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札幌交響楽団 東京公演2018|藤原聡

札幌交響楽団 東京公演2018

2018年2月6日 サントリーホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
指揮 : マックス・ポンマー
コンサートマスター : 大平まゆみ

<曲目>
ベートーヴェン : 交響曲第6番 ヘ長調 op.68『田園』
同 : 交響曲第5番 ハ短調 op.67『運命』
(アンコール)
バッハ : 管弦楽組曲第3番 ニ長調 BWV.1068〜アリア

 

2015年から札幌交響楽団(札響)の音楽監督を務めるマックス・ポンマーは2018年のシーズンをもってその任に終わりを告げる。毎年2月に行われている札響の東京公演、今年はそのポンマーの登場だが、恐らくは最初で最後になるのではないか(来年はマティアス・バーメルトと思われる)。恥ずかしながら筆者はポンマーの演奏を明確にそれと意識して聴いた記憶がない。Berlin Classicsから発売されていた旧東独時代のバッハなど、聴いたのは間違いないにせよ、いかんせん内容の記憶が飛んでいる。札響とのいくつかの録音も未聴であり、その意味ではほぼポンマーの演奏は初体験に近いと言っても良い。単なるイメージで言えば旧東独的な質実剛健の名匠、温厚な音楽を作るタイプ、という感じであるが実際はどうなのだろうか…?

前段最後の自答の答えを最初に記せばその音楽はそんなに単純なものではなく、飾り気のない地味な肌触りとスマートでモダンな側面が無理なく融合した独特の個性ある音楽を作る人で非常に興味深かったのだが、まず『田園』からしてテンポはやや速めで颯爽としている。驚いたのはこの楽章をほぼ1小節1つ振りで通していたところで、音楽はいきおい流線型かつ流動性の強いものとなる。アンサンブルの細部を詰めることにはさほど拘泥していない印象。ポンマーの表現へのこだわりは、例えば第2楽章最後の例の鳥の鳴き声の箇所で大きくテンポを落としてタメを作ったり、または第4楽章での意識的な強弱の変化であったり、あるいは終楽章での内声を強調した立体的なパートバランス構築、と随所に垣間見える。弦楽5部のバランスは意外にバスがそこまで重くなく、典型的なピラミッドバランスでもない。それゆえ札響自慢の清澄な弦楽器ではヴァイオリン群のしっとりした輝きがより印象に残る。一見オーソドックスなようでいてポンマー独自の読みとこだわりがあるこの『田園』、やはり旧東独出身の音楽家と言えどもモダニズムの影響は受けるものなのだろう(しかしベルリンの壁崩壊から30年近く経過しているのだから当夜聴かれた音楽性がどういう経過のうちに醸成されたのかは分からないけれども)。何とも不思議な肌触りの演奏である。

休憩後の第5は『田園』よりもさらに素晴らしい。基本的に徹底したイン・テンポを貫き、テンポも相当に速いが、ここでもその音楽は勢いと覇気に満ち、齢80を超えた音楽家にしばしばあるような弛緩は微塵もない。第1楽章の再現部では第2主題に移行する際のファゴットによる運命動機にホルンを重ねたり(元来ファゴットのみだが、「当時の楽器では吹くのが難しい音域だったからベートーヴェンはファゴットにしたのであって、可能なら作曲者はホルンにしたかったはず」という論拠で再現部も提示部同様ホルンに吹かせていた演奏は多かったので、このポンマーの演奏は折衷型?)、第2楽章が第1楽章の拍節感をそのまま引き継いだかのような「動きのある(con moto)」速めのテンポ設定であったり(しかもそこに滲み出る滋味の豊かさ…)、全く虚飾のない、それでいて桁外れの威容(デシベル的な音量の問題ではなく、第3楽章からの対比による心理的な威容なのだ)を見せる終楽章突入部や提示部→第3楽章への回帰部分の絶妙の呼吸、さらには再現部での音楽の巨大さ…。今まで何回聴いたか分からないベートーヴェンの第5だが、久しぶりに新鮮な感銘を与えられた演奏で、ここに再現芸術の本質を見た思い、ポンマー&札響に感謝。

アンコールについても触れねばなるまいが、いわゆる『G線上のアリア』。これもまた絶品で、札響の弦楽器群の音色がまたベートーヴェンの時とは一変しており、ここでもポンマーはロマン的情緒に溺れることのない清潔なフレージングと細やかなうねりを駆使した爽やかかつしんみりした名演奏を聴かせてくれたのだった。音楽監督退任と言えどもポンマーは今後も札響を指揮する。未聴の向きはこのコンビをぜひとも体験されたい。札幌でしか聴けなくはあるが、そのために札幌まで行く価値はあると思う(観光も合わせて…)。

(2018/3/15)