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大阪フィルハーモニー交響楽団 第516回定期演奏会|能登原由美

大阪フィルハーモニー交響楽団 第516回定期演奏会

2018年3月9日 フェスティバルホール
Reviewd by 能登原由美(Yumi Notohara)
Photos by 飯島隆/写真提供:(社)大阪フィルハーモニー協会

〈演奏〉
指揮|井上道義
ピアノ|アレクサンデル・ガジェヴ
合唱|大阪フィルハーモニー合唱団
管弦楽|大阪フィルハーモニー交響楽団

〈曲目〉
バーバー|ピアノ協奏曲 作品38
 (アンコール|ラフマニノフ エチュード「音の絵」Op. 39-5)
ショスタコーヴィチ:交響曲第2番ロ長調作品14「十月革命に捧げる」
ショスタコーヴィチ:交響曲第3番変ホ長調作品20「メーデー」

 

この珍しいプログラム、井上道義が得意のショスタコーヴィチを大フィルとともに取り上げた約一年前の公演がことさら話題となっただけに、関係者や音楽ファンの間では関心を集めたものとなった。つまり、第505回定期演奏会(2017年2月17、18日)で行ったショスタコーヴィチの交響曲第11、12番といういずれも革命を題材にした2つの大作の上演である。当時、日本オーケストラ連盟の招きで来日していた欧米の音楽評論家一行もこの公演を聞いていたのだが、彼らは全国5つのオーケストラの定期公演を回ったあとに行われたシンポジウムでこの公演を一際高く評価した。筆者自身、公演にもシンポジウムにも参加したが、その評価の内容は大いに納得のいくものであった。その後もいくつかの賞を受賞するなど、とりわけ関西の音楽関係者の間で評判となった公演である。革命へと突き進む人々の爆発的なエネルギーを怒涛の音楽へと結晶させた驚異的な演奏は、近年の演奏の中でも異彩を放つものであった。

その公演に呼応するかのようなプログラムが本公演である。交響曲第2、3番と、やはり革命を主題とする2つの交響曲を並べたものだ。この2作は作曲家がまだ20代前半のもので、若さゆえか、様々なスタイルや技巧に手が伸び構成感には今ひとつ欠ける。またいずれも革命、あるいはレーニンを讃えるプロパガンダ的なテクストを持つ合唱部分が挿入されるためか、あまり演奏される機会はない。同様にプロパガンダ的な内容を持つとはいえ、50代に入り精神面でも創作面でも円熟味を増した11、12番とは対照的と言えるのである。こうした取り合わせを1年越しで並べてくるだけでも心憎いが、とりわけ前年の演奏の余韻が強く残っているだけに、この若き日の2作は単なる珍しさだけではなく作曲家の創作活動の推移をも含めて興味深く聞くことができた。主題の上でも音楽スタイルの上でも、古い秩序を廃し新しい時代を築こうとする若者のがむしゃらさが前面に出た演奏で、作曲家の変革への欲求の根はすでにここにあったのかと気づかせるものであった。

ショスタコーヴィチの交響曲とともに演奏されたのは、バーバーの《ピアノ協奏曲 作品38》。激しい和音の連打や急速なパッセージに満たされた第1、第3楽章など、ピアノは鍵盤楽器というよりも打楽器と言えるような扱いで、ピアノ協奏曲というよりもオーケストラのパートの一部を担うかのような作品である。ピアニストはまだ23歳のアレクサンデル・ガジェヴ。第9回浜松国際ピアノコンクールで優勝、および聴衆賞を受賞している。超絶技巧とフル・オーケストラのパワーに負けないエネルギーを求める本作でも、全く怯むことはなく易々とその「ピアノ・パート」を務めた。それとは一転して、かの有名な《弦楽のためのアダージョ》を思わせるような哀愁漂う甘い響きをもつ第2楽章では、哀切に満ちた歌の軌跡を丁寧に追うが、かといって感傷に溺れすぎることはない。むしろ他の楽章同様に、音を即物的に捉えているかのような冷静さが感じられた。そうしたスタイルのためであろうか、全体的にタッチや音色、フレーズなどにはいささか角があり、柔軟性に欠けるような印象も持った。

それにしても、井上の魅力は、観客の側に立って音楽をしていることではないかと思う。もちろん、指揮者にせよ演奏者にせよ、大抵の音楽家は観客に最上の音楽を届けるべく励んでいるには違いない。もしかすると、「最上の」という点では、井上は他の音楽家ほどストイックではないかもしれない。作曲家の意図をひたすら追求すること、あるいは楽譜に書かれた内容を忠実に「再現する」ことを「最上」とするのであれば、井上の場合は必ずしもそれを理想としていないのだから。けれども、多くの音楽家とは違った魅力があり、それは「観客と一緒になって音楽を楽しむ」といった立ち位置にあるのではないだろうか。作曲家や楽譜の側に立つのではなく、観客と同じ目線で演奏会を作ること、この一連のショスタコーヴィチのプログラミングもそうした姿勢の表れではないかと思う。

そうした中で、後半に入る前に行われた井上によるトークは少し意味深だった。ショスタコーヴィチの2つの作品に見られる様々なスタイルの追求、旺盛な開拓精神といった説明があったのだが、そうした作曲家の革新性に対し、「オーケストラは保守的」との言葉を残してトークを終えたのである。自嘲とも、苦言とも取れる内容だ。今後、井上がどのような活動を展開していくのか、オーケストラ界にさらなる新風を巻き起こすのか、期待させる言葉でもある。

(2018/4/15)