青山実験工房第1回公演 expt. C サティ∞能|能登原由美

青山実験工房第1回公演 expt. C サティ∞能

2018年4月22日 銕仙会能楽研修所
Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<曲目・出演>
作曲:エリック・サティ
「最後から2番目の思想」
  ピアノ+朗読:高橋アキ
「グノシエンヌ第1番〜第3番」
  ピアノ+舞:高橋アキ+清水寛二
「エンパイア劇場のプリマドンナ」
  ピアノ+歌:高橋アキ+大槻孝志(T)
「ジュ・トゥ・ヴ」
  ピアノ+歌:高橋アキ+ドルニオク綾乃(S)
「3つのジムノペディ」
  ピアノ+舞踏:高橋アキ+武内靖彦

〜〜休憩〜〜

音楽喜劇《メデゥーサの罠》能舞台版
 作・作曲:エリック・サティ(訳:秋山邦晴)
 演出:清水寛二、川口智子
 美術:森純平、藤田龍平、エリース・ブロードウェイ
 被り物:角田美和
 出演:清水寛二(メデューズ男爵)
    武内靖彦(猿ヨナス)
    大槻孝志(アストルフォ/娘の婚約者)
    滝本直子(ポリカルプ/召使い)
    ドルニオク綾乃(フリゼット/娘)
 ピアノ演奏:高橋アキ

 

なるほど。確かにこれは「∞能=夢幻能」かもしれない。セリフや衣装、仕草、あらゆるものがナンセンスで不可解。どこかズレている。まるで異次元の空間にいるようだ。そのズレたピントが最後まで合わされることなく、気づけば終演。今見たものは、一体何だったのだろう…。

サティが書いた戯曲《メデゥーサの罠》。秋山邦晴が訳していたが、その生前には上演に至らず、サティ生誕150年、かつ秋山の没後20年となる2016年にようやく実現したという。秋山夫人でピアニストの高橋アキが、能役者の清水寛二に依頼したのが今公演に至るそもそもの始まりだったようだ。まずは朗読劇を皮切りに、室内楽版、ピアノ版での上演となるが、今回も主役と演出を清水が務める(今回の演出については川口智子との共同)。

筋そのものは、異次元の空間を生み出すための、仮置きの台なのだろう。一言で言えば、娘(ドルニオク綾乃)を溺愛するあまり、メデューズ男爵(清水)が娘の婚約者(大槻孝志)に罠を仕掛けるという話である。だが、セリフはいずれも意味をなさない。ただ一人まともに見えた男爵の召使い(滝本直子)でさえ、主従の関係がまるで逆転したかのような横暴な振る舞いで、ズレを一層強調する。筋とは一見無縁に見える猿ヨナス(武内靖彦)の「7つの踊り」が音楽とともに挿入されるが、唯一の音楽部分となるそれらは合わせても3〜4分にしかならない。確か、「音楽喜劇」のはずなのだけれど。

能舞台で行われた今回の公演では、能をイメージさせる所作のほか、清水自身は謡を模したような語り口も取り入れていた。もちろん、ここではあらゆるもの同様に、それらは意味をなす一歩手前で壊されていくのだが。

思わず、昨秋見たハイナー・ゲッベルスの《Black on White》を思い出した(筆者自身も本誌においてレヴューしている ハイナー・ゲッベルス×アンサンブル・モデルン 『Black on White』 |能登原由美)。そこでは、意味は構築されると同時に破壊され、私に解釈すること、言葉で表すことを即座に拒絶した。この《メデゥーサの罠》も、まるで意味を探すことをあざ笑うかのように私の体の横をつねにすり抜けていく。

ただし…。何か物足りない…。

率直に言えば、何よりも楽しめなかった。何よりも、舞台上で行われていることがこちらに響いてこないのだ。頭に突きつけてくるもの、体に突きつけてくるもの、それらのいずれもが、あと一歩のところで刺さってこないのだ。いやもしかすると、音楽がほとんどなく、楽しくもない「音楽喜劇」というアイロニーがサティの狙いだったのかもしれない。とはいえ、やはり物足りなさがあとに残った。

それとは対照的に楽しめたのが、前半のプログラム。高橋の弾くサティの音楽に、朗読、舞、歌曲(ソプラノとテナー)、舞踏が乗せられる。5つの異なる舞台といえばそうだが、その全体の構成が見事だった。とりわけ清水の舞と武内の舞踏のコントラスト。面こそつけないが、顔から一切の表情を消し去った清水の舞。同様に、武内も深くかぶった帽子の奥にある表情をうかがうことはできない。ただし、個を完全に捨て無へと帰してしまったかのような清水の舞に対し、武内の個は、有と無の狭間で息も絶え絶えにもがき続けている。 両者の世界は現代の異なる闇を象徴しているのではないかと思えた。

一方、舞の後の歌曲が無の世界から一転して世界に色と形を与えるが、それも舞踏によって儚い幻へと転化されてしまう。あるいは舞や舞踏がもたらす圧縮された時空間に、朗読や歌曲が作り出す軽やかな空気の流れが対置されていたとも言えるかもしれない。いやそもそも、それぞれの時間と空間をさりげなく演出させていった高橋=サティの音楽の、なんと絶妙なことか。

最後に、この公演を含めた企画全体のことを補足しておこう。

「青山実験工房」は、詩人の瀧口修造のもと、武満徹ら若い芸術家が参集して結成された「実験工房」の活動を念頭に、清水の呼びかけで新たに始まった試みだ。今回はその第1回公演となる。「実験experiment」と称する演目を計3つ、2日間にかけて能舞台で行った。初日には、元祖「実験工房」に参加していた武満や湯浅譲二の作品に加え、委嘱新作の世界初演も行われた。また、清水の本領発揮となる能の「隅田川」も上演されている。私は3つ目の「実験」しか見ていないのでそれ以上のことは言えないが、この一連の「実験」の意義には大いに賛同する。少なくとも、ここから何かを生み出したいという欲求が何よりも頼もしかった。この手の取り組みはなかなか続かないものだが、成功も失敗も含め、こうした実験にあと数回は立ち会いたいものだ。

 (2018/5/15)