をもたらす国と信じていて、心のどこかに野蛮を開化する使命感みたいなものを抱えている。彼らの前では、イギリスもアメリカも日本も<野蛮>なのだ。ベルギーの人も心の底では、「中世以来フランドルの方がフランスより偉大な画家、作曲家を生んでいる」と誇りを感じているに違いないが、世界に文明の光を放射する責任はない。小国の気楽さだ。
謎はますます深まる。あの気さくでのんびりした人たちの姿と、フランドル絵画のねちっとした不気味なほどの熱気、ヘレヴェッヘのバッハの粘っこい耽美との間には距離がありすぎる。でも、ヘントを歩くと、ふっとルネ・マグリットの絵のように非日常に迷い込む場所がある。あの静かに編み物していた婦人も魂の底に妖しい情念を秘めているのかもしれない。
内面の深さ、濃厚さと対照的に、フランドルは羽目を外した乱痴気騒ぎでも知られる。オランダの友人ジャーナリストが「私たちは、ベルギー人のごちゃごちゃした混乱ぶりが大好き。そういうのをオランダではステーンの家と言う」と教えてくれた。ステーンは酒場の騒ぎを描くのが得意なオランダの画家だ。
ベートーヴェンの先祖は15世紀のフランドルまでたどることができ、おじいさんの代にドイツに移住したそうだ。ベートーヴェンの言う「ボタンをはずしている」飾り気なさはベルギーの血から来るのだろう。ロマン・ロランは『第7交響曲』についてこう書いている。
「そこには夢中な陽気さと熱狂があり、気分の突如たるコントラストがあり、錯雑する、大規模な思いつきと巨人的な爆発とがある……北ドイツでは『第7』は酔っ払いの作品だと評された。……私自身はむしろ、この激しいオランダ的祝祭ケルメスの中に、彼のフランドル的血統の印を認める。――訓練と服従との国において、誇らしげにあらゆる額縁からはみ出してしまうような彼の表現と動作の大胆さの中に私がこの血統の特徴を認めるのと同様に。」
友人の医者に「アントワープに行ったら必ず印刷博物館を見なさい」と言われた。彼のような古い本の蒐集家には興味があっても、僕には退屈かも、と迷ったが、これは「ルーベンスの家」に負けない感銘を与える屋敷だった。プランタンという男が16世紀に印刷出版を始め、やがてヨーロッパ中から注文の来る名出版店になった。ルーベンスが描いた歴代主人の肖像がずらっとかかっているくらいだから大富豪に違いないが、修道院のように厳粛、質実剛健な建築だった。グーテンベルクの印刷した聖書もあったし、プランタンが16世紀に出版した聖書は、見開きページに、ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語、アラム語で同一箇所が印刷されている。ルネサンスの人文主義はこんな大胆なことをやっていたのだ。
乱痴気騒ぎが大好きなベルギーは、学究・理性の国でもあった。そして数え上げればルーベンスを生んだ絵画の王国、ベギンホフにつながる神秘主義の国、迷路の町、のんびりして底抜けに親切なベルギー人……。来年もこの不思議な国に行ってみよう。今度はカーナビを買って。
(2018年9月25日)