五線紙のパンセ|島の記憶(1)|山本裕之
島の記憶(1)
text & photos by 山本裕之(Hiroyuki Yamamoto)
久しぶりに、自由に文章を書く機会をいただいた。せっかくなので私の作品について、それも世間はおろか現代音楽業界(というものがあるのか?)にもほとんど知られていないと思われる作品について書こうと思う。自分の作品リストにも載せていない〈遠い記憶・1963〉というタイトルの作品について。サウンド・パフォーマンスといえば良いのか、一般的なコンサートで演奏するような「曲」ではない。しかも上演されたのはただの1回。その後は再演されていないし今後もその予定はない。そもそもこの作品は将来にわたって再演が不可能なはずだ。
2013年5月1日、私は瀬戸内海に数ある島の一つ、香川県の豊島に来ていた。池袋がある区とは違って「テシマ」と読む。オリーブの生産で有名なのは隣の小豆島だけど、実は豊島の方が先に栽培をはじめたらしい。島内には小さいバスが走っているけど、本数が少ないからきちんと計画を立てて動かないと大変なことになる。幸いこの日は天気が良かったので、レンタルサイクルを使って島を周ることにした。かつて産廃問題で全国に名が知られたこの島は、いまでは瀬戸内の例のアート事業に組み込まれている。島が小さいからここにある常設の展示はおおむね自転車で観て周ることができる。特に2010年に作られた「豊島美術館」はそれ自体が「作品」で、入場料は高いけどせっかく豊島に来たら観ない手はない。この日、豊島では一日フルに使えた。自転車でゆっくり周りながらこの美術館はもちろんのこと、森の中や海岸などに設置されている様々な美術作品を鑑賞することができた。島の道はアップダウンが結構あるけど、はじめて体験した電動アシストつき自転車は坂道でも背中を押してくれる。すばらしい発明だと思った。雨が降らなくて時間に余裕があるのなら、この自転車で充分だ。
しかし私が島を訪れた目的は、美術巡りではない。上陸したのは島の北側にある家浦港。そこから南下してちょっとした山を越えると、島の南側の甲生地区というところに入る。そこにはかつてあった小学校の講堂として建てられて、その後地域の公民館として長年使われてきた建物がある。正確にはその公民館ももはや機能していなくて、「美術作品」となっていた。ベルリンを拠点に活動する塩田千春氏のインスタレーション作品『遠い記憶』。どのような作品かというと、長方形の公民館の正面に垂直に、長くて太い筒状のものが刺さっているイメージだ(野鳥の写真を撮っている人が持っているカメラの形を思い起こせばよい)。この「筒」は島の家々でかつて使われていたガラス戸等の建具を集めたもので作られている、と聞いている。筒は、その中を大 人でも普通に歩けるぐらいの太さだからまともに大きい。相当使い古された建具の意匠はもちろんどれも古くて、汚れてはいないけど古い民家の匂いが染みついたような(実際は特に匂うわけではないけど)強い生活感をいやがおうにも感じる。昭和を生きた人ならばおそらく誰でも思い起こすことかできる、自分の親や祖父母が住んでいた家でギシギシとガタガタと音を立てていたあの木枠と格子でできていた引き戸たちだ。この島に住んでいた人々が毎日目にして使っていた「記憶」が、薄暗い古びた建物とともにこの筒の中に定着しているように思えた。この扉を開け閉めしていた人はいまどうしているのだろう。島を出たのかな、もしかしたらもうこの世にいないのかな、などといろいろと想像してしまう。
私に与えられた課題は、「ここで何かやれ」だった。この年の夏に開催される「瀬戸内国際芸術祭」に関連するイベントだった。島に来る以前から自分なりにやってみたい大まかなことはなんとなく考えていたけど、それを具体化するにはやはり現物を見ないといけない。塩田千春氏の作品は、人間の生理に強くダイレクトに訴えてくるのが特徴だということは知っていたからなおさらだ。しかし私にとって、既にある美術作品に関わる作品を作ることははじめての体験だった。元の作品へのリスペクトは当然として(実際私は塩田氏の作品に対しては畏敬の念さえ抱いてしまうことがある)、その上で私になにができるのか。公民館と音楽のコンフリクトを誘発するのか、あるいは止揚を目指すのか。音を発する術を何も持っていない私に協力してくれるのは、大阪音楽大学のサクソフォーン専攻学生の皆さんと決まっていた。塩田千春作品にサクソフォーン、この組み合わせに私は具体的なイメージをなかなか持ち得なかった。
筒が突き抜けているとはいえ、旧公民館の内部には普通に立ち入ることができる。当然ながら木造で、昔の小学校の講堂らしく小さな壇上とその裏に続く小部屋、控え室などもある。ピアノはない。そしてけっこう薄暗い。しばらくこの建物の内部を見てまわるうちに、落成した当時の記録が板書きで掛かっているのをみつけた。この建物が完成したのは昭和三十八年というから1963年、ちょうど50年前だった。私が生まれる数年前なので直接的には知らない時代だけど、それがどういう時代だったのかとか、その頃日本の社会でどういうことが起こっていたのかといったことはネットである程度知ることができる。そんなことを考えていてふと閃いた。そうだ、50年前の人々が聴いていた昭和歌謡をここで演奏しよう。音楽によって「遠い記憶」を呼び覚ましてみよう。キッチュな発想ではあるけど、思いついたらもうそれしか考えられなかった。(続く)
(2018/6/15)
★公演情報
日時:7月6日(金)18:00 開演
会場:トーキョーコンサーツ・ラボ
「音楽による出会い・日本‐米国‐カナダ ミュージック・フロム・ジャパン音楽祭・東京2018年 MFJ委嘱作品集・東京 II」
山本裕之:〈紐育舞曲〉(2016/日本初演)
演奏:木ノ脇道元(ピッコロ)、鈴木生子(バスクラリネット)、佐藤秀徳(フリューゲルホルン)、甲斐史子(ヴァイオリン)、大須賀かおり(ピアノ)、佐藤紀雄(指揮)
★CD情報
ピアノのための《紐育舞曲への前奏曲》:「24 Preludes from Japan」(stradivarius/STR 37089)に収録(演奏:内本久美)
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山本裕之(Hiroyuki Yamamoto)
1967年生まれ、神奈川県出身。1992年東京芸術大学大学院作曲専攻修了。在学中、作曲を近藤讓、松下功の両氏に師事。現音作曲新人賞(1996)、武満徹作曲賞第1位(2002)、第13回芥川作曲賞(2003)などを受賞。またガウデアムス国際音楽間’94(オランダ/1994)、ISCM世界音楽の日々(ルクセンブルク/2000、横浜/2001)など、様々な音楽祭に入選している。作品はLe Nouvel Ensemble Moderne、 (モントリオール)、Nieuw Ensemble (アムステルダム) 、NZ Trio(オークランド)、バイエルン放送交響楽団(ミュンヘン)、ルクセンブルク管弦楽団、東京都交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、東京混声合唱団、ヴォクスマーナなど各地の演奏団体等により演奏されている。演奏家や演奏団体、放送局等からの委嘱を受けて作曲を行っている傍ら、1990年より作曲家集団《TEMPUS NOVUM》に参加、2002年よりピアニスト中村和枝氏とのユニット活動《claviarea》を行うなど、コンサートの企画なども含む様々な活動を展開している。NPO Glovill理事、音楽クラコ座(名古屋)メンバー。現在、愛知県立芸術大学教授。作品はM.A.P. Editions(ミラノ)、Babelscores(パリ)等から出版されている。
公式サイト:http://yamamoto.japanesecomposers.info/