東京都交響楽団第858回定期演奏会Aシリーズ|齋藤俊夫

東京都交響楽団第858回定期演奏会Aシリーズ

2018年6月11日 東京文化会館大ホール
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Phots by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
指揮:オレグ・カエターニ
チェロ:宮田大(*)

<曲目>
シューベルト:交響曲第3番ニ長調
矢代秋雄:チェロ協奏曲(*)
(アンコール)滝廉太郎:『荒城の月』
ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調

 

シューベルトの『交響曲第3番』、ベートーヴェン的などっしりと構えた音楽にも、シューベルトのリート的な愛らしい音楽にもなりうる本作品、さて、今回オレグ・カエターニはどのように料理するのか、と耳を澄ませてみると・・・これは、いわゆるザッハリッヒな音楽解釈というものであろうか?
第1楽章冒頭のトゥッティからしばらく、ベートーヴェン的な重い楽想が続き、その後木管が主導するシューベルト的な軽やかな音楽に切り替わる。その後も、なるほど、楽譜通りである。しかし、指揮者が聴かせたいシューベルトとはどのようなものかがわからない。
第2楽章、軽やか、ではないし、均整を重視した古典主義的(例えばハイドンのような)な音楽でもない。第3楽章、ワルツで踊れていない。第4楽章のプレスト、オーケストラが一丸となって突進するのでも、皆で喜び歌うのでもない。
筆者にとっては「無い無い尽くし」の音楽に聴こえたのだが、これは恣意的な、あるいはロマン的な解釈をあえて排した演奏だったのだろうか?そういう音楽も「あり」なのかもしれないが、もっと喜びと感情に満ちた音楽を、という筆者の希望を正直に記したい。

気鋭のチェリスト、宮田大をソリストに迎えての矢代秋雄の『チェロ協奏曲』、先に感想を一言で表せば、「ブラボー!宮田大!」である。
冒頭から、宮田のチェロの「歌」に飲み込まれた。最弱音で始まり、そこから、グッとこちらに接近したり、また遠くへと退いたり、1フレーズ、さらには1音だけでも実に表現力、表出力に満ちている。ベートーヴェン交響曲第5番のあの4つの音のモチーフに似た、この作品の第3モチーフの強烈な響きに息を飲んだ。ロマン派的な苦悩、悲愴感、煩悶といった軟弱なものではなく、もっと力に満ちた情念、音楽でしか表現できない情念が歌い上げられる。
単一楽章を4つの部分に分けたその第3部では、文楽のようなチェロの特殊なピチカート(これは黛敏郎の独奏チェロ作品「BUNRAKU」でも用いられた技法である)が使われたこともあるが、矢代秋雄のチェロがこんなに民謡、長唄、あるいは、(最良の)演歌のような日本的歌心に満ちていたとは不覚にも筆者は気づいていなかった。
そして第4部のカデンツァの凄まじさよ!曲中の3つのモチーフを再構築し、さらに先述の文楽的ピチカートを叩きつけて、チェロ一本で轟々と会場に嵐を巻き起こす。なんというヴィルトゥオーソ!
アンコールの『荒城の月』で、また宮田のチェロの歌声に聴き入った。まこと、宮田は「日本の」チェリスト、それゆえに世界に通用するチェリスト、であろう。

プログラム最後のベートーヴェン『交響曲第5番』、今回の演奏解釈は先のシューベルトのような(おそらく)ザッハリッヒなものではなかったと言えよう。
第1楽章の4音のモチーフは、これだけでもこの作品は凄いな、と改めて思わせられる力強さ。ホルンが実によく響く。また、フォルテシモから、ふっと遠くへ行くようにディミヌエンドする所など、なるほど、指揮者の個性が感じられる。
第2楽章も中間部を相当に速いテンポで疾走させたり、クレシェンド→ディミヌエンド→クレシェンドと音量をゆらすなど、自由闊達に、ある種サービス精神に満ちた演奏を展開する。
第3楽章、ホルンの4音モチーフで音が割れたのは痛恨だが、この楽章も勢いに乗って突き進む。コントラバスが主導する箇所でのスピード感は、さすがと言うべきか。
第3楽章の勢いを殺さずに突入した第4楽章、フォルテシモとピアニシモの差を大きくとって盛大に勝利を寿ぐ。トロンボーンの大音量も堂に入っている。楽しい、そして歓喜に満ちたベートーヴェンであった。あるいは娯楽的過ぎる、この作品の偉大な構築性を無視している、との批判もありえるかもしれないが、楽しいベートーヴェンもまた良いではないか、と思えるに足る演奏であった。

 (2018/7/15)