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東京都交響楽団 第844回 定期演奏会Aシリーズ|藤原聡

東京都交響楽団 第844回 定期演奏会Aシリーズ

2017年12月11日 東京文化会館
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)/撮影12/16

<演奏>
ヤクブ・フルシャ指揮/東京都交響楽団
コンサートマスター:四方恭子

<曲目>
ドヴォルザーク:序曲『オセロ』 op.93 B.174
マルティヌー:交響曲第2番 H.295
ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 op.73

 

ヤクブ・フルシャと都響の蜜月がとりあえず一区切りとなる。2008年5月に都響に初客演を果たしたフルシャだが、この初共演ですぐさまオケの絶賛を浴びポスト就任を熱望される。その初共演を振り返って「あれはまさに、恋に落ちたという瞬間でしたね」とフルシャも語るほどの成功を収めたのだ。2009年の来演こそなかったものの、2010年には首席客演指揮者というポストに就き、以降2015年を除いては毎年都響に客演。そして、この12月の2回のコンサートを以って首席客演指揮者の任期を終えることとなった。この9年の共演期間中には突発的な出演キャンセルなどという出来事もあったものの、それはフルシャが世界の楽壇から出演をより多く切望されるようになる過程での代償とも言えた。今のフルシャはバンベルク響首席指揮者、フィルハーモニア管首席客演指揮者、チェコ・フィル常任客演指揮者(2018/19シーズンより首席客演指揮者)を務めており、都響との関係を一段落させたのはそういう事情があるのだろう推察されるが、フルシャ退任後に同ポストに就くアラン・ギルバートをも含めた「人事の理由」までは筆者は知らない(こういう情報は「事情通」のファンであれば恐らく知っているのだろう)。再度フルシャが都響に登壇してくれることを期待しつつ、今回のコンサートを堪能したい。

フルシャと都響の意思疎通、表現の練度がいかに深化しているのかは1曲目の『オセロ』冒頭からもう明らかだ。非常に柔らかい音色で奏でられる、弦楽器群の決して痩せない、表現力豊かな弱音。実に緻密で目の詰まった音だ。対する主部はソリッドで整理された音をオケから見事に引き出し、これも秀逸。しかもそこに色合いの豊富さがある。既にフルシャが大指揮者への道を歩んでいることを明確に物語る演奏と言っても過言ではない。ドヴォルザークの交響詩の中でも比較的地味な曲だがまるで飽きさせない。お見事。

国際マルティヌー協会の会長を務めるフルシャは都響でも積極的にこの作曲家の作品を取り上げて来たが、当夜とこの後の16日のコンサートでその交響曲全曲を演奏したことになる。この日は『第2番』を取り上げたが、ここでも明快な音響構築が冴え渡っている。マルティヌー独特の和声とリズム(特に前者)が極めて印象深く効果的で面白い第1楽章、という発見は録音では出来なかったのだが、このような優れた実演であればこその腑の落ち方。よほど曲が体に入っていなければ出来ない類の演奏であろう。第2楽章の素朴な、しかし現代的な屈折がふと忍び寄る美しいメロディの歌わせ方の卓抜なセンス、切れ味鋭くかつ適度に肩の力の抜けたスケルツォ演奏、そして変化に富んだ終楽章のまとめ方も上手い。正直に申せばこの曲、筆者はさほど馴染んでいる訳でもなく難解なイメージがあったのだが、このフルシャの演奏のおかげでその心理的な距離感がぐんと縮まった印象である。

後半はお馴染みのブラームス『第2』。落ち着いたテンポでゆったりと運んだ演奏で、30歳代半ばの指揮者が創る音楽としては極めて濃密で老成しているが、それだけに実に味わい深い。終楽章のコーダですらある種の抑制が感じられるのだが(但しアッチェレランドあり)、慎重さが勝った演奏と言うべきか。ここではフルシャのていねいさが物足りなさにも繋がる。オケの響かせ方はマルティヌーと異なって実にまろやかであり、作品の要請、と言ってしまえばその通りにせよこうも変えられるものか。オケの精度が前半より劣ったのが残念だが(木管が妙な音を…)、しかし全体としては好演。とは言え曲が曲だけにハードルは高く、さすがの演奏ではあれど前半ほどの出来ではない、と思った。今後のブラームス演奏に期待。

フルシャは2018年に首席指揮者を務めるバンベルク響と来日を果たす。都響との演奏が当面(全く、ではなく当面、ならよいのだが…)聴けなくなるのは残念だが、バンベルク響とはマーラーの『第3』やドヴォルザークの『第8』、『新世界より』などを演奏するという。これは楽しみである。

(2018/1/15)