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五線紙のパンセ|消えゆく「輪郭線」(3)|金子仁美

消えゆく「輪郭線」(3) 

text by 金子仁美(Hitomi Kaneko)

前回、絵画から音楽へと話題を移し、カデンツに目を向けた。今回は、その「カデンツ」をキーワードに、印象主義の画家たちの活動に触れながら青年時代を送ったクロード・ドビュッシー(Claude Debussy, 1862年 – 1918年)とモーリス・ラヴェル(Maurice Ravel, 1875年 – 1937年)の手法の一部を、 フレーズのあり方やカデンツの出現ということを意識しながら見てみよう。

 

VI. ドビュッシーの「輪郭」

ドビュッシーは、作曲するにあたり、さまざまな新しい音の扱いをした作曲家の 一人である。そのうち、本エッセイに関係する、とても分りやすい例2点を見直したい。

・全音音階

調性音楽とは、長音階と短音階という半音と全音の組み合わせにより構成された音組織だが、ドビュッシーは、ピアノのための前奏曲など多くの作品で、全音音階を用いた。

以下の前奏曲集第一集第2曲の『帆』(例2)でも、冒頭4小節間には、7つの音で 構成される音組織(調性の音階)と違う音の並びが見られる。冒頭からの旋律は、すべて長二度の動き、長3和音の音程を保った全音音階である。並行移動の2声それぞれの音の動きをそれぞ れ見てみると、2声の動きは異なる関係を長3度に保ちながら動く並行和音であることから、明瞭なカデンツが認められない。

【例1】ドビュッシー 前奏曲第一集『帆』(Debussy Preludes pour piano 1er Livre, Durand&Cie, 1910)

・五度の並行移動と和音構成音

旋律を彩り、輪郭をはっきりさせる役割としては、音楽の三大要素の一つとされる和音(ハーモニー)があるが、ドビュッシーは17世紀から使われてきた和音を変革し、多用した。その変化について、順序立てて簡単に解説する。

例2は、17世紀より長らく使用されていた典型的なフレーズを縁取るパターンであり、フレーズを形取る節目でこのパターンが出現することで、聴衆は作品の「輪郭」 を聴き取り、音楽を理解する。

【例2】 伝統的なカデンツ

例3は、例2を基本としつつ、ここから中央の音(第3音)を抜き取ったもので、ドビュッシ ーはこの2音の重なり(5度堆積)を多用した。とりわけ、フレーズの節目で主音を導く導音が欠如していることによって「輪郭」がぼかされる。しかし、低音の動きは伝統的な形と同じであり、とりわけ属音→主音という調性音楽のカデンツ(輪郭)において最重要な音の移行が保持されているため、聴衆は「輪郭」を多少ぼんやりとではあれ聴き取り、理解する。

【例3】和音の中央の音(第3音)が抜ける→カデンツ(輪郭)が少しぼかされる

例4は、例3の音の重なりを保ちつつ、伝統的な音の流れを断ち切ったもので、あたかも階段を昇るように(または降りるように)並行移動する動きである。ドビュッシーが好んで使用したのもこの形であり、フレーズの節目を持たないこの斬新な音の連なりに、伝統的な輪郭は見当たらない。

【例4】音の並行移動→カデンツ機能が失われる

例5には、2つの解釈が出来る。1つは、例2の中央の音が上方(2度上)に変位したという解釈、もう1つは、例4の並行移動の上声に下部装飾音が付加されたという解釈である。調性音楽のもっともポピュラーな和音と同じく、3つの音で出来る和音(三和音)であるが、その構成音が異なることで、調性音楽の和音度から距離を取ろうとする例といえる。さらに、例2、3のような低音進行ではなく、並行移動していることによって、例4と同様に伝統的なカデンツの様相、つまり輪郭はもはや存在しない。

【例5】新たな構成音による和音

例6は、ドビュッシーの映像第二集より『そして月は廃寺に落ちる』の冒頭であり、 実際の作品で全音音階と例5の手法が見事に融合された形で描かれている様子が 見られる。

【例6】 Debussy Images 2e Série pour piano seul, Durand S.A.(Copyright by Durand&Fils), 1908冒頭は、例5と同じ和音による。いわゆる「輪郭」が見えない冒頭だが、例6の2段目最後の低音による小さなパッ セージに注目しよう。とりとめの無いパッセージを支えるかのように、伝統的要素である属音と主音の低音進行が現れる。 聴き手はこのパッセージにより、ホ短調を感じ取ることが出来る。音楽の輪郭をおぼろげながらも察知し、しばし安堵することだろう。

過去の多くの作曲家たちが形作ったカデンツの要素を削ぎ落とし、その出現を減らすことで、曲の輪郭は薄れて捉えにくくなった。

 

VII. ラヴェルの「輪郭」

『水の戯れ』はラヴェルの作品群の中では現代的な作品で、「輪郭」の役割をなすカデンツの原型があまり登場しない。また、調性音楽を支える機能和声の典型といえる3〜4音の堆積による和音(主和音などの三和音、属七やII度七などの四和音)上に、更に音を積み上げる和音を取り入れることで、新鮮で豊かな響きを獲得している。たとえば、例7の冒頭は、ホ長調の主和音(I度, e-gis-h)だが、第七音(dis)が付加されたI度七の和音になっている。主音のeと第7音のdisがぶつかりながら曲は開始されるが、そのぶつかりは、流れるパッセージによってあっという間に和音の中に溶け込んでゆく。また、旋法にも目を向けなければならない。旋法の使用により和声の機能が薄れ、カデンツでありながら終止感がゆるいという輪郭の曖昧さ、あるいは輪郭の淡い縁取りを実現させている。

これらの手法は、当時のさまざまな作曲家が使用しているもので、ハーモニーの使用法が時代の流れとともに多様化したとも言える。ラヴェルはパリ国立高等音楽院在籍中の1901年、26歳の時に作曲したこの『水の戯れ』の発表により、自分が最初の印象派の作曲を発表した作曲家であると自負したそうだ(ラヴェ ルとドビュッシーの発言からは、生々しい人間の葛藤や嫉妬などが見て取れる)。

【例7】

さて、若き頃に新しい和声感の作品を発表したラヴェルではあるが、彼の生涯に渡る作品カタログに目を通すと、『ピアノのためのソナチネ』(1905)や『高貴で感傷的なワルツ』(1911)、『クープランの墓』(1914-1917)のように、カデンツが明確に描かれている作品が多数あり、ラヴェルにとって「輪郭」が作曲の上で重要な役割を担っていたと考えられる。

そして、ふと印象派の画家ドガを思い出す。古典的なスケッチを重んじ、パステル画の新しい絵画法を取り入れながら輪郭を描くドガの取り組み取みと、古典的なカデンツを重んじ、旋法やXI, XIII度などの堆積和音やそれらの変化音を取り入れながら輪郭を描くラヴェルの取り組みには、共通する精神とそこから生まれる技術が流れているのではないか、と仮定するに至った。

 

VIII. 絵画、音楽両分野における「輪郭」

このように、「輪郭」がぼかされたり滲まされたりした印象派画家の表現法は、当時の評論家を驚かせ、戸惑わせることになった。しかし、彼らの表現には主題があり、 その主題は見る者が把握できる形で残されているという点から、彼らは確固たる線では無いにせよ、何らかの形で表現対象が把握できるような「輪郭」を意識し、表現したのだと考えられる。これは音楽についても同様であることが、 今回の「輪郭」をキーワードにした再考によって、ある程度明らかになったように思う。

また、彼らの試みたことは、20世紀の新しい表現を導く重要な役割を担ったと も考えられる。たとえば、絵画では、セザンヌの静物画がキュビズムに大きな影響 を与えたと言われている。音楽では、ドビュッシーの新しいシステムが、 オーストリアで考察された新しい技法への試みと融合されながら、20世紀半ば以降の作曲家にも大きな影響を与えた。

「輪郭」の描き方に変革をもたらした19世紀後半フランスの画家、作曲家たちの表現は、19世紀前半と20世紀を繋ぐ重要な橋渡しとなった。

 

IX. おわりに

19世紀後半のフランスを舞台に、「輪郭」をテーマに、美術と音楽を俯瞰した。一方で、輪郭線を描く伝統的手法が、印象派の画家たちのチャレンジによって筆触による輪郭表現(あるいは輪郭の消滅)へと移り変わったことと、他方で、機能和声によりカデンツを描く伝統的手法が、19世紀末の作曲家たちのチャレンジによって旋法や新しい構成による和音を用いた終止感の弱いカデンツ(あるいはカデンツの消滅)へと移り変わったこととの間に対応関係を見て取ることが、具体的な創作技法を見ることを通して、ある程度明らかになったと考える。

 (2018/5/15)

★CD情報
《中世から》ピアノのための:「飯野明日香〜Japan Now〜」に収録
https://www.askaiino.com/discography/
《歯車》チェンバロのための:「ローラン・テシュネ〜チェンバロ+パーカッションIII」に収録
ローラン・テシュネ〜チェンバロ+パーカッションIII

★講演情報
キリスト教文化研究所 オムニバス講座 「紐帯としての芸術――共に生きることの可能性」
2018年05月18日(金) 15:10 聖心女子大学
講師:金子仁美
http://www.second-academy.com/lecture/SHK10039.html

芸術系大学 女性教育・研究者シンポジウム
「女性のアーティスト・研究者はどのようにキャリアを築いていけばよいのか?」
日時 5月26日(土)15:00-17:30 (14:30開場)
会場 東京藝術大学 上野校地 美術学部中央棟1F 第1講義室
(東京都台東区上野公園12-8)
入場無料・申込不要
http://diversity.geidai.ac.jp/2018/04/sympo2018/

★公演情報
作曲家の個展 II
金子仁美&斉木由美
日時 2018年11月30日(金)
会場 サントリーホール大ホール
指揮:沼尻竜典
東京都交響楽団
https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/schedule/detail/20181130_M_3.html

第22回四人組とその仲間たち
2018年12月14日(金) 19:00 東京文化会館 小ホール
金子仁美:新作(2018) 全音楽譜出版社委嘱

「會田瑞樹ヴィブラフォンソロリサイタル2018」
2018年12月25日 杉並公会堂小ホール
金子仁美:新作〜ヴィブラフォン独奏のための(2018) 會田瑞樹委嘱

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金子仁美(Hitomi Kaneko)
東京生まれ。桐朋学園大学研究科在籍中にフランス政府給費留学生としてパリ国立高等音楽院作曲科に留学。三善晃、ジェラール・グリゼイの各氏に師事。日仏現代作曲コンク-ル第1位、日本音楽コンクール作曲部門(管弦楽)第1位、E.ナカミチ賞、第9回村松賞など受賞。IRCAM(フランス国立音楽音響研究所)、NHK電子音楽スタジオ等で作品制作。2011-12年、文化庁芸術家在外研修員、パリ第4大学(パリ・ソルボンヌ)招聘研究員として渡仏。主要作品は全音楽譜出版社より出版、CDは、作品集「スペクトラル・マターズ」(Fontec)の他、「21世紀へのメッセージvol.3」(Polydor)などに収録されている。桐朋学園大学教授、日本現代音楽協会理事。