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サントリーホール サマーフェスティバル2018 テーマ作曲家<イェルク・ヴィトマン> 管弦楽|平岡拓也

サントリーホール サマーフェスティバル2018
サントリーホール国際作曲委嘱シリーズ No. 41(監修:細川俊夫)
テーマ作曲家<イェルク・ヴィトマン> 管弦楽

2018年8月31日 サントリーホール 大ホール
Reviewed by 平岡拓也(Takuya Hiraoka)
写真提供:林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
指揮・クラリネット:イェルク・ヴィトマン
ヴァイオリン:カロリン・ヴィトマン
管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:山本友重

<曲目>
ウェーバー:クラリネット協奏曲第1番 ヘ短調 Op. 73
ヤン・エスラ・クール:『アゲイン』 オーケストラのための(2018、世界初演)
ヴィトマン:『コン・ブリオ』 オーケストラのための演奏会用序曲(2008)
ヴィトマン:クラリネット独奏のための幻想曲(1993/2011)
ヴィトマン:ヴァイオリン協奏曲第2番(2018、サントリーホール、パリ管弦楽団、フランクフルト放送交響楽団による共同委嘱、世界初演)

 

サントリーホール サマーフェスティバル、細川俊夫監修の国際作曲委嘱シリーズ。今年のテーマ作曲家は、クラリネット奏者・作曲家・指揮者など多彩な顔を持つイェルク・ヴィトマンが登場。東京都交響楽団と共演した演奏会を聴いた。

一曲目に置かれたのは吹き振りによるウェーバー『クラリネット協奏曲第1番』。やや意外性のある選曲に感じたのだが、ドイツの音楽家としての自己紹介なのだろうか(シュポーアなど聴いてみたかった気もするが)。都響は引き締まった響きで奏で、ヴィトマンはクラリネット片手にオーケストラに軽やかな刺激を与える。管弦楽とクラリネットは融け合うというよりも滑らかに分離し、それはヴィトマンの音色によるところが大きいだろう。第2楽章でヴァイオリンの伴奏音型(『魔弾の射手』を連想させる)に乗ってソロが揺蕩う箇所、ふくよかながらもハキハキと拍節感明晰な音楽なのが面白い。第3楽章の快活な進行はヴィトマンの個性とよく合致していた。

エスラ・クール『アゲイン』はコンサートマスターのソロに始まり、各セクションに拡がって同一音型によるリレーをしていく過程はミニマル的で特に真新しさはない。協和音もふんだんに用いられるのだが、すぐに楽想に歪みが生じ、進行は不安定だ。作曲者はプログラム・ノートで「(ある土台の上に)様々な音楽的な状況やプロセスが展開され。その中で根本的な素材の流れが生まれ、継続され、拡大されていく」としているが、その「流れ」の連関がこの作品ではもっとも聴取し辛い部分だった。ここにこそ作曲者による補完を求めたかったが。曲の終盤では弦楽器全体がボウイングをずらしつつ、ある一定音域内を上下し、最終的にロ調の協和音に昇華してふわりと終わる。J. S. バッハの借用等伝統的な和声進行を用いつつ再構成を行う姿勢は、ヴィトマンと共通する音楽言語かもしれない。

ヴィトマン『コン・ブリオ』はバイエルン放送の委嘱作品としてマリス・ヤンソンスの依頼で書かれた作品。ベートーヴェンの第7番・第8番の交響曲と共に演奏される予定なので何かこの2作との接点を、という発注に応えた作品なのだが、これはヤンソンスのリクエストがヴィトマンの音楽の良さを引き出した、というところだろう。ベートーヴェン音楽のリズム的熱狂が再構成的に用いられ(『第8番』のリズム動機やホルンのパッセージなどごく断片的な引用が聴こえる)、多種のマレットを駆使して楽音以外も叩きまくるティンパニの活躍も楽しい。息を吹き込む管楽器の中に和音が吸い込まれる、など随所に散りばめられた発想も違和感なく融け合っている。ただ、緻密な構造を有する作品というよりは、オーケストラ全体がアクロバットを行う刹那的な面白さを楽しむ作品という印象を持った。

後半、まずヴィトマンが一人現れて『クラリネット独奏のための幻想曲』。冒頭から重音奏法や運指におけるキーのプッシュ音だけで鳴らすなど、さまざまな奏法が駆使されるが、基調となるのは起伏豊かな旋律と音色美であろう。つまりそれはヴィトマン本人の演奏家としての生理・音楽性と不可分である。作曲領域と演奏領域が完全に合致しているが故の稀有な雄弁さであり、聴衆も湧く。逆に言えば、作曲のパレットを管弦楽とした時、作曲行為における連携に綻びを感じたのが先の『コン・ブリオ』なのである。

最後に置かれたのが今回委嘱初演となった『ヴァイオリン協奏曲第2番』。いかなる音楽が生まれるのだろうと期待したが、残念ながら感銘には至らなかった―プログラム・ノートが別紙で挟み込まれた、という事情から推察するに、何とか完成に漕ぎ着けて提示したという段階ではないのか?ヴァイオリン独奏が指板を最弱音で擦り、弾きながらヴォカリーズを歌う静謐な冒頭部は良い。そのヴォカリーズの音高がオーケストラに受け継がれ、音色の拡がりを見せるのも美しいし、アイディアの断片は感じられるのだが、第2楽章以降の書法では『コン・ブリオ』で提示されたもの以上の面白さは感じられなかった。また第1楽章におけるオーケストラの書法の薄さが特に気になる。カロリン・ヴィトマンの超絶技巧とオーケストラの真摯な取り組みには感じ入ったが、是非改訂して凝縮させた音楽として提示してほしいというのが正直なところ。

今回感じた印象は2点。まず第1に、ヴィトマンの作曲行為は、ヴィトマン自身が作品に与えるコンセプト(あるいは発注者のリクエスト)により、作品の成否が大きく変わってくるということ。以前読響で彼のクラリネット協奏曲『エコー=フラグメンテ』を聴いた時、ヴィトマン自身は作品に明快なコンセプトを与えていたが、聴こえてくる音楽に筆者は首を傾げた。作品の外枠とヴィトマンの筆がうまく呼応した時、聴き応えのある作品が誕生するのではないか。第2に、演奏家としての彼の生理が作曲と結びついた際の雄弁さは代え難いということだ。『コン・ブリオ』の再構成的な面白さは認めつつも、無伴奏作品一曲から受けた感銘はそれを遥かに上回ったということは正直に申し上げておきたい。

関連評:サントリーホール サマー・フェスティバル2018 テーマ作曲家〈イェルク・ヴィトマン〉管弦楽|齋藤俊夫

(2018/9/15)