特別寄稿|シンガポールを訪ねて|平岡拓也
シンガポールを訪ねて
text by 平岡 拓也(Takuya Hiraoka)
photos by シンガポール交響楽団、平岡 拓也(Takuya Hiraoka)
シンガポールはかねてから訪れてみたい国の一つだった。今回の旅行の最大の目的はシンガポール交響楽団の演奏会だったが、他にも多くの点で興味を持っていた。第一に多民族国家であるということ。民族・宗教・言語はじめ様々な価値観がひしめきあっている。第二に、経済・文化ともに強いスピード感が感じられる点だ。政策の影響もすぐに出るのだという。経済力で言えば、昨年の一人当たりの名目GDPはアジア第1位の世界第9位。また文化面では、世界屈指のグローバル都市として若く優秀な人材が海外から集まっている。シンガポール国立大学はアジアの大学ランキングでここ数年常にトップだ。この国のオーケストラが、果たしてどのような音楽を奏でるのか。それを確かめに向かった。
滞在は4日間。演奏会は4月6日だけだったので、他の日はほとんど音楽以外のことをしていた。マリーナ・エリアにある巨大な植物園や、まず観光客は行けないような「濃い」飲食店に地元の知人の案内で行った。ユニヴァーサルな視点で作られた未来的な観光スポットが圧倒する一方、中華系・マレー系・インド系と様々な民族色が合わさった結果「シンガポール色」になった街並みが現れたりと、なかなか面白いのだ。先述した知人とは今回初めて会ったのだが、シンガポールの宗教や政治、歴史について忌憚なく話してくれた。彼のオープンさもこの国らしいようにすら思えた。
演奏会について記す前に、シンガポール交響楽団の紹介を簡単にしておきたい。1979年に創立されたシンガポール交響楽団(本拠地:ヴィクトリア・コンサートホール)は同国を代表するオーケストラであり、創立から1996年までは音楽監督チョー・ヘイ(現名誉指揮者)に率いられた。1997年からはラン・シュイが率い、首席客演指揮者にアンドリュー・リットン、副指揮者にジョシュア・タンとジェイソン・ライが名を連ねる。客演指揮者にも欧米の一流クラスがずらりと揃っている。今回の日程中、本拠地のヴィクトリア・コンサートホールと公演会場のエスプラネード・コンサートホールも事前に訪れた。ヴィクトリア・コンサートホールは1862年に設立され、その名はイギリスのヴィクトリア女王に由来している。白と灰を基調にした落ち着いた建物だ。一方のエスプラネード・コンサートホールは一度見たら鮮烈に記憶に残るデザインだ。半楕円の巨大な建物はシンガポールの有名なフルーツであるドリアンに酷似しており、SNSでは劇場自ら“My durian”というハッシュタグによる投稿を促していた。コンサートホールの他に多数の商業施設や劇場を有した建造物であり、カフェや飲食店など公演前後にも困らない点は助かった。また、コンサートホールの上にはライブラリが併設されており、広々とした空間で音楽や美術に関する資料が閲覧可能となっていた。プレ・コンサートトークもここで行われる。2つのホール(距離的には近い)は対照的だが、いずれも独特の様式美を感じた。
さて、演奏会当日である。前述したライブラリでのプレ・コンサートトークにまずは参加した。日本でも「プレトーク」という企画はしばしば見られるが、舞台に音楽学者や評論家が上がって開演30分前から15分程度、というものが多いように思える。いつも「あと10分、15分長ければ」と思うのだが、シンガポール響では開演1時間前から30分間行われる(言語は英語)。先述したライブラリでの講演会のような形で、映像やスライドを用いつつ、初めて楽曲を聴く人が最低限のポイントを押さえられるように構成されていた。開演が日本に比べて30分遅いからこそなせる技なのかもしれないが、トーク聴講後も時間的余裕をもって演奏会場へ向かうことができるのは個人的に嬉しい。
会場入り口でのセキュリティ・チェックに驚きつつコンサートホールへ入る。バーや楽団の物販コーナーは日本同様だが、マリーナ地域の夜景を背にした眺望は相当に美しい。客席は4階層の馬蹄形をとっている。客席の緑と、壁やステージの木の色合いの調和が印象的だ。パイプオルガンの下にも席はあるのだが、何故か開放されていなかった。開演間際ともなるとオーケストラのメンバーはほとんど揃っており、各々が練習している。そしてそのまま開演となるのは北米オケと同じ形だ。開演前の諸注意のアナウンスも日本と同様に行われるのだが、その声を楽員が担当しているのには驚いた。その楽員への拍手が起きるのも温かい雰囲気だ。
今回はマーラー『交響曲第6番』一本勝負。指揮はエリアフ・インバルで、3月の都響客演を終えてその足でシンガポールへ向かったようだ。筆者は昨年7月にインバル×大阪フィルという組み合わせでも『第6番』を2日間聴き、大変好印象だった。全く個性の異なるシンガポール響との共演はいかに。ちなみにマエストロとこの楽団の共演は3回目で、いずれもマーラーを取り上げている。1回目は北京音楽祭への客演で『巨人』(2011年)。2回目が『第9番』(2015年)で、これはシンガポール建国の父リー・クワンユーの訃報の直後で、開演前に黙祷が捧げられたという。
冒頭の低弦から、シンガポール響は逞しく響く。すぐに立ち現われるトゥッティのサウンドは、都響や大阪フィルとの録音・実演で聴かれたような内なる凝縮というよりは、豪放磊落な性格を有している。また同時に、第1楽章第2主題のたっぷりとした歌い込み、第3楽章中間部の没入など、随所に近年のインバルらしい表現も刻印される。この入り組んだ大曲を些かも弛緩させず、かつ強烈なエネルギーをホール中に充満させてゆくのは、やはり熟達のマーラー指揮者の技であろう。そして彼の熾烈な指揮にシンガポール響も熱っぽく追従する。セクション内外でのテンポ感の齟齬があった箇所こそあれ(大編成ゆえやむを得ない面もあろう)、これだけの演奏はなかなか聴けるものではない。両端楽章では特にインバルの方から煽りを仕掛ける場面も多く、それに即座に反応する奏者、そうでない奏者のグラデーションを成していた。多国籍ゆえに様々な反応の形があるのだろう。そして、彼らの総力が一点に集まる瞬間は、物凄いサウンドが生まれる。特にホルン群はソロもトゥッティも強烈な存在感を発揮し、トロンボーンやテューバも緊密なアンサンブルで和音を形作る。よって響きの輪郭は明瞭だ。良い意味で自由度が高く、肉厚な音色で弦と金管に呼応する木管も見事だ。インバルもかなり任せて振っていたが、そこから立ち現われる音楽の滋味深いこと。これだけで聴きに来た甲斐があったというものだ。弦楽器のマスの一体感という点ではやや物足りないが、烈しい展開の中でふっと冷静さを取り戻す箇所や最弱音の美しさなど、「聴き合う」アンサンブルの妙に唸らされた。2度のハンマー(木質で鈍く、そして凄まじい音量!)をはじめ打楽器群も安定している。それにしても第4楽章の速いこと。決して弾き飛ばしているわけではなく、起伏もあるのだが——齢82のインバルは以前にも増して表現を厳しく切り詰めて指揮しているようだ。
一曲入魂の演奏に、聴衆は暫しの沈黙を保った後万来の喝采で応えた。指笛や歓声も鳴る熱狂ぶりだ。インバルの練習は(今回も)相当厳しかったと聴くが、どこの楽団でも同じことをしているわけではなく、楽団の個性を尊重して活かした上で自らの音楽の理想へと近づいていこうという姿勢が感じられた。それに応えたシンガポール響も実に見事だ。今シーズンの他公演をざっと見ると、プッチーニ『ボエーム』、バーンスタイン『ミサ曲』など魅力的なラインナップだ。可能であればすべて聴きたいくらいなのだが。
これまで筆者は韓国・ソウルの3オケ(ソウル・フィル、KBS響、韓国響)、香港フィルなどを現地で聴いてきたが、今回のシンガポール響も含めてどこの団体も個性豊かな音楽を奏でている。日本でも「アジア オーケストラ ウィーク」で汎アジア地域の団体を定期的に聴くことができるが、当地の人々と触れ合い、その空気を含めて体感するのは格別の体験である。アジアのオーケストラを訪ねる旅は今後も継続したいし、強くお薦めしたい。
追記:
本文中でも言及した東京都交響楽団が、シンガポール交響楽団との楽員国際交流事業を行う(2018年5月、9月)。2009年の都響シンガポール公演を契機に開始したもので、今回で7回目となる。都響のみならず、日本各地のオーケストラとアジア各地の楽団の間で豊かな交流が生まれることを願いたい。
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平岡 拓也(Takuya Hiraoka)
慶應義塾大学文学部独文学専攻在学中。「フェスタ サマーミューザKAWASAKI」の関連紙「ほぼ日刊サマーミューザ」でコラムを担当、現在はオペラ・エクスプレス他ウェブメディアでコンサートやオペラのレポートを定期的に執筆。
(2018/5/15)