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Back Stage |クリスチャン・レオッタ/京都府立府民ホール“アルティ”|碓井智恵

クリスチャン・レオッタ/京都府立府民ホール“アルティ”

text by碓井智恵(Chie Usui)

「作曲家の魂と聴衆を結びつけること」――演奏家にとって一番大切なことは?と尋ねた際、彼は迷うことなくそう答えた。

彼とは、イタリア人ピアニスト、クリスチャン・レオッタ。イタリア南部シチリア島、カターニャ生まれの38歳。7歳でピアノを始め9歳で初舞台に立ち、13歳の頃にはすでにベートーヴェンやシューベルトなどの大曲を披露していたという。ミラノのG.ヴェルディ音楽院で学んだあと、現在も住まいを構えるイタリア北部、アルプス山脈に囲まれた風光明媚なコモ湖畔に建つ、テオ・リーヴェン国際ピアノ財団とオクスフォードのテューレックバッハ研究財団で研鑽を積んだ。

7歳の時、交響曲とピアノソナタを聴いて「恋に落ちた」というベートーヴェンは、レオッタにとって人生を捧げる作曲家だ。2002年、若干22歳の時にモントリオールでベートーヴェンのピアノソナタ全32曲を披露し、大きな話題となった。その後も世界の主要都市で22回もの全曲演奏会を成功させ、現在も記録を更新中である。

アルティでは、2015~2016年にかけて9日間(ピアノソナタ第14番、23番、29番、31番は2回演奏した)に及ぶ全曲演奏会を開催した。客席数約420席(座席は可動式のため最大560席)の小さな公共ホールとしては異例の企画だろう。しかも日本ではほぼ無名に等しいピアニストだ。「無謀だ」と厳しいご意見をいただくこともあった。

そもそもこの企画は、2013年にレオッタが貸館公演としてアルティで演奏したことから始まる。独自の信念と哲学をもって「ALTI芸術劇場」の名の元に多くの主催事業を展開してきた館長の下田元美は、事務所のモニター越しに聴こえてきたベートーヴェンに心を打たれ、すぐさま彼に全曲演奏会を共にやらないか、と声をかけた。かねてより構想は温めていたものの、しっくりくるピアニストがおらず具体的な輪郭を伴っていなかったこの壮大なプロジェクトは、レオッタと出会ったことで一気に実現に向け動き出した。

正直、本番までの道のりは簡単なものではなかった。そもそも一つの事業を成功に導くためには、計画された膨大な量の作業と雑用の積み重ねが必要で、泥臭いものも多い。本番当日の舞台が「光」であるなら、バックステージはまさに「影」の領域だ。チラシとポスター片手にメディアや学校、お店を駆け回る日々、休みの日も常にアンテナを貼ってPRの機会を窺うなど本番が終わるまで一日も開放されることはない。チケットの売行きに対するプレッシャーも半端ない。アーティストの来日が近づくとその緊張感はさらに高まっていく。

特にレオッタの場合は、買取り公演ではなく、しかも長期滞在のため宿泊の手配から日々のお世話まですべてホール職員がやることになる。通訳も当然いない。さまざまなタイプの演奏家がいると思うが、レオッタはかなり神経質な職人気質。ピアノ位置の決定、椅子の高さ(自前のスケールで計測)、照明、温度、湿度、反響板の向き、空調の音など納得がいくまでとことん調整を試みる。また、体調管理のため、口にする物へのこだわりも人一倍強い。

大変なことも多いが、毎日密に接する分アーティストの人となりを深く知ることもでき貴重な体験となった。「1日24時間。8時間睡眠を取っても残りを音楽のために使える」との本人の言葉通り、食事の間も音楽の話ばかり。最初は指揮者を目指していたという話から「脳が一つ一つの運指を指揮している感覚がある」、「いつのまにかピアノの鍵盤が自分にとってのオーケストラになっていた」という興味深い話も聞き逃せない。

とにかく発する一語一語に、ピアニストとして生きる覚悟と信念が感じられる。中でも冒頭に書いた言葉は、レオッタ自身の魂の根底にある信念だ。「作曲家の魂を聴衆へ届けるためには、演奏家自身の個性を決して楽譜よりも前面に出してはいけない」、そう断言する彼の姿は、まるで偉大な作曲家の偉大なる作品を後世に正しく伝えるための敬虔な伝道者のようだった。

おかげさまで毎回ほぼ満席となり、鳴り止まないスタンディングオベーションで幕を下ろした。9日間ともお越しくださったお客様も多く、最終日には、長く決して平坦ではなかった旅を共に終えたような、何とも言えない一体感と興奮に会場が包まれた。ロビーでお見送りの際に、目に涙をいっぱい溜めて感動を伝えに来てくださる方々もいて私も泣きそうになった。多くの音楽関係者も駆けつけてくださり、指揮者の井上道義氏とは楽屋で指揮者とピアニスト談義に花が咲いた。

そんな彼とアルティが次に取り組むプロジェクトが、「シューベルト プロジェクト 7 DAYS」。タイトルの通り、7日間かけてピアノソナタ14曲(第21番は2回演奏)と「楽興の時」「さすらい人幻想曲」などの名曲を全21曲演奏するこれまた壮大な企画だ。このプロジェクトの構想は、実はベートーヴェン真只中の2015年暮れから始まっており、その後1年以上協議を重ねてきた。レオッタはシューベルトを「ベートーヴェンの魂の後継者」と呼び「ベートーヴェンに最も近い作曲家である」と言う。世界各地での演奏活動を行いながら、シューベルト音楽の研究を重ねている彼から届くメールには、毎回新たな発見に対する感動や喜びの言葉が溢れている。いったいどんな旅路になるのだろうか。是非多くの方々に見守っていただきたい。

碓井智恵(京都府立府民ホール“アルティ”事業担当主任)
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公演情報
「クリスチャン・レオッタ シューベルト プロジェクト7 DAYS」
<1st Stage>
2018年3月10日(土)、14日(水)、18日(日)
<2nd Stage>
2018年11月27日(火)、12月1日(土)、5日(水)、9日(日)
●公演公式HP
http://www.alti.org/at/vol-40.html
●クリスチャン・レオッタ公式HP
http://www.christianleotta.com
主催:京都府、創<(公財)京都文化財団・(株)コングレ共同事業体>、イタリア文化会館-大阪

■京都府立府民ホール“アルティ”
京都御苑向いのかつて公家屋敷があった場所に建つホール(1988年10月設立)。京都府公館が併設されており、本格的な日本庭園とお茶室があるのも特徴。