東京二期会オペラ劇場 ウェーバー:オペラ《魔弾の射手》|藤堂清

ハンブルク州立歌劇場との共同制作
東京二期会オペラ劇場 ウェーバー:オペラ《魔弾の射手》

2018年7月18日 東京文化会館大ホール
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<スタッフ>
指揮:アレホ・ペレス
演出:ペーター・コンヴィチュニー
舞台美術:ガブリエーレ・ケルブル
照明:ハンス・トェルステデ
演出補:ペトラ・ミュラー
合唱指揮:増田宏昭
演出助手:太田麻衣子
木川田直聡
舞台監督:幸泉浩司

<キャスト>
オットカール侯爵:大沼 徹
クーノー:米谷毅彦
アガーテ:嘉目真木子
エンヒェン:冨平安希子
カスパール:清水宏樹
マックス:片寄純也
隠者:金子 宏
キリアン:石崎秀和
ザミエル:大和悠河
花嫁の介添:田貝沙織、鳥井香衣、渡邊仁美、長谷川光栄
ヴィオラ・ソロ:ナオミ・ザイラー
アガーテの少女時代:小澤可依
マックスの母:川俣光紗
合唱:二期会合唱団
管弦楽:読売日本交響楽団

 

ペーター・コンヴィチュニーが二期会でオペラ演出を担当するのは、これで5作品目となる。2006年の《皇帝ティトゥスの慈悲》に始まり、《エウゲニ・オネーギン》《サロメ》《マクベス》、そして今回の《魔弾の射手》。それ以外にも歌劇場の来日公演で何作品か見ることができた。
《魔弾の射手》は、ハンブルク州立歌劇場で1999年に初演されたプロダクション。当時この劇場の音楽監督であったインゴ・メッツマッハーとの共同作業の一つで、コンヴィチュニーが一番輝いていた時代の舞台。彼が来日し、直接指導するということもあり、楽しみであった。
幕の手前、舞台下手側の壁にはエレベーターが設置されている。地下から7階までの表示だが、地下1階にあたるところには「狼」という文字。幕が上がると試射会、舞台の後方に集まった人々から客席に向かって銃弾が飛んできて、標的を射抜く。大会の勝利者キリアンと群衆は敗れた狩人マックスを嘲笑する。それを煽っているのが、悪魔ザミエル。それに加え悪魔の楽隊が舞台に登場し、翌日にアガーテとの結婚のかかる射撃大会をひかえたマックスをさらに追い詰める。

マックスとカスパールの対話が始まる。ジングシュピールの形式だからセリフは結構長いし、ストーリーの展開もそれによって進んでいく。今回の公演ではセリフは日本語である。そのこと自体は観客の理解を助ける方法として悪いことではないが、クラシックの歌手が、頭のてっぺんから出るような声でメリハリもなく棒読みするものだから、芝居としては居心地が悪い。その上、指揮者が日本語を解さないためか、音楽の入りのタイミングが遅れる。最初は彼らだけのことかと思っていたが、ほとんどすべての歌手が同様の状況であった。
演出家が日本語を理解する人であったら、これを放置したとは考えにくい。実際、先日の日生劇場の《魔笛》でも、歌はドイツ語、セリフは日本語であったが、活き活きとしたやりとりがあり、まったく違和感を感じなかった。セリフとそれを繋ぐ部分に関しては、コンヴィチュニーを支える日本人演出家にもう一段の努力が必要だったのではないか。
この日ザミエルを演じたのは、大和悠河、女優で宝塚のトップスターであったとのこと。彼女がしゃべる場面は多くはない、しかし、そこでの言葉さばきはクリアで、役に合った威圧感をそなえたものであった。一気に舞台全体が、彼女の動きとセリフに凝縮されていく。
宝塚での長い時間をかけた育成と同じレベルをオペラ歌手に求めるのは酷だろう。だが、少しでもそれを目指してスタッフともども努力をしていただきたい。

音楽に戻ろう。
序曲、アレホ・ペレスの指揮のもと読売日本交響楽団は、厚みのある音で、勢いがある。ザルツブルク音楽祭で《ファウスト》を任された実力を感じた。オペラ全体を通し、オーケストラは安定し、迫力のある音楽を作り出した。
冒頭の農民の歌、第3幕の狩人の合唱などで、合唱もよく整った歌を聴かせた。
残念だったのは主役クラスの歌手のでき。この人ならとの期待がほとんどはずれた。ある音域で響きを失ったり、フレーズがつながらなかったりと、相当苦労していた。東京文化会館という大きなハコでセリフを言うといったことが、歌唱面に悪影響を及ぼしたことはなかったのか、今後のために検討していただきたい。

ふたたび、演出について。
第2幕、アガーテのアリアが終わると、客席の1列目に座っていた一人の観客が立ちあがり、「ブラーヴォ」とさけびながら花束を舞台に投げ入れる。コンヴィチュニー得意の仕込みで、これが隠者から与えられた白バラということになる。第3幕の最後の場面では隠者役として舞台に上がっていく。彼は現代風の紳士という服装で、オットカール等に名刺やお金(?)を渡し、マックスへの処分を取り消させてしまう。いまでもありそうな状況を皮肉たっぷりに提示する。ここでも、マックスの追放という段で完全に幕を降ろして、「終わり」を印象付けたあとに「どんでん返し」というお得意の手法。
悪魔ザミエルは多くの場面に登場する。あなたの何気ない日常の中にいるのだというメッセージか。いったい何回衣装を取り換えただろう、10種類以上はあったのではないか。さらにヴィオラ・ソロが頭に赤い耳をつけ、悪魔の分身として舞台に登場、エンヒェンの歌に付けて演奏する。最後の場面は隠者、ザミエルをまじえてシャンパン・パーティー。
細かいところまでよく考えられ、作り込まれた演出であるし、本人が日本バージョンとして手直しした部分もあるようで、完成度は高いものであった。ただ、彼の手法がいままでの作品で見てきたものと共通する部分が多く、ある種の既視感をおぼえた。これは受け手側の問題なのだろうか?

最後に字幕について。今回(おそらく初めて)日本語だけでなく英語の字幕も表示された。日本語を母国語としない人にとっては親切だし、それによって客層が増えるのであればよい試みだろう。セリフ部分は日本語ということで、英語字幕のみであった。

関連評:佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ 2018 『魔弾の射手』|小石かつら

(2018/8/15)