五線紙のパンセ|消えゆく「輪郭線」(2)|金子仁美
消えゆく「輪郭線」(2)
text by 金子仁美(Hitomi Kaneko)
輪郭線の無い表現、絵画の続きをあと少し。ドガ(Edgar Degas,1834-1917)の代表作を見る。そして、話題を音楽に移そう。
IV.ドガの「輪郭」
ドガの『エトワール』を例にする。ドガは戸外での制作を好まず、アトリエでの制作を中心に行った画家で、取り上げる主題も人物が多かったとされる。1876年に制作し、1877年の「第三回印象派展」に出品されたこの作品には、室内の人物画でありながら、戸外とは異なる照明による光を浴びる踊り子の華やかな舞台の様子が描かれている。印象派の画家のアプローチで忘れてはならないのが、瞬間を切り取るように捉える手法であるが、ドガの絵画にも、踊り子の踊る動き、体のしなり、表情の生き生きとした瞬間が描き出されている。輪郭線で縁取る伝統的手法を用いず、絵の具を混ぜることなく視覚混合という光学現象を利用して、タッチにより動きや質感を作る筆触分割によって対象を描くことで、「輪郭線」は消えていった。
この作品は、高い位置にある光(照明)を受けて、顔から上半身にかけて飾られた花の浮き出るようなはっきりした「輪郭」と、下半身に向けての滲んだ輪郭という、一人の人物を異なる「輪郭」の描き方で表現している。光を浴びた床も、踊り子のオーラを映し出しているかのように白い衣装を滲ませ広げさせている。光、踊り子の輝き、衣装の白が一筋の流れをもって、作品手前部分を構成していると言えるだろう。作品奥の舞台袖と中央の主題との対比も見事で、ある種、グロテスクな印象すら与える。このグロテスクさは、色彩と筆触の使い分けによるだけでなく、キャンバスを斜めに区切って同じ空間の二つの違う境遇、場を描き出している独特な構図にも関係しているように見える。アカデミックな教育を受け、高い技術を習得したドガならではの大胆さだ、と思う。彼の他の作品 «Dans un café, dit aussi L’absinthe» や音楽家をテーマにした作品などでは輪郭線によらない「輪郭」がより一層はっきりと描かれており、これは後述する作曲家ラヴェルの手法と類似していると推測するのだが、どうだろうか。
V.19世紀末フランスにおける音楽の「輪郭」〜その定義と概要
印象派の画家たちで取り上げた「消えゆく輪郭線」に類似した現象は、たとえば1862年生まれのドビュッシーが1899年に作曲した『夜想曲』や、1875年生まれのラヴェルが1901年に作曲した『水の戯れ』などに見られる。1840年生まれのモネが1873年に《印象・日の出》を、1841年生まれのルノワールが1876年に《陽光の中の裸婦》を、1834年生まれのドガが1878年に《エトワール》を発表した時代とは、生年、制作年ともに10年以上の隔たりがあることに気づく。1872年に10歳、1889年に14歳でそれぞれパリ国立高等音楽院に入学し、その後もパリを拠点に活動したドビュッシーとラヴェルが、1876年にパリで起きた絵画界のスキャンダルを知らなかったはずは無く、絵画における「消えゆく輪郭線」とそれに変わる筆触による光の表現に触れ、音楽における新しい表現を模索したことは間違いないだろう。
ここまで、ドビュッシーとラヴェルについて「印象派」という言葉を敢えて使わなかったことにお気づきだろうか。とりわけドビュッシーについては、本人が印象派という括りを好まなかったことや、実際、若かりし頃にマラルメ主催の「火曜会」に出入りし、象徴派詩人の影響を受け、歌曲だけでなく器楽曲も作曲したことから、印象派と形容するには、いささか慎重にならざるを得ないからだ。とはいえ、上述のように、モネをはじめとする印象派の画家の光を表現する新しい技法は、ドビュッシーの作曲技法に少なからず影響を与えたと言えるだろう。
さて、タイトルにもある「輪郭」という言葉は、実は音楽用語としては存在せず、音楽における輪郭をどう捉えるかには議論が必要である。しかし、形式、各セクションの区切り、曲の展開など構造について、旋律構造、和音の進行、あるいはリズムパターンなど、音楽作品のさまざまな要素は、「輪郭」の役割も果たしている。そのうち、真っ先に思い浮かぶ音楽の「輪郭」は、作品構造だろう。しかし作品構造は、どちらかというと絵画でいう構図に重なるのではないだろうか。また、その変化は19世紀後半のフランスに限らず、時代の流れとともにさまざまに変容している。そこで、印象派の絵画の「消えゆく輪郭」に重ねる形で音楽を考えてみると、似た現象が調性音楽のカデンツ(終止形)で起きていることが見えてくる。
まず、カデンツの定義を整理しよう。カデンツとは「音楽の流れの中で、多かれ少なかれ終結的な句読点の性格をもたらす和音連結のことである*注1」が、「音楽の流れ」とはより分析的に言えば、楽句=フレーズ(phrase)のことであり、もともとは「文」「文章」という一般的な意味を表す。最も強い終止感を持つV-Iのカデンツは、15世紀を通して「音楽が旋律的知覚(la perception mélodique)から、和声的知覚(la perception harmonique)*注1」へと移行する過程で生まれ、さまざまな終止感を持つカデンツが生み出された。
[*注1pp216-217, Larousse de la musique,1982]
このように、カデンツはフレーズの句読点として、音楽の(とりわけ調性音楽の)「輪郭線」を形作る役割を果たした。これにより、転調を多く含む19世紀ロマン派の音楽であっても、調性を認識することが出来たのである。しかし、19世紀末のフランス作曲界も、僅かずつ慎重な足取りながらも、いよいよ輪郭線が消えゆく道を辿り始めたのだ。(hk)
(2018/4/15)
★CD情報
《中世から》ピアノのための:「飯野明日香〜Japan Now〜」に収録
https://www.askaiino.com/discography/
《歯車》チェンバロのための:「ローラン・テシュネ〜チェンバロ+パーカッションIII」に収録
ローラン・テシュネ〜チェンバロ+パーカッションIII
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金子仁美(Hitomi Kaneko)
東京生まれ。桐朋学園大学研究科在籍中にフランス政府給費留学生としてパリ国立高等音楽院作曲科に留学。三善晃、ジェラール・グリゼイの各氏に師事。日仏現代作曲コンク-ル第1位、日本音楽コンクール作曲部門(管弦楽)第1位、E.ナカミチ賞、第9回村松賞など受賞。IRCAM(フランス国立音楽音響研究所)、NHK電子音楽スタジオ等で作品制作。2011-12年、文化庁芸術家在外研修員、パリ第4大学(パリ・ソルボンヌ)招聘研究員として渡仏。主要作品は全音楽譜出版社より出版、CDは、作品集「スペクトラル・マターズ」(Fontec)の他、「21世紀へのメッセージvol.3」(Polydor)などに収録されている。桐朋学園大学教授、日本現代音楽協会理事。